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真言見聞・第十八章 文証を引き一世界一仏なるを明かす

              真言見聞

     第十八章 文証を引き一世界一仏なるを明かす

本文(一五〇㌻三行~一五〇㌻終)
 涅槃経の三十五に云く「我処処(しょしょ)の経の中に於て説いて言く一人出世すれば多人利益(りやく)す一国土の中に二の転輪王あり一世界の中に二仏出世すといわば是の処(ことわり)有ること無し」文、大論の九に云く「十方恒河沙(ごうがしゃ)の三千大千世界を名づけて一仏世界と為す是(こ)の中に更に余仏無し実には一(ひと)りの釈迦牟尼仏なり」文、記の一に云く「世には二仏無く国には二主無し一仏の境界(きょうがい)には二の尊号無し」文、持地論(じじろん)に云く「世に二仏無く国に二主無く一仏の境界に二の尊号無し」文。
  七月 日              日 蓮  花 押

通解
 涅槃経の巻三十五に「我は所々の経のなかにおいて説いていう。一人の仏が世に出れば多くの人々を利益する。一国土のなかに二人の転輪聖王が出たり一世界のなかに二仏が世に出るという道理は決してありえない」とある。大智度論の巻九に「十方の恒河(ガンジス川)の砂の数ほどの三千大千世界を一仏世界と名づける。この中に更に余仏はいない。実には唯一人の釈迦牟尼仏である」とある。法華文句記の巻一に「一世界には二仏がなく国には二主がない。一仏の教化する境界には二人の尊号(仏)はない」とある。持地論に「一世界に二仏がなく国に二主がなく一仏の教化する境界に二人の尊号(仏)はない」とある。
  七月 日              日 蓮  花 押

語訳
転輪王
 転輪聖王(てんりんじょうおう)のこと。仏教で説く理想の君主で、武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされ、七宝(輪・象・馬・珠・女・主蔵臣・主兵臣)および三十二相をそなえるという。王はこの輪宝の旋転(せんてん)により一切を感伏せしめ、あらゆる国土の起伏、不平均を均して、一切をみな平等にならしむる徳がある。また、金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王の四種の輪王がいる。倶舎論巻十二によれば、金輪王は人寿八万歳のときに出現し四洲全部を統領している。銀輪王は人寿六万歳のときに出現し東西南の三洲を領し、銅輪王は人寿四万歳のときに出現し東南の二洲を領し、鉄輪王は二万歳のときに出現し南閻浮提一洲を領するといわれる。
〈追記〉
 輪王の所具する七宝のうち主蔵臣とは居士(こじ)ともいい、国家財政を支える富裕な市民とされる。主兵(しゅびょう)臣とは将軍である。

三千大千世界
 略して三千世界ともいう。古代インド人の世界観による全宇宙。須弥山を中心として、その周囲に四大洲があり、そのまわりに九山八海があるが、これが人間の住む世界で一つの小世界という。この世界に日・月・須弥山・四大洲・四天王等々を含む。この世界を千集めたものを小千世界といい、小千世界を千集めたものを中千世界という。一つの中千世界をさらに千集めたものを大千世界と呼ぶ。この大千世界は小・中・大の三種の千世界から成るので三千大千世界という。三千の世界という意味ではなく、千の三乗の数の世界という意味であり、一仏の教化する範囲とされる。

持地論(じじろん)
 十巻あるいは八巻。曇無讖(どんむしん)の訳。正しくは菩薩地持経という。瑜伽師地論(ゆがしじろん)百巻の巻三十五から巻五十に相当する菩薩地の部分を訳したもの。ただし瑜伽師地論巻五十の発正等菩提心品(ほっしょうとうぼだいしんぼん)に相当する部分が欠けている。内容は、菩薩の種性や修行などが説かれている。

講義
 本抄の結びの段である。
 引用されている涅槃経巻三十五の文の内容は、仏はさまざまなところで法を説いてきたが、仏一人この世に出生すると多くの人々を利益するものである、したがって、一国土に二人の転輪王がいたり、一世界に二仏が出生するという道理はないというもので、一世界(一時代)に一仏の原則を示している。次に引用された大智度論巻九の文は、十方恒河沙の三千大千世界が一仏の教化する世界で、そのなかで仏は釈迦牟尼仏唯一であって余仏は存在しないとしている。
 更に、法華文句記巻一の文では、世に二仏はなく、国に二王はないというのが原則であって、一仏によって教化される範囲内には二人の尊号(仏)は存在しないと説いている。最後に菩薩地持経巻三も、同じく、世に二仏はなく、国に二主はないように、一仏が教化する範囲内には二仏はないという文である。
 以上引用された経・論・釈の諸文をとおして、大聖人は一世界には一仏のみが衆生教化にあたり、二仏が存在することはありえないという仏教の鉄則を改めて確認されている。
 この鉄則にしたがう限り、この娑婆世界では釈迦仏のみが衆生を教化するのであり、真言宗のように、釈迦仏のほかに大日如来が現れたとすることは、仏教のこの鉄則を知らないのである。
 本抄で一つ一つ取り上げ破折されたように、真言宗には法華経を三重の劣と下し、大日如来が説いたとする大日経等を最高とし、一念三千は真言経典にもあるとするなど、多くの破折されるべき点があるが、最も根本は釈迦仏とは別に大日如来を真言経典の教主であり、衆生救済の主として立てることにある。
 ゆえに、結びの段で、この二仏の問題を取り上げられるとともに、二仏を立てることは国に二主を立てるのと同じで「亡国」の因となることを示され、本抄冒頭の問いへの答えともされているのである。

出典『日蓮大聖人御書講義』第三巻下(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                       真言見聞 ―了―

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