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蓮盛抄(禅宗問答抄)第八章 重ねて禅宗の天魔・外道なるを明かす

           蓮盛抄(禅宗問答抄)

     第八章 重ねて禅宗の天魔・外道なるを明かす

本文(一五三㌻一行~一五三㌻六行)
 禅宗云く仏祖不伝云云、答えて云く然(しか)らば何ぞ西天(さいてん)の二十八祖東土の六祖を立つるや、付属摩訶迦葉の立義(りゅうぎ)已に破るるか自語相違は如何(いかん)、禅宗云く向上の一路は先聖不伝(せんしょうふでん)云云、答う爾(しか)らば今の禅宗も向上に於ては解了(げりょう)すべからず若(も)し解(さと)らずんば禅に非ざるか凡(およ)そ向上を歌つて以て憍慢(きょうまん)に住し未だ妄心を治せずして見性(けんしょう)に奢(おご)り機と法と相乖(そむ)くこと此の責尤(もっと)も親(ちか)し旁(かた)がた化儀を妨(さまた)ぐ其の失(とが)転(うたた)多し謂(いわ)く教外(きょうげ)と号し剰(あまつ)さえ教外を学び文筆を嗜(たしな)みながら文字を立てず言と心と相応せず豈(あに)天魔の部類・外道の弟子に非ずや。

通解
 禅宗が仏爼は伝えずという。答えていう。それではどうしてインドの二十八祖・中国の六祖を立てるのか。大梵天王問仏決疑経の摩訶迦葉に付嘱したという立義が既に破れるではないか。自らの言葉のうちで相違しているが、どうか。
 禅宗がいう。向上の一路である悟りは先代の聖人も伝えずということである。答える。そうであるならば今の禅宗も向上の一路においては悟ることができないわけである。もし悟らなければ禅ではないだろう。およそ向上の一路を歌って慢心に住し、未だ妄心を治せないのに、わが心性を見れば仏であると奢(おご)り、衆生の機根と仏の法と乖離(かいり)することに対し、この責めは最も大きく、いずれにしても仏の真実の化導を妨げる。その過失はますます多い。すなわち教外といいながら、そのうえ教外を学び、文筆を好んで親しみながら文字を立てないという。言葉と心と相応しない。まさに天魔の眷属であり外道の弟子ではないか。

語訳
仏祖不伝
 仏や祖師に依らず禅によって仏の真意を悟ること。「不伝の言」ともいう。禅宗では教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)といって経論の文字にも仏祖にも依らずに禅を修することによって法門を悟るとする。その一方で西天の二十八祖、東土の六祖の相伝を立てていることは自語相違となる。

西天の二十八祖
 インドの禅宗を伝えた二十八人の僧。中国の契嵩(かいすう)の伝法正宗記巻四(※)によると、付法蔵二十四人と婆舎斯多(ばしゃした)・不如密多(ふにょみつた)・般若多羅(はんにゃたら)・菩提達磨(ぼだいだるま)を合わせて二十八祖とする。
〈追記〉
「伝法正宗記」は、北宋初期の禅僧・契嵩(かいすう)(一〇〇七年‐一〇七二年)の撰で、嘉祐六年(一〇六一年)成立。当時の伝法相承の系譜に疑義をもち、これを正そうとしたといわれる。それまでの伝法相承の系譜というと、中国禅宗の第六祖・慧能(六三八年~七一三年)の説法集である六祖壇経があり、師子比丘を第二十三祖に数え、次に㉔婆舎斯多・㉕優波掘多・㉖婆須密多・㉗僧迦羅叉・㉘菩提達磨の五人の名を連ねてあり、伝法正宗記による系譜とは大きく異なる。なお、北宋の景徳元年(一〇〇四年)に真宗に上進し,勅許によって入蔵された景徳伝灯録がある。

東土の六祖
 中国で禅宗を伝えた六人の高僧。①菩提・②慧可・③僧璨(そうさん)・④道信・⑤弘忍・⑥慧能をいう。
〈追記〉
 上記は正確にいうと〝南宗禅の系譜〟である。中国の禅宗は、第五祖・弘忍の門下から神秀(六〇六年~七〇六年)、慧能(六三八年 ~七一三年)の二人の禅僧が出て、禅の流れが分岐した。慧能は弘忍から印可証明を得て法を継ぎ,衣鉢を受けて南の地域に行き,そこに禅を広めたので南宗禅といい、日本の禅宗はすべてこれに属する。南宗禅は慧能の「六祖壇経」の教義を基盤とした。一方、神秀は弘忍のもとを去り,北の地域で禅を広めたので北宗禅という。神秀は則天武后に招かれ洛陽へ入って、武則天、中宗、睿宗の「三帝の国師」となった。日本にも道璿(どうせん)(七〇二年~七六〇年)によって伝えられ、日本天台宗の開祖・伝教大師最澄も師の行表(ぎょうひょう)から北宗禅の思想を受け継いでいる。しかし会昌五年(八四五年)、武宗による会昌の廃仏で弾圧を受け、北宗禅は廃絶してしまう。南宗禅は翌年の武帝の死後、唐代から宋代にかけて五家七宗と呼ばれるまでに隆盛した。現在に伝わる全ての禅宗は、ここから派生したとされている。

向上の一路
 禅宗では向上の一路とは絶対の悟りの境地に達する一筋の道としている。すなわち、上根・中根・下根の衆生に、禅法を悟らせるための法門をそれぞれ向上・機関・理致(りち)と呼び、そのうち、上根の衆生に言語・思慮の及ばぬ最上の悟りを得させることを向上というとしている。

先聖不伝(せんしょうふでん)
 先代の聖人から伝えられない、との意。先聖は、その人よりも前に出現した聖人をいう。

見性(けんしょう)
 自己の心性に本来具有する仏性を徹見して、自己の本性が仏性そのものであると覚知し、迷いを破って悟りを得ることをいう。六祖大師法宝壇経(※)などに説かれている。
〈追記〉
 六祖大師法宝壇経は「経」とあるが、中国禅宗の第六祖・慧能の説法集である。六祖壇経と略す。唐の関耀元年 (六八一年)頃成立。北宗禅に対して南宗禅の立場を明確に示したもの。同門の筆頭弟子で慧能の兄弟子であったが、袂を分かって北宗禅の祖となった神秀の詩句を批判して「見性成仏」を説明している。異本が多数ある。

講義
 ここでは、「仏祖不伝」という禅宗の主張を破折されている。
 仏祖不伝というのは、禅を修することにより独(ひと)り悟るという教義に基づくもので、仏の悟りは仏自身や祖師からは伝わらず、禅の瞑想によって直接的に修行者自身の心を悟ることによって得られるというものである。
 これに対して大聖人は答えのなかで、釈尊は悟りを摩訶迦葉に伝えたとする教義との自己矛盾を突いて破折されている。
 すなわち、仏祖不伝というならば、どうして禅宗はインドに二十八祖師、中国に六祖師の系譜を立てる必要があるというのかと批判され、また仏祖不伝というならば、仏の悟りの法門が仏から摩訶迦葉に付嘱されたという禅宗の立義(りゅうぎ)自体が破れるではないかと指摘して、自語相違、すなわち自分の言った語が前と後で違っているという矛盾を突かれている。
 それに対し、禅宗側では「向上の一路は先聖不伝(せんしょうふでん)」と言い逃れようとする。向上の一路というのは〝上に向く〟すなわち仏の言語も思慮も及ばない絶対的な境地(〝上〟)に到達せんとして修行する一筋の路ということである。もともと禅宗では、上根・中根・下根の衆生に応じて悟らせるための法門を、それぞれ向上、機関、理致(りち)と呼んでおり、ここでの「向上の一路」は上根の衆生のための法門であるとする。
 つまり、上根の衆生には経典や先達(せんだつ)からの伝承によらずに、禅による修行のみによって一筋に言語・思慮の及ばない悟りの境地に到達する道を示すというのである。その道は〝先聖不伝〟すなわち先代の聖人たちも伝えうるものではないというのが禅宗の言い分である。先の「仏祖不伝」と同じ考え方である。
 これに対して大聖人はまず、先代の聖人から伝えられていないならば、そのように言っている現在の禅宗においても、向上の一路についてはだれも理解したり納得することができないではないかと反論され、もし理解や納得ができなければそれは禅といえないのではないかと問い詰められている。
 次いで「凡(およ)そ向上を歌って以て……」以下の御文では、総じて禅宗が根本的にもっている奢(おご)りと驕慢(きょうまん)の本質を抉(えぐ)られている。
 すなわち、言葉のうえでは「向上の一路」ということを言いながら驕慢にとらわれ、迷いに執着する迷妄の心を対治しないままで仏性を見て成仏できるなどという奢りに堕しており、それは言い換えれば、衆生の機根と法(真理)とが背き合ったままであることが禅宗の陥っている過ちの根本であると断じられている。
 更に、禅宗の邪義は、単に自語相違しているにとどまらず、仏法の化儀(衆生を教化する道)を遮(さえぎ)っているのであり、その罪科を挙げれば多数にのぼると述べられ、具体的に指摘されている。
 一つは「教外(きょうげ)と号し剰(あまつ)さえ教外を学び」とあるように、教外別伝といって一代聖教をないがしろにしながら、その教外である禅を修学していること、これは、仏の教えを伝え、弘める真実の仏法の化儀を遮(さえぎ)ることになる。また、文筆を嗜(たしな)みながら「文字を立てず」(不立文字)などということは、経の文字によって伝えられた仏教以外のものに心を向けさせるもので、これも仏法の化儀を遮ることになる。このように、言葉と心とが相応せず、仏法の化儀、弘通(ぐづう)を妨げるのは、まさに天魔の類であり、むしろ外道の弟子というべきであると、厳しく呵責されている。

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