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長楽寺への御状

           長楽寺への御状

本文(御書全集一七六㌻初~一七七㌻終)
 蒙古国・調伏の事に就いて方方へ披露せしめ候い畢(おわ)んぬ、既に日蓮・立正安国論に勘(かんが)えたるが如く普合せしむ、早く邪法邪教を捨て実法実教に帰す可し。
 若(も)し御用い無くんば今生には国を亡し身を失い後生には必ず那落に堕す可(べ)し、速かに一処に集りて談合を遂げ評議せしめ給え日蓮庶幾(しょき)せしむる所なり、御報に依つて其の旨を存ず可く候の処なり敢て諸宗を蔑如(べつじょ)するに非ず但此の国の安泰を存する計(ばか)りなり、恐恐謹言。
  文永五年十月十一日         日 蓮  花 押
   謹上 長楽寺侍司御中

通解
 蒙古国調伏のことについて、方々へ申し上げた。既に日蓮が立正安国論に勘えた通りに予言が符合した。早く邪法邪義を捨てて、法華経の実法実教に帰伏すべきである。
 もしこの事を用いられないならば、今生には(蒙古の襲来で)国を亡ぼし身を失い、後生には必ず地獄に堕ちるであろう。速やかに一所に集まって、談合を遂げ評議されたい。それが日蓮が願うところである。御返書によって、その旨をうけたまわりたい。これは、あえて諸宗を蔑如して申すのでなく、ただこの国の安泰を思って申すのである。恐恐謹言。
  文永五年十月十一日         日 蓮  花 押
   謹上 長楽寺侍司御中

語訳
蒙古国
 十三世紀の初め、チンギス汗によって統一されたモンゴル民族の国家。東は中国・朝鮮から、西はロシアを包含する広大な地域を征服し、四子に領土を分与して、のちに四汗国(キプチャク・チャガタイ・オゴタイ・イル)が成立した。本国の中国では五代フビライ(クビライ。世祖)が一二七一年に国号を元と称し、一二七九年に南宋を滅ぼして中国を統一した。日本には、文永五年(一二六八年)一月以来、たびたび入貢を迫る国書を送ってきた。しかし、要求を斥(しりぞ)ける日本に対して、蒙古は文永十一年(一二七四年)、弘安四年(一二八一年)の二回にわたって大軍を送った。元寇である。

長楽寺
 鎌倉にあった浄土宗の寺院。開山は法然(源空)の孫弟子・智慶(ちけい)。日蓮大聖人の御在世当時、鎌倉における念仏勢力の一大拠点となっていた。現在は廃寺。

講義
 本書状は文永五年(一二六八年)十月十一日、日蓮大聖人が四十七歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたためられ、浄土宗の長楽寺へ送られた書である。住僧がだれであったかは不明である。
 長楽寺は、日本浄土宗の開祖・法然の孫弟子である智慶(生没年不明)が開山とされる。当時は鎌倉七大寺の一つに数えられていたが、現在は跡形もなくなっている。
 智慶は南無房ともいい、関東の出身で、初め天台宗を学んでいたが、京都の長楽寺隆寛(一一四八年~一二二七年)の弟子となり、浄土宗に帰依した。守護国家論に彼が法華経等を誹謗した言として「或は絃歌(げんか)等にも劣ると云う南無房の語」(四八㌻)との記述がみられる。
 この御状の内容は、まず蒙古国調伏の方法について、執権をはじめとする「方方へ」書状を送ったことを告げられている。「調伏」とは、本来は身・口・意の三業(さんごう)を調えて諸の悪を制し伏させることをいうが、密教では祈禱によって怨敵・障魔を降(くだ)し伏させることをいい、そこから、敵を祈りによってこちらを攻撃できないようにすることをいう。
 ちなみに蒙古調伏について、日蓮大聖人は「十一通御書」のなかで、「彼を調伏せられん事日蓮に非ざれば叶う可からざるなり」(一六九㌻)、「日蓮は日本第一の法華経の行者蒙古国退治の大将為り」(一七四㌻)と仰せのように、大聖人をおいて調伏できる人はいないと断言されている。
 また調伏の方法は、悪法・邪法に対し「早く須(すべから)く退治を加えて謗法の咎を制すべし」(一七一㌻)、すなわち帰依や布施を禁断することであり、あわせて「日蓮に帰すべし」(一七五㌻)、「一乗正法に帰せしむ」(一七五㌻)ることであると仰せられている。
 次に、このたびの他国侵逼難は九年前の文応元年(一二六〇年)に上呈した立正安国論の予言がその通りに的中したものであると述べられ、災いの元凶である「邪法邪教」を早く捨てて、「実法実教」である法華経に帰依するよう促されている。そして、もし、この大聖人の諌言を用いない時は、蒙古の侵攻によって今生には国も身も滅ぼし、後生には必ず無間地獄へ堕ちるであろうと、警告を発せられている。「那落」は地獄の意である。
 それゆえに、急ぎ一所に集まり、大聖人の諌言について話し合い、評議したうえで、対決の日を決定すべきことを求め、これは「日蓮庶幾せしむる所」、つまり大聖人のたっての願いであると仰せられている。
「御報に依つて其の旨を存ず可く候の所なり」とは、この大聖人の意思に対する返事を求められている。文面のうえで「御報」を求めているのは、先の多宝寺への御状と本書のみである。
「敢て諸宗を蔑如(べつじょ)するに非ず但此の国の安泰を存する計(ばか)りなり」との仰せは、大聖人が諸宗との対決を求めるのは、決して諸宗を侮っているからではなく、ひとえに国の安泰を願うためであると仰せられて、本書を締めくくられている。

出典『日蓮大聖人御書講義』第四巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                    長楽寺への御状 ―了―

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