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行敏御返事

             行敏御返事

本文(御書全集一七九㌻)
    行敏初度の難状
 未だ見参(げんざん)に入らずと雖(いえど)も事の次(ついで)を以て申し承るは常の習に候か、抑(そもそも)風聞の如くんば所立の義尤(もっと)も以て不審なり、法華の前に説ける一切の諸経は皆是妄語にして出離の法に非ずと是一、大小の戒律は世間を誑惑(おうわく)して悪道に堕せしむるの法と是二、念仏は無間地獄の業為(たり)と是三、禅宗は天魔の説・若(も)し依つて行ずる者は悪見を増長すと是四、事若し実ならば仏法の怨敵なり、仍(よっ)て対面を遂げて悪見を破らんと欲す、将又(はたまた)其の義無くんば争(いか)でか悪名を痛ませられざらんや、是非に付き委(くわし)く示し賜わる可きなり、恐恐謹言。
  七月八日               僧 行 敏 花 押
   日蓮阿闍梨御房 

    聖人御返事
 条条御不審の事・私の問答は事行き難く候か、然れば上奏を経られ仰せ下さるるの趣に随つて是非を糾明せらる可く候か、此の如く仰せを蒙り候条尤も庶幾(しょき)する所に候、恐恐謹言。
  七月十三日             日 蓮  花 押
  行敏御房御返事

通解
    行敏初度の難状
 未だお目にかかっていないが、事のついでとしてお尋ね申し上げることは、常の習いとしてもらいたい。
 そもそも風聞によれば、貴僧の所立の義は、誠にもって不審である。法華経以前に説かれた一切の諸経は、皆妄語であって、出離解脱の法ではないと、これが一である。
 大乗小乗の戒律は、世間を誑(たぶら)かし惑わして悪道に堕としめる法であると、これが二である。念仏は無間地獄への業因であると、これが三である。禅宗は天魔の所説であり、もしこれを行ずる者は悪見を増長すると、これが四である。
 この事がもし真実ならば、仏法の怨敵である。よって対面をいたして、貴僧の悪見を破ろうと思う。はたまたその義が、貴僧のものでなければ、どうして悪名を被ったのか痛ましい。是非に付き、詳しく回答を賜わりたい。恐恐謹言。
  七月八日               僧 行 敏 花 押
   日蓮阿闍梨御房 

    聖人御返事
 条条の御不審の事につき、私的な問答は決着が難しいと考える。それゆえに、幕府へ上奏され、それを経て仰せ下さる趣にしたがって、是非を糾明せられるべきである。
 このように仰せを蒙り、しかもそうなる(公場で対決する)ことが願うところである。恐恐謹言。
  七月十三日             日 蓮  花 押
  行敏御房御返事

語訳
行敏
 生没年不明。日蓮大聖人御在世当時の僧。文永八年(一二七一年)七月、大聖人に法論を申し込んだ。それに対して、大聖人は公場対決を望まれ、また行敏訴状御会通を送って疑問に答えられた。

天魔の説
 禅宗は仏法を破壊する天魔の所為をなすとの意。日蓮大聖人所立の四箇の格言の一つ。禅宗は「教外別伝・不立文字」として経典に依らない教義を立てるが、その言葉自体は大梵天王問仏決疑経(偽経とされる)という経文に依っており、自語相違している。また仏祖不伝として諸の論師の説を退けるが、禅宗自体、迦葉付嘱以来、西天の二十八祖、東土の六祖を立てており、矛盾している。更に坐禅によって心を観ずることが悟りの道であるとするが、心の内部の何を所観の対境とするかを定めず、また単に心を対境とするというのみでは人の心は移りやすく、必ずしも悟りの対境とはなりえない。こうした教義の矛盾をかかえる宗派は、涅槃経巻七に説かれている「願わくは心の師と作(な)りて心を師とせざれ」、また「是くの如き経律は、当(まさ)に知るべし、即ち是れ如来の所説なり。若(も)し魔の所説に随順すること有らば、是れ魔の眷属なり」の文に照らせば、天魔の所為をなす宗派であるということ。

庶幾(しょき)
 庶(こいねが)う・こいねがわくは・なにとぞの意。

講義
 本抄は、日蓮大聖人が御年五十歳の文永八年(一二七一年)七月十三日、鎌倉・松葉ケ谷の草庵にあってしたためられたものである。七月八日、行敏から、大聖人の弘教を非難する書が送られてきたことに対し、回答された書である。「行敏」の名が付せられた書は、行敏御返事と行敏訴状御会通の二通である。御真筆は駿河(静岡県)の鷲津本興寺に断片が存している。
 本文は、最初に行敏からの「初度の難状」、その後に大聖人からの「聖人御返事」が挙げられている。行敏の難状に「初度」とあるのは、文字通り最初に、直接、大聖人へ送りつけてきた書状という意味であるから、少なくとも二度目があることになる。大聖人が公場での対決を提案されたことから、行敏は、訴状を鎌倉幕府の問注所(裁判所)へ提出したと考えられるが、それが二度目の難状であろう。
 普通、訴状が出されると、訴えられたほうにそれを示し、訴えられたほうは陳状(答弁書)を提出する。問注所は双方の訴状と陳状によって裁判するのである。したがって、行敏の訴状が幕府の問注所から大聖人のもとに回され、問注所へ陳状を上申するように大聖人へ命じてきたものと思われる。その答弁書、もしくはその草案が、本抄の後に収められている行敏訴状御会通であると考えられる。なぜならば、本抄での行敏の質問に対して大聖人は直接答えられず、万事は公場対決が実現してからのこととされているが、行敏訴状御会通では本抄の質問及び、その後恐らく訴状に加えられていたであろうと誹謗に対しても答えられていて、本抄と首尾一貫しているからである。
 本抄が執筆された文永八年(一二七一年)七月といえば、大聖人の御生涯のなかで最大の難である竜の口の法難・佐渡流罪につながっていくさまざまな事件が重なった、波乱に富んだ時期であったことはいうまでもない。文永五年(一二六八年)以来、大聖人は盛んに諸宗との公場対決を挑まれている。当時、極楽寺良観を中心とする鎌倉仏教界はそれに対抗し、幕府権力に働きかけて、大聖人を陥れようと図っていた。文永八年六月から七月四日にかけては、極楽寺良観は雨乞いの修法で大失態を演じ、完膚なきまでに大聖人に打ちのめされているから、ますます怨嫉の炎を燃やしていたのは疑いない。その結果、本抄御述作の翌々月の九月、大聖人は「立の口の法難」を受けられるのである。
 良観が祈雨に失敗した直後の七月八日、私信による行敏からの最初の難状がきた。行敏からの難状には、伝え聞くところによればとして、大聖人「所立の義」で、不審のことが四点あると挙げている。
 第一に爾前無得道――法華以前に説かれた一切の諸経はすべて虚妄の言説であって、出離得脱の法ではない。
 第二に律は堕悪道――大小の戒律は、すべて世間の人々を誑惑するもので、全く悪道に堕としめるものである。
 第三に念仏無間――念仏は無間地獄への業因である。
 第四に禅は天魔――禅宗は天魔の所説で、これを行ずる者は悪見を増長する。
 行敏は、このような大聖人「所立の義」は、仏法を混乱させ破壊する怨敵の邪見であるから、対面のうえ、この邪見を破折したいというものである。
 この四点は大聖人が諸宗を破折された四箇の格言と似ている。四宗のうち真言亡国が挙げられておらず、最初に爾前無得道が挙げられていることと、律宗について国賊との表現がなく「堕悪道」としている点が異なっているだけである。大聖人は既に文永五年(一二六八年)の十一通の御状のうち建長寺道隆への御状のなかで四箇の格言を示されているが、本状で行敏が真言亡国に触れていないのは、行敏がこれを知らなかったか、浄土宗または律・禅・浄土兼学の僧であったと推定されるので真言には触れていないのであろう。
 この難状は行敏が日蓮大聖人に問答を挑んできた、個人的な私信の体をなしているが、当然、行敏の背後には鎌倉仏教界の中心をなしている極楽寺良観、念阿弥陀仏良忠、道阿弥陀仏等が策謀していたことが考えられる。このことは大聖人も見抜かれて、このあとの行敏訴状御会通では、冒頭に「当世日本第一の持戒の僧・良観聖人並びに法然上人の孫弟子念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等の諸聖人等日蓮を訴訟する状に云く」(一八〇㌻)と、訴状が名目上の行敏でなくこの三人であることを明記されているのである。
 彼らは行敏を使って大聖人に法論を挑み、大聖人を陥れようとした。その場合、自分たちは表面に出ないほうが何かと都合がよい。もし行敏が勝てば、それこそ大々的に宣伝できるし、それをもって大聖人およびその門下を逮捕、処罰することもできる。もし敗れても、私的な法論であるから、自分たちには何の傷もつかない。良観らはそのために行敏を用いたと考えられる。
 大聖人はもちろん、その奸計を見破られ、行敏の難状に対して、七月十三日、実に簡潔な、急所を突く返信を送られた。まず、「私の問答は事行き難く候か」と述べ、個人的な私的問答は無意味であると斥(しりぞ)け、むしろ、彼らの意図を逆手にとって、「上奏を経られ仰せ下さるるの趣に随つて是非を糾明せらる可く候か」と、すなわち幕府へ上奏したうえで、幕府の意向にしたがって、ことの是非を糾明されるべきであろうと言われている。あくまでも公的な土俵の上で問答対決をしようということである。そして、「此の如く仰せを蒙り候条尤も庶幾する所」と記され、日蓮(大聖人)としては、公場において対決することが希望である、と仰せである。
 大聖人は、行敏からの「難状」をチャンスととらえ、私的法論をもくろむ彼らの陰謀を破るだけでなく、彼らの方から幕府に対して公場対決を申し立てよと言って、切り返されているのである。

出典『日蓮大聖人御書講義』第四巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                      行敏御返事 ―了―

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