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蓮盛抄(禅宗問答抄)第十一章 一字不説への固執を破して結ぶ

           蓮盛抄(禅宗問答抄)

      第十一章 一字不説への固執を破して結ぶ

本文(一五四㌻三行~一五四㌻終)
 禅宗云く法華宗は不立文字(ふりゅうもんじ)の義を破す何故ぞ仏は一字不説(いちじふせつ)と説き給うや、答う汝楞伽経(りょうがきょう)の文を引くか本法自法(ほんぽうじほう)の二義を知らざるか学ばずんば習うべし其の上彼(か)の経に於いては未顕真実と破られ畢(おわ)んぬ何ぞ指南と為(せ)ん。
 問うて云く像法決疑経(ぞうぼうけつぎきょう)に云く「如来の一句の法を説きたもうを見ず」云云如何(いかん)、答う是は常施菩薩(じょうせぼさつ)の言なり法華経には「菩薩是の法を聞いて疑網(ぎもう)皆已に除く千二百の羅漢悉(ことごと)く亦当(またまさ)に作仏すべし」と云つて八万の菩薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し聴聞随喜す、常施一人は見えず何(いず)れの説に依る可き法華の座に挙ぐる菩薩の上首の中に常施の名之無し見えずと申すも道理なり、何(いか)に況や次下に「然るに諸の衆生出没(しゅつもつ)有るを見て法を説いて人を度す」云云、何ぞ不説の一句を留(とど)めて可説の妙理を失う可(べ)き、汝が立義(りゅうぎ)一一大僻見(びゃっけん)なり執情(しゅうじょう)を改めて法華に帰伏す可し、然らずんば豈無道心に非ずや。

通解
 禅宗がいう。法華宗は文字を立てずとの義を破っているが、なにゆえに仏は「一字も説かない」と説かれたのか。答える。汝は楞伽経の文を引用するのか。本住法(ほんじゅうほう)と自証法(じしょうほう)の二義を知らないのか。学んでいないのならば習いなさい。そのうえ、その楞伽経について仏はついて仏は「未だ真実を顕さず」と破られている。どうして楞伽経を指南としてよいであろうか。
 問うていう。像法決疑経に「如来が一句を説かれたのを見ない」とある。どうか。答える。これは常施菩薩の言葉である。法華経には「菩薩はこの法を聞いて、それまで捕らわれていた疑いの網をすべて既に除くことができた。千二百の阿羅漢もすべてまた作仏(さぶつ)するであろう」といって、八万の菩薩も千二百の阿羅漢もすべて会座(えざ)に列し聴聞し随喜した。常施菩薩一人は見えなかった。どの教説によるべきか。法華経の会座に挙げる菩薩の上位者のなかに常施菩薩の名はない。「如来が一句の法を説かれたのを見ない」というのも道理である。まして法華経の次下に「しかし、もろもろの衆生が迷苦を出たり没したりするのを見て、法を説いて人を救う」とある。どうして「説かない」の一句を留めて、「説くべし」の妙理を失うのか。汝の言い分は一々に誤った見解である。誤りにとらわれた心を改めて法華に帰伏しなさい。そうでないならば、無道心ということではないか。

語訳
一字不説(いちじふせつ)
「一字を説かず」と読む。楞伽経巻三・一切仏語心品の三に大慧菩薩が仏に「世尊の所説は正覚から入涅槃に至るまで、その中間では一字も説かなかった」(取意)とあることによったもので、禅宗では、諸仏が証得した法の内容は甚深(じんじん)であるから文字・言語では表さない、すなわち仏の説法は対人的に仮に説かれたもので、悟りからみれば一字も説いていないということであると説明している。

本法自法(ほんぽうじほう)の二義
 本住法(ほんじゅうほう)と自証法(じしょうほう)のこと。本住法は法界に遍満(へんまん)する不変不改の法・真理であり、自証法は仏が自ら証得した法・真理をいう。本住法とは本有常住(ほんぬじょうじゅう)の法のこと。仏の自ら行ずる道、および所詮の実相の理がともに本有無作(ほんぬむさ)にして不変不改であることをいう。大乗入楞伽経(だいじょうにゅうりょうがきょう)巻四無常品に仏が正覚を成就してから涅槃に至るまでの中間(ちゅうげん)に一字も法を説かず、已(すで)に説かず、また未来も説かないであろう、と説き、その理由として、「云何(いか)なるか本住法、謂(い)わく法の本性は金等の鉱に在るが如く(中略)譬えば人あって曠野(こうや)の中を行くに、古城に向かいて平坦の旧道を見、すなわち随い入りて止息(しそく)し遊戯(ゆうげ)するが如し」と述べている。摩訶止観巻五下にこれを釈して「本住法とは古先の聖道、法界常住を謂(い)う。道は城に趣くが如し、道は人の行く為にして、行く者が道を作るには非ず、城は道に由って至る。至る者が城を作るには非ざるなり」とある。自証法は仏の智慧によって自ら証得した不可思議の法・真理をいう。仏が自ら証得したその法とは本住法に即した真理である。
〈追記〉
 真理は不変常住で、仏はそれを明らかにしただけのことで、勝手に説いたものは一つもない。すなわち不変の真理は仏の創作ではないことを強調して「一字を説かず」としたのである(本住法)。仏はその本住法に即した真理を自ら証得したのであり、それを言葉に置き換えて八万四千の法蔵と為し、五時八教に分けて説法した(自証法)。禅宗はその立て分けを知らず、楞伽経の文を我見で判断し「不立文字」などといい、仏の教説を無視している。「学ばずんば習うべし」、まず本住法と自証法の区別を学びなさい、そうすれば思い当たるであろうと諭されている。

常施菩薩(じょうせぼさつ)
 像法決疑経の対告衆(たいごうしゅ)。釈尊は入滅に際して、跋提河(ばつだいが)のほとりで、常施菩薩の問いに対して、この経を説いたとされる。釈尊はこの経のなかで滅後千年後(像法時代)における仏法衰微の相を挙げ、主に布施行を修するように勧めている。

講義
 本抄を結ぶにあたり、禅宗が固執する一字不説(仏は自身の悟りについては一字も説いていないということ)という言葉について、その真意を明らかにされつつ、これに固執する禅宗を破折されている。最後に「汝が立義(りゅうぎ)一一大僻見(びゃっけん)なり」とこれまで破折されてきた禅宗の教義の一つ一つが大いなる僻見(誤った見方)であると断定され、禅宗の徒に対して、間違った見方への執着と思い入れとを改めた後に法華経に帰伏するように勧められるとともに、もしそうしなければ道心無き者となると戒められて、本抄を結ばれている。
 まず禅宗側が、法華宗は禅宗の不立文字の教義を破るが、仏は自ら「一字も説かず」と述べられている。この言葉についてはどのように考えるのかと問うている。禅宗側は、この一字不説について、仏の悟りはもともと人の思考や言葉を超えているので、たとえ仏がどれほど多数の言葉で衆生に説法したとしても、悟りそのものについては一言も一字も説いていないという意味であると解釈し、それゆえ「教外別伝・不立文字」であり「仏祖不伝」であると考えているのである。
 これに対して、大聖人はその一字不説という言葉は楞伽経の文から引いてきたのかと反対に詰問され、同経には「一字不説」という理由として本法・自法の二義が挙げられているが、そのことを学ぶべきであると諭(さと)されている。つまり、楞伽経で「一字も説かず」といったのは、本住法すなわち、真理は不変常住で、仏はそれを明らかにしただけのことで、勝手に説いたものは一つもないとの意なのである。更に、「自証法」すなわち仏の内証の真実ということからいえば、楞伽経はあくまで「四十余年未顕真実」(『妙法蓮華経並開結』二九㌻ 創価学会刊)として破られた爾前経にすぎないから、どうしてこの経を指南することができようかと論難されている。
 この大聖人の答えに対して、禅宗側が一字不説に類似した言葉は楞伽経にあるだけではなく、像法決疑経にも「如来が一句の法ですら説いたのを見たことがない」(取意)という意味の言葉があることを述べ、これについてはどうかと問い返している。
 これに対して、大聖人は問者が引用した像法決疑経の言葉は常施菩薩の言葉であると述べられ、その常施菩薩の名は法華経の会座で釈尊の説法を聴聞して随喜して成仏した八万の菩薩の代表の中には記されていないことを指摘され、法華経に列(つらな)らなかった常施菩薩が「如来の一句の法を説きたもうを見ず」と言っているのは当然であると答えられている。すなわち、釈尊が自証の法を明かしたのは独り法華経においてであるから、仮に像法決疑経が涅槃経の結経だとしても、法華経の会座に出席しなかった常施菩薩が、このように言ったとしても何の不思議もないということである。
 ましてや、常施菩薩の言葉の後の方で、もろもろの衆生が生死の迷いの世界に誕生したり亡くなったりしている姿を見て、法を説き人々を済度するという文があることを紹介され、〝法を説く〟との言葉が厳然とあるところから、「何ぞ不説の一句を留(とど)めて可説の妙理を失う可き」と破られている。すなわち、どうして「一字不説」の」一句にだけこだわって、せっかく言葉で説くと明言されているのかを隠して、妙法の真理への人々の眼をふさいでよいのであろうかと破られている。
 最後に「汝が立義一一大僻見なり」と述べられ、これまでの問答をとおして明らかとなった禅宗の教義の一つ一つが大きな誤った見解であると断定されている。そして、禅宗がその誤った見解への執着とこだわりとを改めて法華経に帰伏すべきことを勧められ、もし帰伏しなければ求道心無き者になってしまうと戒められて、本抄の結びとされている。

出典『日蓮大聖人御書講義』第三巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                  蓮盛抄(禅宗問答抄)―了―

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