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建長寺道隆への御状・第一章 四箇の格言示し諸宗を破折

           建長寺道隆への御状

        第一章 四箇の格言示し諸宗を破折

本文(御書全集一七三㌻初~一七三㌻六行)
 夫(そ)れ仏閣軒を並べ法門屋(いえ)に拒(いた)る仏法の繁栄は身毒支那に超過し僧宝の形儀は六通の羅漢の如し、然(しか)りと雖(いえど)も一代諸経に於て未だ勝劣・浅深を知らず併(さな)がら禽獣(きんじゅう)に同じ忽ち三徳の釈迦如来を抛(なげう)つて、他方の仏・菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)の者に非ずや、念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説と云云。
 爰(ここ)に日蓮去(い)ぬる文応元年の比(ころ)勘えたるの書を立正安国論と名け宿屋入道を以て故最明寺殿に奉りぬ、此の書の所詮は念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に天下に災難頻(しき)りに起り剰(あまつさ)え他国より此の国責めらる可きの由之を勘えたり、然るに去(い)ぬる正月十八日牒状到来すと日蓮が勘えたる所に少しも違わず普合せしむ。

通解
 それ仏閣(寺の建物、寺院)は軒を並べ、法門は屋根を支えるほどで、仏法の繁栄はインド、中国にも超過し、僧侶の形儀は六神通の羅漢のようである。しかしながら、一代諸経の勝劣浅深については無知で、あたかも禽獣と同じである。三徳の釈迦如来を抛(なげう)って、他方の仏・菩薩を信じているのは、師敵対の者というべきではないか。念仏は無間地獄の業であり、禅宗は天魔の所為であり、真言は亡国の悪法であり、律宗は国賊の妄説である。
 そこで日蓮は、去る文応元年の頃、勘えた書を立正安国論と名づけ、これを宿屋入道を以て故最明寺殿(北条時頼)に奉った。この書の詮ずるところは、念仏、真言、禅、律等の悪法を信じているゆえに天下に災難が頻発しているのであり、その上、他国からこの国が責められるであろうと、これを勘えたのである。しかるに去る正月十八日、蒙古から牒状がきたとのこと、日蓮が勘えたところ(立正安国論)と少しも違わず符号したのである。

語訳
六通
 仏や三乗の聖者が有する六神通のこと。①神足通(じんそくつう)(自由に望む所に行く通力。如意神通ともいう)、②天眼通(てんげんつう)(よく見通す通力)、③天耳通(てんにつう)(よく聞き分ける通力)、④他心通(たしんつう)(他者の心を読みとる通力)、⑤宿命通(しゅくみょうつう)(過去を知る通力)、⑥漏尽通(ろじんつう)(現在の煩悩を除く通力)のこと。倶舎論巻二十七等に説かれる。

逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)
 梵語ヴァーマローカーヤタ(Vāmalokayāta)の音写・縛摩路伽耶陀(ばまろかやだ)の訳。「路伽耶陀」とはインド思想において、霊魂や輪廻などを認めず、宗教行為の意義を否定し、唯物論・快楽至上主義の説を奉ずる学派のこと。漢訳仏典では、世情の趣くままに教を立てる外道の意で〝順世派〟と呼んだ。「逆」は「普通と違う、ひどい」の意の梵語を訳したもので、「逆路伽耶陀」はローカーヤタの中でも極端な立場を取る者たちをいう。法華経安楽行品第十四に「菩薩摩訶薩は、……路伽耶陀(ろかやだ)・逆路伽耶陀(ぎゃくろかやだ)の者に親近(しんごん)せざれ」(『妙法蓮華経並開結』四二三㌻ 創価学会刊)とある。「逆路伽耶陀」は後代、師の心に添わず、反逆の罪を犯す者のたとえとされ、本抄でも〝師敵対〟の意で用いられている。

講義
 本書状は文永五年(一二六八年)十月十一日、日蓮大聖人が四十七歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたためられ、建長寺の開山・道隆(一二一三年~一二七八年)に送られた書状である。
 道隆は南栄・西蜀(せいしょく)(中国四川省)の出身で、来日し臨済宗を弘めた僧である。俗姓は冉(ぜん)氏、字(あざな)は蘭渓(らんけい)といい、大覚禅師と称された。十三歳の時、出家して無明慧性に禅を学んだ。三十三歳の時、日本渡航を志し、寛元四年(一二四六年)に弟子の義翁等を伴って、九州・太宰府に着いた。翌年、入京して泉涌寺(せんにゅうじ)来迎院に入り、更に鎌倉へ赴いて、寿福寺、常楽寺に住した。
 建長五年(一二五三年)に北条時頼が建長寺を建立すると、迎えられて開山となり、時頼の帰依を受けた。同寺に十三年間住して禅宗を弘め、勅命を受けて京都の建仁寺に移ったが、再び鎌倉へ戻り、北条時宗が建立した禅興寺の開山となった。後に弟子の讒言によって、二度、甲斐(山梨県)へ流罪になったが、許されて建長寺に戻った。弘安元年(一二七八年)七月、六十六歳で没した。
 当時、建長寺は幕府の手厚い保護を受け〝鎌倉一〟との名声、格式を誇る大寺院であった。その開山という権威をカサに、極楽寺良観とともに日蓮大聖人に敵対し、陰湿な迫害を繰り返した。
 道隆の死後、彼の門下が「道隆の骨が仏舎利になった」といって美化し、仏法に無知な人々をたぶらかしているという報告に接した大聖人は、「仏の舎利は(中略)金剛のかなづち(鎚)にて・うてども摧(くだ)けず」(一二三〇㌻)と説かれたうえで、「一(ひと)くだきして見よかし・あらやすし・あらやすし」(一二三〇㌻)と、痛烈に破折されている。
 本書状の内容は、我が国の仏法は形の上では隆盛を極めているが、実質は経の勝劣も知らず、三徳具備の釈尊を忘れて他方の仏を崇めていると、その歪みを指摘され、「四箇の格言」を示され、これら宗派が災いの元凶であると断じて著された立正安国論の予言が蒙古国書の到来により的中したことを述べられて仏法の正邪を決するために、速やかに公場で対決するよう求められている。
 為政者へ送られた書状と要旨は同じであるが、論調は異なっている。立場上、為政者へは請願の形をとられたのに対し、道隆等の寺僧には徹底した破折が加えられているのが特徴といえる。

 三徳の釈迦如来を抛(なげう)つて、他方の仏・菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)の者に非ずや

 初めに「夫(そ)れ仏閣軒を並べ法門屋(いえ)に拒(いた)る仏法の繁栄は身毒支那に超過し僧宝の形儀は六通の羅漢の如し」と、日本の仏教がインド(身毒)・中国よりも盛んなさまを述べられている。
「法門屋(いえ)に拒(いた)る」とは、「仏閣軒を並べ」の対句になっており、「仏閣」が寺の建物であるのに対し、「法門」は仏法そのもの、あるいは経典をいう。「屋」は「屋根」「うつばり」で「軒」に対する語として用いられている。したがって「仏閣軒を並べ」が、横に仏寺が軒を並べてつらなっていることであるのに対し、「法門屋に拒る」は経典などが建物を支えるほどあるとの意である。この「仏閣」「法門」に続いて「僧宝の形儀」とあって、仏法僧三宝が挙げられているのである。「僧宝の形儀は六通の羅漢の如し」の「六通の羅漢」とは、六神通を得た阿羅漢(声聞の四果の最高位)のことで、六通は如意神通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通をいう。ここでは僧侶の形儀の荘厳なさまにたとえられている。
 しかし、どんなに行儀の外形を立派に飾っていても、釈尊が説いた一代五十年の聖教に勝劣・浅深があることを知らぬ愚かしさは、さながら「禽獣」(鳥と獣)同然であると喝破されている。まず、これは「法宝」を知らないことの指摘である。
 次に、娑婆世界の我等衆生のために主であり師であり親である有縁の「釈迦如来」を抛(なげう)って、阿弥陀如来など無縁の「他方の仏・菩薩」を信じていることは、師敵対も甚だしい「逆路伽耶陀(ぎゃくろがやだ)の者」であると仰せられ「仏宝」を誤っていることを破折されている。
「逆路伽耶陀」は、古代インドで世論に従わないで法を説いていた外道の一派をいうが、後代、師の意にそわず反逆の罪を犯す者のたとえに用いられるようになった。法華経安楽行品第十四(『妙法蓮華経並開結』四二四㌻ 創価学会刊)に説かれている。

 念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説と云云

 そして、かねてから大聖人が各宗の教義の誤りを破折して言われていた「念仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説」との、いわゆる「四箇の格言」を示され、その立場から立正安国論を執筆し、「念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に天下に災難頻(しき)りに起り剰(あまつさ)え他国より此の国責めらる可きの由」を述べたのであると言われている。
 立正安国論は、文面では法然の浄土宗しか挙げて破折されていないが、その元意は、あくまで諸宗の代表として挙げたことが、この御文から拝せられるのである。
 ここで「四箇の格言」をそれぞれの内容に即してみておきたい。
「念仏は無間地獄の業」とは、一般に仏を念ずることを「念仏」というが、特に阿弥陀仏の名号を称え、念ずること、また更にはこの阿弥陀を念じ「南無阿弥陀仏」と唱えることのみが「正行」であるとする法然の浄土宗のことである。この法然の念仏宗の信仰は無間地獄に堕ちる業因になるということが「念仏は無間地獄の業」と言われる意である。
 念仏宗(浄土宗)は中国浄土教の曇鸞(四七六年~五四二年)・道綽(どうしゃく)(五六二年~六四五年)・善導(六一三年~六八一年)の、念仏以外は雑行であるから、救われる者は千人の中に一人もいない(千中無一)と主張したのを受けて、日本浄土宗の開祖・法然(一一三三年~一二一二年)が、法華経などの諸経は末法の衆生の機根に合わないとして、「捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)て」(捨閉閣抛)と否定し、捨てるよう人々に勧めて立てられた宗派である。このゆえに大聖人は法華経譬喩品第三の「若(も)し人は信ぜずして 此の経を毀謗(きぼう)せば(中略)其の人は命終(みょうじゅう)して 阿鼻獄に入(い)らん」(『妙法蓮華経並開結』一九八㌻ 創価学会刊)との仏説を根拠に、そうした法華経誹謗の邪説に従って念仏宗を信じる者は阿鼻地獄(無間地獄)に堕ちるとされたのである。
「禅宗は天魔の所為」とは、禅宗は仏法を破壊する天魔の所為である、ということである。禅宗は、釈尊が入滅の直前、黙って花を拈(ひね)って一座の大衆に示した時、迦葉だけがその意味を悟って破顔微笑したといい、こうした、言葉によらないで釈尊から迦葉へ伝えられたとする。ゆえに「教外別伝・不立文字」と主張し、一切経の外に伝えられた最上の法門であるとして、経文(一切経)は月をさす指であり、禅は月のごとくで、月を知れば法華経等の指は不要であるとする。
 このように仏説である経文を捨て去る行為は、涅槃経巻七に「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」とあるように、仏法を破壊する天魔(第六天の魔王)の振る舞い以外のなにものでもないゆえに「天魔の所為」といわれているのである。
「真言は亡国の悪法」とは、真言宗を信じ、真言宗が一国に広まると、必ず国が亡びる、ということである。日本の真言宗の開祖・弘法大師空海(七七四年~八三五年)は、法華経は大日経と比べれば三重の劣、戯論(けろん)の法であると誇り、釈迦仏を大日如来に比較すると、無明の辺域であると悪口し、下している。
 このように、本来の教主である釈尊を倒して理仏(理上の架空の仏)にすぎない大日如来を立て、真実を説いた法華経を卑しめ大日経を尊ぶことは、本来の主人を差し置いて無縁の主を立てることであるから、「真言は亡国の悪法」であると断じられたのである。
「律宗は国賊の妄説」とは、律宗を信じ、弘める人は国を破壊に導く国賊であり、律宗は国賊の邪説である、ということである。当時の律宗は、極楽寺良観(忍性)の師・叡尊が、本来、持戒を主とした律宗に、真言の祈禱を加えた真言律宗として再興したもので、良観自身、二百五十戒の戒律を持(たも)っていると自己宣伝し、戒律を持つ人は国の宝であると主張していたのである。
 このことから大聖人は、国宝などであるわけがなく、むしろ、国を滅ぼす賊、すなわち「国賊」であると破折されたのである。なお、「四箇の格言」は四宗の邪義それぞれの特徴をピックアップされたものであり、厳密にいえば、四宗いずれも「無間地獄の業」「天魔の所為」「亡国の悪法」「国賊の妄説」であることを銘記したい。

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