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蓮盛抄(禅宗問答抄)第一章 禅宗の根本の教えを破る

          蓮盛抄(禅宗問答抄)

        第一章 禅宗の根本の教えを破る

本文(御書全集一五〇㌻初~一五〇㌻六行)
 禅宗云く涅槃の時・世尊座に登り拈華(ねんげ)して衆に示す迦葉・破顔微笑(はがんみしょう)せり、仏の言く吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・涅槃の妙心・実相無相・微妙(みみょう)の法門有り文字を立てず教外(きょうげ)に別伝し摩訶迦葉(まかかしょう)に付属するのみと、問うて云く何(いか)なる経文ぞや、禅宗答えて云く大梵天王問仏決疑経の文なり、問うて云く件(くだん)の経何(いず)れの三蔵の訳ぞや貞元(じょうげん)・開元(かいげん)の録の中に曾(か)つて此の経無し如何(いかん)、禅宗答えて云く此の経は秘経なり故に文計(ばか)り天竺より之を渡す云云、問うて云く何(いず)れの聖人(しょうにん)何れの人師の代に渡りしぞや跡形無きなり此の文は上古の録に載せず中頃より之を載す此の事禅宗の根源なり尤(もっと)も古録に載すべし知んぬ偽文(ぎもん)なり。 

通解
 禅宗ではいう。世尊が涅槃の時、法座に登り、華(はな)を拈(ひね)って弟子たちに示した。迦葉だけが顔をほころばせ微笑した。仏は「私に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・涅槃の妙心・実相無相・微妙(みみょう)の法門がある。文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付属するのみ」と言われた。
 問うていう。これはどの経文に出ているのか。禅宗が答えていう。大梵天王問仏決疑経の文である。
 問うていう。その経は何という三蔵の訳なのか。貞元釈教録や開元釈教録の中に全くこの経は載っていない。禅宗が答えていう。この経は秘経である。ゆえにただ経文だけを天竺(インド)から中国に渡したのである。
 問うていう。いずれの聖人、いずれの人師の世に渡ったのか、その跡形もないのである。この経文は上古の目録に載せておらず、中古から載せられている。この経文は禅宗の根源であるから、最も古い目録に載っていなければならない。それがないことから、大梵天王問仏決疑経は偽経であることが分かる。

語訳
禅宗
 菩提達磨(ぼだいだるま)所伝の禅定観法によって悟りに至ろうとする宗派。仏法の真髄は教理の追求ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)・直指人心(じきしにんしん)・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)という謬義(びゅうぎ)を立てる。大聖人御在世当時は、大日房能忍と弟子の仏地房覚晏(かくあん)の弘めた臨済禅の流れで、楊岐(ようぎ)派に属す大慧派の拙庵徳光から印可された看話禅(かんなぜん)が盛んであった。能忍の死後、鎌倉時代に栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を、江戸時代には明僧隠元が黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた。

涅槃の時・世尊座に登り……摩訶迦葉(まかかしょう)に付属するのみ
 大梵天王問仏決疑経にある文。釈尊が涅槃の時、黙って花を拈(ひね)り聴衆に示した際、魔訶迦葉だけが顔をほころばせ微笑した。そこで、釈尊は、己心に秘めた微妙の法を魔訶迦葉のみに付嘱したとされる。もっともこの大梵天王問仏決疑経は偽経である。
〈追記〉
 中国で創作された「拈華微笑(ねんげみしょう)」の説話。「禅宗の起りを説く故事、公案の一つ。以心伝心、不立文字の意。唐代に萌芽があり、宋代に定型化される」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「拈華微笑」の項より一部抜粋)と解されている。

拈華(ねんげ)
 華を拈(ひね)ること。この花は金波羅花(こんぱらげ)とされる。
〈追記〉
 金波羅花は出典不祥で、いかなる花か不明。道元著「正法眼蔵」第六十四に「世尊、優曇華を拈じ」とあり、三千年に一度咲く優曇華(うどんげ)とするが、同じく出典不祥。

迦葉(かしょう)
 梵名マハーカーシャパ(Mahākāśyapa)の音写・摩訶迦葉(まかかしょう)の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光(だいおんこう)と訳す。釈尊の十大弟子の一人。バラモンの出身。王舎城で釈尊と出会い、弟子となって八日目に悟りを得たという。衣食住等の欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、弟子のなかでも頭陀(ずだ)第一と称される。釈尊滅後、付法蔵の第一として、王舎城外の畢鉢羅窟(ひっぱらくつ)で第一回の仏典結集を主宰した。以後二十年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山(けいそくせん)で没したとされる。法華経信解品第四には、須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん)・迦葉・目連の四大声聞が、三車火宅の譬をとおして開三顕一の仏意を領解し、更に舎利弗に対する未来成仏の記別が与えられたことを目の当たりにし、歓喜踊躍したことが説かれ(『妙法蓮華経並開結』二〇八㌻ 創価学会刊)、さらに法華経授記品第六において、迦葉は未来に光明(こうみょう)如来になるとの記別を受け(同・二五六㌻)、他の三人も各々記別を受けた。

正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)
 一切を照らし包む正しい法。眼は照らす、蔵は包含の意。清浄法眼(しょうじょうほうげん)ともいう。禅家の説で、大梵天王問仏決疑経(偽経)に説かれている正法眼蔵の句は仏の所説の無上の正法を意味するとして、教外別伝(きょうげべつでん)の心印としている。中国・宋の道原は景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)巻一の第一祖・摩訶迦葉のなかで、仏は正法眼蔵を迦葉に付嘱した、巻三の第二十八祖・菩提達磨(ぼだいだるま)では迦葉から以心伝心として菩提達磨に至るとしている。

涅槃の妙心
 悟りの心・仏心のこと。大梵天王問仏決疑経の文。煩悩の束縛を脱した仏の悟り(涅槃)は不可思議(妙)な心であるとの意。

実相無相
 実相は諸法の所詮の本体であり根本の意であって、固定した特別の相をもたないこと。実相とはありのままの相のこと。また法性・真如・実性(じっしょう)・不変の理等の意味をもつ。諸法の究極を実相とすることは、あらゆる経に共通しているが、捉(とら)えられた実相がいかなるものであるか、完璧か不完全かは経によって異なりがある。三諦円融の完璧な実相を捉えているのが法華経方便品第二に「諸法実相」(『妙法蓮華経並開結』一〇八㌻ 創価学会刊)と説かれる実相である。法華玄義巻八上には、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の三法印は小乗教の法印(仏教であることを証明する基準・特質の意)であり、大乗教にはただ一つの法印、すなわち諸法実相(すべての存在・現象がそのまま実相それ自体に他ならない)の一実相法印のみがあると説かれている。次に無相とは形や姿が無いこと。有相に対する語。有相が生滅流転する無常なものをあらわすのに対して、無相は差別の相を超越した絶対平等の境界をさす。無相を事象の真実のすがたとして、実相と同義にも用いられる。ゆえに実相無相とつらねて用いられている。

微妙(みみょう)の法門
 深遠(しんえん)、細やかで凡智では到底、知り得ない不可思議なほど優れている教え。細かい点に奥深い意味が含まれていて簡単には表現できないさまをいう。法華経化城喩品第七に「仏智は浄(きよ)くして微妙(みみょう)に 無漏無所碍(むろむしょげ)にして 無量劫を通達(つうだつ)す」(『妙法蓮華経並開結』二七六㌻ 創価学会刊)とある。

文字を立てず教外(きょうげ)に別伝し
 仏の悟り・本意は、文字や言語であらわされた経典や教理によらず、経文の外に以心伝心によって別に伝えられたとする禅宗の教義。「文字を立てず(不立文字(ふりゅうもんじ))」とは真の悟りは経論の語句・文字に依っては示せないとすること。「教外に別伝す(教外別伝(きょうげべつでん))」とは、仏道を伝えるに際して、言語や文字による教説を排して直接ただ心から心へと法を伝えること。禅宗では、仏法の真髄は一切経(教内の法)の外にあり、それは釈尊から摩訶迦葉に文字によらずに伝えられ、その法(教外の法)を伝承しているとし、経文を用いず座禅によって法を悟ることができるとしている。しかし一方では仏教以外の経書を学び、文筆を行い、教義を説くという矛盾を示している。

付属
 付嘱とも書く。教えを広めるように託すこと。嘱累(ぞくるい)ともいい、相承(そうじょう)・相伝と同義。付嘱は付与嘱託(ふよしょくたく)の義。付は物を与えること。嘱は事を託すこと。付嘱の種類は①総付嘱・別付嘱、②弘宣付属(ぐせんふぞく)・伝持付属(でんじふぞく)・守護付属(しゅごふぞく)がある。①は釈尊が法華経の弘通を託したことに総別の二義があること。如来神力品第二十一で、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に釈尊滅後の悪世に法華経の肝要の法を広めることを託したこと(『妙法蓮華経並開結』五七一㌻以下 創価学会刊)、これを別付嘱という。その後、嘱累品第二十二で、その他の無数の菩薩たちにも滅後に法華経を広めることを託したこと(同・五七七㌻以下)、これを総付嘱という。②は日寛上人が選時抄文段で付嘱に三義あると述べたもの。「一には弘宣付嘱。謂(いわ)く、四依の賢聖、釈尊一代所有の仏法を時に随い機に随って演説流布するなり……二には伝持付嘱。謂く、四依の賢聖、如来一代の所有の仏法を相伝受持し、世々相継いで住持するが故なり……三には守護付嘱。謂く、国主・檀越等、如来一代所有の仏法を時に随い、機に随い、能く之を守護して、法をして久住せしむるなり」とある。

大梵天王問仏決疑経
 二巻。訳者不明。仏が正法眼蔵・涅槃妙心・実相無相という法門を摩訶迦葉に付嘱したことが説かれている。これが禅の起源であるとして、禅宗は依経としているが、漢訳仏典の二大目録(開元釈教録・貞元新定釈教目録)に記載がなく、偽経とされる。
〈追記〉
「北宋(ほくそう)代の偽経」(日本大百科全書(ニッポニカ)の「拈華微笑」の項より一部抜粋)とされる。

貞元(じょうげん)・開元(かいげん)の録
 貞元釈教録と開元釈教録のこと。ともに漢訳仏典の目録。貞元釈教録は中国・唐代の円照撰。貞元新定釈教目録の略称。貞元録・貞元入蔵録ともいう。三十巻。開元十八年(七三〇年)に編集された開元釈教録を模範として、これに新訳の諸経などを増補し、後漢・明帝の永平十年(六七年)から唐・徳宗の貞元十六年(八〇〇年)までの七百三十四年間に翻訳・著述された経・律・論の大小三蔵および集伝などの目録で、二四一七部七三八八巻が挙げられている。開元釈教録は智昇(ちしょう)撰。開元録と略す。二十巻。唐の開元十八年(七三〇年)に編集された。後漢の永平十年(六七年)から開元十八年までに翻訳・著述された仏典として一〇七六部五〇四八巻が挙げられている。

講義
 第一章の講義に入る前に、まず本抄全体の背景と大意、構成などについて簡単に触れておきたい。
 本抄は建長七年(一二五五年)、日蓮大聖人、聖寿三十四歳の御時の御述作とされている。建長七年年といえば、大聖人の立教開宗から二年後のことである。その立教開宗において、大聖人は法華経こそ釈尊一代聖教(しょうぎょう)の真髄であり、根幹であることを明らかにされるとともに、法華経の真髄である南無妙法蓮華経こそ末法の時代と人々の機根にかなった大白法であることを宣言されたのである。その立宗と同時に、法華経以外の経典を依りどころとしている既成の宗派を破られたのであるが、なかでも当時の日本において隆昌を誇っていた代表的なのが念仏宗、禅宗、真言宗、律宗の四宗であった。立宗のこの時から、これら四宗すべてに破折を加えられたかどうかは定かでないが、少なくとも、初期の段階から、破折されていたことは明らかで、それが後に、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊という「四箇(しか)の格言」となって結実する。
 さて、本抄は一貫して禅宗を破折された書である。禅宗が根本の依りどころとしている経典をはじめ、その教義の一つ一つについて、具体的に詳細に破られている。当時、禅宗は武士階級に広まり、鎌倉幕府の要人たちも、盛んに禅寺を建立し、高僧たちを招いていた。
 本抄の構成は十六の問答から成り立っており、そこから別名を禅宗問答抄ともいわれる。なお、表題の蓮盛抄(れんじょうしょう)は蓮盛という人物に宛てられた書であるところから名付けられたものとされているが、この人物については明らかなことは分かっていない。また、本抄の御真筆は存在しない。
 第一章でまず、禅宗の成り立ちの根本である拈華微笑(ねんげみしょう)の問題を挙げられ、その主張の依りどころである大梵天王問仏決疑経を巡って三つの問答を重ねられ、結論として偽経であることを明らかにされている。
 今、本文に沿って解説を加えていくと、まず初めに「禅宗云く」として、仏が涅槃、すなわち入滅するにあたって、高座に登って一座の大衆に華(はな)を拈(ひね)って示したが、大衆の誰もがその意味を理解することができなかったなかで、ただ独り大迦葉のみが意味を悟って顔をほころばせて微笑したという。
 それを見て仏は「私には正法眼蔵、すなわち、一代蔵経(一切経)の眼である正法があり、それは涅槃(悟り)の妙心(不思議な心)でもあり、また、実相(森羅万象の真実の相)が相対的な差別の相をもたないこと(無相)を悟った微妙な法門である。その法門は文字を立てず、経典・教説とは別に心から心へ、摩訶迦葉のみに伝授する」と述べたという。禅宗の主張では、これが第二十八祖の達磨(だるま)にまで伝えられ、中国に伝来されたという。まさに禅宗というものの成り立ちの淵源(えんげん)がここに置かれているのである。
 そこで、この禅宗の根本の主張に対し、そのことは、いったいどの経文に述べられているのかと問われる。これに対し、禅宗側は大梵天王問仏決疑経という経典にあると答える。
 その答えに対して、いったいその経典はどのような三蔵が翻釈したものかと問いを発せられ、一切経の目録である貞元録や開元録にもその経典の名が載(の)っていないがどうなのかと問われている。
 これらの目録にないということは中国および日本の仏教界において正式に認められていない経典、いわゆる後世に中国で偽作された経である疑いが濃厚であるということである。これに対して禅宗側は、この経典は秘密の経であるから、文だけがこっそりと天竺(インド)から中国へと伝わったものであると答えている。「文計(ばか)り」ということは、形のある経典としてでなく、その内容だけが口伝えで伝えられたという意味と考えられる。
 これに対して、それにしても、いったいどの聖人やどの人師の時代に伝わったかがはっきりしていなければならないはずで、「上古の録」すなわち、しっかりと仏教が把握されていた唐代の目録にはなく、「中頃」つまり唐が滅亡して後の乱世に、いつのまにか載せられるようになったものは、その出処について信じるに値しないと破られている。「正法眼蔵……文字を立てず教外に別伝し……」の文は禅宗の根源の教えである以上、必ず、中国の一切経の目録のなかでも上古の目録には載っていなければならないはずなのに載っていないのは、おかしいではないかと言われている。達磨(だるま)が中国へやってきたのは隋より前の時代であるから、唐代の目録に載せられていて当然だからである。

 吾に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)・涅槃の妙心・実相無相・微妙(みみょう)の法門有り文字を立てず教外(きょうげ)に別伝し摩訶迦葉に付属するのみ

 禅宗が仏の悟りの内容として立てる大梵天王問仏決疑経の文である。この文のなかに、禅宗の成り立ちの淵源と主張するものが含まれている。
 まず正法眼蔵とは、一切経蔵の眼目という意味であるとともに、正法を体得すると眼のように一切を照らして迷いなく、蔵のように一切を収めてあますところがないということでもある。涅槃の妙心とは仏の悟りの不可思議な心ということである。実相無相とはその正法の内容を表した言葉で、実相すなわち森羅万象の真実の相(すがた)は無相、つまり固定的・実体的な相(すがた)が無いということである。微妙な法門とは、表現しようにもしようのない不思議な法門である、ということである。だから、此の法門を伝えるには言葉や文字を立てず(不立文字)、言葉によって表現した教えの外に、別に心から心へ(以心伝心)と伝えるしかない、というのである。
 こうして仏から摩訶迦葉だけに伝えられた悟りを伝えているのが禅宗であり、したがって、これを悟るには坐禅を組んで黙想する以外ないというのである。

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