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平左衛門尉頼綱への御状・第三章 式目を挙げ対決の公許を求む

          平左衛門尉頼綱への御状

       第三章 式目を挙げ対決の公許を求む

本文(一七一㌻八行~一七二㌻終)
 御式目を見るに非拠(ひきょ)を制止すること分明なり、争(いか)でか日蓮が愁訴に於ては御叙(もち)い無らん豈(あに)御起請の文を破るに非ずや、此の趣を以て方方(かたがた)へ愚状を進(まい)らす、所謂鎌倉殿・宿屋入道殿・建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺・多宝寺・浄光明寺・弥源太殿並びに此の状合せ十一箇所なり、各各御評議有つて速かに御報に預るべく候、若(も)し爾(しか)らば卞和(べんか)が璞(あらたま)磨いて玉(ぎょく)と成り法王髻中(けちゅう)の明珠(みょうしゅ)此の時に顕れんのみ、全く身の為に之を申さず、神の為君の為国の為一切衆生の為に言上せしむるの処なり件(くだん)の如し、恐恐謹言。
  文永五年戊辰十月十一日       日 蓮  花 押
   平左衛門尉殿

通解
 貞永式目を見るに、正しくない行いを為政者が制止すべきことは明らかである。どうして日蓮が国を憂えて訴えていることを用いないのであろうか。これは式目の御祈請文を破ることになるではないか。この趣をもって諸方へ書面を進上した。鎌倉殿(執権・北条時宗)、宿屋入道殿、建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏殿、長楽寺、多宝寺、浄光明寺、弥源太殿、並びにこの状と合わせて十一か所である。各(おのおの)御評議あって、速やかにその結果の御返事に預かりたい。
 もしそうであるならば(対決が許されるならば)卞和(べんか)の璞(あらたま)が磨かれて玉となり、法王の髻(もとどり)の中の明珠が顕れるようなものである。これは全く自身のために申すのではなく、神のため、君のため、国のため、一切衆生のために言上するのである。恐恐謹言。
  文永五年戊辰十月十一日       日 蓮  花 押
   平左衛門尉殿

語訳
御式目
 鎌倉幕府の根本となった法典・貞永式目のこと。貞永元年(一二三二年)に執権・北条泰時(やすとき)が中心となって制定した。御成敗式目ともいう。全五十一条から成る。

卞和(べんか)が璞(あらたま)
 卞和は中国・周代の楚の人。卞邑(べんゆう)出身の和氏(かし)のこと。韓非子(かんぴし)・和氏篇によると荊山で玉璞(ぎょくはく)(玉になる原石)を得て厲王(れいおう)に献上した。王が玉人に鑑定させたところ、ただの石というので、王を欺く者として左足を切られた。厲王の没後、即位した武王にも同様に璞を献上したが、またも石と鑑定されて右足を切られた。その後、文王が即位すると楚山の下で璞を抱いて三日三晩泣き明かし、ついに血涙を出した。文王がこれを知り理由を問うて璞を得、磨かせたところ、はたして宝玉であったため、これを「和氏の璧(たま)」と名付けて天下に尊ばれた。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が十五の城と交換したいと言ったので「連城の璧」とも称された。ここでは類いまれな名玉でさえ認められない故事を挙げて、最上真実の法華経を危急存亡のときでさえ国は用いようとしないことに譬えられている。

髻中(けちゅう)の明珠(みょうしゅ)
 法華七喩の第六。法華経安楽行品第十四に説かれる髻中明珠(けちゅうみょうしゅ)の譬え。転輪聖王(てんりんじょうおう)の頂上の髻(まげ)の中にある無上の宝珠のことで、同品には「如(も)し勇健(ゆごん)にして 能(よ)く難事を為すこと有らば 王は髻中(けちゅう)の 明珠(みょうしゅ)を解いて之れを賜わん」(『妙法蓮華経並開結』四四五㌻)とある。明珠とは法華経のことであり、末法今時においては、南無妙法蓮華経の御本尊をさす。

講義
 本段では、鎌倉幕府の基本となった貞永式目の精神を指摘して、大聖人の訴えを容れ公場対決を実現するよう迫られている。

 御式目を見るに非拠(ひきょ)を制止すること分明なり、争(いか)でか日蓮が愁訴に於ては御叙(もち)い無らん豈(あに)御起請の文を破るに非ずや

 貞永式目は貞永元年(一二三二年)、将軍頼経の時に、執権・北条泰時が中心となって制定した鎌倉幕府の法典である。御成敗式目・関東武家式目ともいう。 
 武士のあいだで行われてきた慣習法や、源頼朝以来の裁決の先例を参考にして作成されており、武家法の確立を目指したものである。内容は所領、罪科、決罰など五十一か条からなり、当初は幕府支配下の土地の御家人・土民が対象であったが、後に公家や寺社にも適用された。
 この式目を見れば、「非拠」すなわち正しくない行為を制止すべきことを為政者の責務としていることから、亡国の元凶である謗法の諸宗を禁ずべきであると言われているのである。そして、大聖人の「愁訴」、すなわち国を憂えての訴えを、どうして取り上げないのか、取り上げなければ式目の起請文を破ることになろう、と言われている。
「御祈請の文」とは式目の末尾にある誓いの文のことである。その末文には「もし一事といへども曲折を存じ違犯せしめば(中略)神罰・冥罰をおのおの罷(まか)り蒙(こうむ)るべきなり。よつて起請、件(くだん)の如し。貞永元年七月十日」とあり、その下に執権、連署、そして評定衆等十一人が署名加判している。
 つまり大聖人は、頼綱に対し、式目の条文、起請文通り大聖人の訴え、諌暁を取り上げて、正しく対応するよう求められているのである。そして、同趣旨の諫状を「鎌倉殿・宿屋入道殿・建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺・多宝寺・浄光明寺・弥源太殿並びに此の状合せ十一箇所」へ送ったことを述べられている。十一か所の宛先名を明かされているのは平左衛門尉が、当事者たちを執権のもとに集め、評定を行い、どうするかを決めたうえで推進役となりうる立場にあると見られたからであろう。ゆえに「各各御評議有つて速かに御報に預るべく候」と、評議のうえ、一日も早く公場対決の公許(幕府の許可)を図るよう要望されている。

 若(も)し爾(しか)らば卞和(べんか)が璞(あらたま)磨いて玉(ぎょく)と成り法王髻中(けちゅう)の明珠(みょうしゅ)此の時に顕れんのみ

 もし公場対決が実現すれば、大聖人の言っておられることの正しさが明らかとなり、日本の国を守るうえで大きな契機となることを、中国の故事ならびに法華経の譬を用いて説諭されている。
「卞和が璞」とは、韓非子・和氏(かし)篇にある故事である。同書によれば、卞和は周代の楚(そ)の人で、璞(粗石)を発見し、楚の厲王(れいおう)に献上したが、ただの石と鑑定され、王を欺く者として左足を切断された。その後、武王に献じたが、同じく偽りとされ、右足を切られてしまった。後年、文王が即位し、卞和の璞を磨かせたところ、宝石であることが認められた。
 ここでは日蓮大聖人が卞和に当たり、仏法の正義が天下に明らかになることが〝璞が玉と成る〟に当たると拝される。
「法王髻中の明珠」とは、法華経安楽行品第十四に説かれる髻(もとどり)の中に大切にしまってある無上の宝珠のことである。「法王」すなわち転輪聖王が、戦いにおいて最も勲功のあった者にのみ与えるとされたもので、法華経を「髻中の明珠」に喩えられている。
 したがって「法王髻中の明珠此の時に顕れんのみ」とは、法華経の正法が天下に明らかになるということで、平左衛門尉が公場対決の実現に尽くすならば、卞和の璞に喩えられ、法王髻中の明珠に比せられる正法の偉大さを天下に明らかにするうえでの機縁を平左衛門尉が作ったことになるとの仰せである。
 最後に「全く身の為に之を申さず」と、大聖人個人の保身のための訴状でなく、あくまで「神の為君の為国の為一切衆生の為に言上」しているのであり、それはこれまで述べてきた通りであると、救国救民の大慈大悲の胸中を重ねて明かされ、本書を締めくくられている。

出典『日蓮大聖人御書講義』第四巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                平左衛門尉頼綱への御状 ―了―

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