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浄光明寺への御状

           浄光明寺への御状

本文(御書全集一七五㌻初~一七六㌻終)   
 大蒙古国の皇帝・日本国を奪う可きの由・牒状を渡す、此の事先年立正安国論に勘え申せし如く少しも相違せしめず内内日本第一の勧賞に行わる可きかと存ぜしめ候の処剰(あまつさ)え御称歎に預らず候。
 是れ併(しかし)ながら鎌倉中著麤(じゃくそ)の類・律宗・禅宗等が「向国王大臣誹謗説我悪」の故なり、早く二百五十戒を抛(なげう)つて日蓮に帰して成仏を期す可し、若(も)し然らずんば堕在無間の根源ならん、此の趣き方方へ披露せしめ候い畢(おわ)んぬ、早く一処に集りて対決を遂げしめ給え日蓮・庶幾(しょき)せしむる処なり、敢て諸宗を蔑如(べつじょ)するに非ざるのみ、法華の大王戒に対して小乗蟁蝱戒(もんみょうかい)・豈相対に及ばんや、笑う可し笑う可し。
  文永五年十月十一日         日 蓮  花 押
   謹上 浄光明寺侍者御中

通解
 大蒙古国の皇帝から日本国を奪うとの牒状がきた。このことは、先年立正安国論に勘え申したことと少しも相違していない。内心では日本第一の勧賞にも預かるかと思っていたところ、なんの御称歎にも預からなかった。
 これは、鎌倉中の小乗・権教に執着する者の類、律宗・禅宗等の者が法華経勧持品第十三にある「国王大臣に向かって、誹謗して我が悪を説く」のゆえである。早く二百五十戒を捨てて、日蓮に帰伏して成仏を期するがよい。もしそうでなければ、無間地獄に堕ちるばかりである。
 この趣を方々へ申し上げたから、早く一所に集って対決していただきたい。日蓮が願うところである。あえて諸宗を蔑如するのではない。法華の大王戒と小乗の蟁蝱戒(もんみょうかい)とを比べようとするなどは笑うべきことである。笑うべし。
  文永五年十月十一日         日 蓮  花 押
   謹上 浄光明寺侍者御中

語訳
立正安国論
 文応元年(一二六〇年)七月十六日、日蓮大聖人が三十九歳の時、鎌倉幕府の実質的な最高権力者である北条時頼に提出された国主諫暁の書(一七㌻)。五大部の一つ。諫暁とは諫(いさ)め暁(さと)す、すなわち相手の誤りを指摘して正しい道に導くという意。本抄御執筆当時、日本では飢饉・疫病・災害によって多くの民衆が苦悩にあえいでいた。本抄では種々の経典を引用しながら、こうした災難の根本原因は謗法であると明かし、その元凶は、浄土教の教え以外を捨閉閣抛(しゃへいかくほう)せよと主張する法然(源空)の専修念仏(せんじゅねんぶつ)であるとして、これをもっぱら破折されている。そして謗法の教えへの帰依をやめて正法に帰依しなければ、三災七難のうち、残る「自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)(内乱)」と「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)(外国からの侵略)」が起こると予言し警告された。しかし幕府はこの諫言を用いることなく、謗法の諸宗の僧らを重用した。その結果、二難はそれぞれ文永九年(一二七二年)の二月騒動(北条時輔の乱)、文永十一年(一二七四年)と弘安四年(一二八一年)の蒙古襲来として現実のものとなった。本抄の構成としては、災難を嘆きその根本原因を尋ねる客(=北条時頼を想定)に対して、主人(=日蓮大聖人)が立正安国(正を立て、国を安んず)を説くという十問九答の問答形式で展開されている。なお、「広本(こうほん)」と呼ばれる身延入山後に再治された本には、真言などの諸宗を破折する文が添加されている。

浄光明寺(じょうこうみょうじ)
 神奈川県鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある真言宗寺院。山号は泉谷山(せんこくざん)。鎌倉幕府第六代執権・北条長時により建長三年(一二五一年)に創建。開山は浄土系の真阿(しんあ)(真聖国師(しんせいこくし))。当時は浄土宗はじめ兼修の寺院だった。鎌倉時代を通じて北条氏の菩提所(※)であった。
〈追記※〉
 正確には赤橋流北条氏(赤橋家)の菩提所。赤橋家は得宗家に次ぐ高い家格を有していた。鎌倉幕府最後の執権となった守時の妹(登子)が足利尊氏の正室であったことから、足利将軍家および鎌倉公方の帰依を受けた。江戸時代には荒廃したが、現在に続いている。

講義
 本書状は文永五年(一二六八年)十月十一日、日蓮大聖人が四十七歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたためられ、浄光明寺へ送られた書である。
 浄光明寺は建長三年(一二五一年)に北条長時が真阿を開山として建立した。持戒・念仏の寺であったが、その後、真言・禅・律・浄土の四宗兼学の道場になったという。鎌倉市扇ガ谷に現存する。
 当時、行敏が住していたと伝えられ、行敏は文永八年(一二七一年)七月に良観の意を受けて、大聖人へ大聖人を難詰する書状を送り、さらには問注所(裁判所)へ訴状を提出している。
 行敏が当時、律宗の良観の配下にあったことは、本文に「早く二百五十戒を抛(なげう)つて」、あるいは「法華の大王戒に対して小乗蟁蝱戒(もんみょうかい)」と記されていることからも推察される。 
 内容は、蒙古の牒状到来により立正安国論の予言が的中し、本来ならば日本第一の勧賞に預かっても当然なのに、称嘆の言葉さえなかった。それは諸宗の悪侶が陰で幕府に画策し、封じたためであると喝破されている。
 続いて、受持する小乗戒を捨てて大聖人へ帰伏して成仏を期すべきであると促され、諸宗諸山の高僧との公場対決を強く求められている。
 なお、行敏に与えられた行敏御返事(一七九㌻)は文永八年(一二七一年)七月、日蓮大聖人が五十歳の御時の御述作である。大聖人の、①爾前の一切の諸経は出離生死の法ではない②大小の戒律は世間を惑わし、しかも悪道へ堕とす③念仏は無間地獄の業④禅宗は天魔の教法、という所説に対し、行敏がその根拠を問い、対論を申し出てきたことに対する御返事である。大聖人は私的な問答は拒否すると述べられ、あくまで公場での対決において法の是非を決すべきであると答えられている。
 行敏訴状御会通(一八〇㌻)は、同じく文永八年(一二七一年)に行敏の法論申し入れに対し、訴状の内容一つ一つに会通(えつう)を加え、答えられた書である。

 悪侶が画策、大聖人への称嘆封ず

 初めに、蒙古国の皇帝から日本国を奪い取るぞとの国書が到来したが、これによって九年前の立正安国論に記した予言が少しの相違もなく符合した旨を述べられている。
 日本の国を憂えて上呈した諌暁の予言が的中したのであるから、大聖人に対し「日本第一の勧賞」があって然るべきであると内々思っていたのに、幕府からは何の沙汰もない、それどころか褒め言葉一つさえもなかったと言われている。「勧賞」は功績を賞し、位階などを賜る意である。
 もちろん、大聖人が幕府の勧賞など望まれていなかったことはいうまでもない。「末代の不思議」(種種御振舞御書、九〇九㌻)ともいうべき予言の符合を通し、これまでの大聖人に対する邪見・辺見を改め、なぜ謙虚に教えを請おうとしないのか、賢王・聖主はこの国にいないのか、という覚醒を促す意味を込めての仰せである。
 そして、勧賞も賞嘆さえもなかったのは、鎌倉中の「著麤(じゃくそ)の類」、すなわち麤法(そほう)(劣った粗雑な法)である小乗・権大乗の諸経に執着する律宗・禅宗等の悪侶達が、大聖人を陥れるため、陰で幕府の権力者達に働きかけたゆえであると喝破されている。「著麤」という言葉は、日本天台宗の開祖・伝教大師が南都六宗の諸師を論難して述べた言葉である。
 こうした策動は、法華経勧持品第十三の偈文に「国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向かって 誹謗して我が悪を説いて 是(こ)れ邪見の人 外道の論議を説くと謂(い)わん」(『妙法蓮華経並開結』四一九㌻ 創価学会刊)と説かれる通りであるとされている。
 この経文は、三類の強敵を明かすなか、第三の僭聖増上慢を説いた中にある文であるが、まさに彼らの実態を鏡に映し出すごとくである。
 妙法比丘尼御返事では具体的に「極楽寺の生仏(いきぼとけ)の良観聖人折紙をささげて上(かみ)へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿(こし)に乗りて奉行人にひざまづく」(一四一六㌻)と、彼らが権力にすりよって大聖人に弾圧を加えさせようとしたことを指摘されている。
 そして早く小乗の持戒という低い法を捨てて、日蓮に帰依して成仏を期すべきであると促され、もし、そうでなければ無間地獄に堕ちるであろうと述べられている。
 結びに、同じ趣旨の書状を幕府の要人、諸宗諸山の高僧へ送ってあるので、早く一所に集まって評議し、大聖人との対決実現へ尽力するよう求め、公場での対決は大聖人のたっての願いであると強調されている。「庶幾せしむる」は願う、希望する、との意である。

 敢て諸宗を蔑如(べつじょ)するに非ざるのみ、法華の大王戒に対して小乗蟁蝱戒(もんみょうかい)・豈相対に及ばんや、笑う可し笑う可し

「法華の大王戒」とは「諸経中王」の法華経の戒のことで、他のすべての戒に対すれば大王にあたることから「法華の大王戒」という。
「小乗蟁蝱戒」の「蟁」は蚊(か)、「蝱」は虻(あぶ)のことで、小さな取るに足りないものの意から小乗戒に喩えられたものである。すなわち大聖人は、決して諸宗の人々を蔑視するのではないが、根本とする〝法〟に天地雲泥の相違・勝劣があるのだとされている。
 末尾の「謹上 浄光明寺待者御中」とある「待者」は、師や長老に仕える弟子のことであるが、ここでは待者を経て住職に差し上げるという意を表している。

出典『日蓮大聖人御書講義』第四巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                   浄光明寺への御状 ―了―

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