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真言見聞・第十四章 真言の邪義を五点に絞り疑難す

             真言見聞

      第十四章 真言の邪義を五点に絞り疑難す

本文(一四八㌻一一行~一四八㌻一八行)
 凡(およ)そ真言の誤り多き中
 一、十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云何(いず)れの経論に出でたるや。
 一、善無畏の四句と弘法の十住心と眼前違目(げんぜんいもく)なり何ぞ師弟敵対するや。
 一、五蔵を立つる時・六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云うや。
 一、震旦(しんたん)の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰(ぼしん)の歳に至るまで百九十二年なり何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経の醍醐を盗み給(たま)う可きや顕然(けんねん)の違目なり、若(も)し爾(しか)れば謗人謗法定堕阿鼻獄(ぼうにんほうぼうじょうだあびごく)というは自責なるや。
 一、弘法の心経の秘鍵(ひけん)の五分に何ぞ法華を摂(せつ)するや能(よ)く能く尋ぬ可き事なり。

通解
 およそ真言宗には多くの誤りがあるが、そのなかに、
 一、弘法の十住心の教判に第八は法華経、第九は華厳経、第十は真言経といっているが、どの経論に出ているのか。
 一、善無畏が立てた大日経義釈にある四句教判と弘法の十住心教判とは明白に異なっている。どうして師と弟子が敵対するのか。
 一、五蔵教判を立てる時、(顕教として嫌う)六波羅蜜経の陀羅尼蔵をどうして必ず我が家の真言というのか。
 一、弘法は顕密二経論で「震旦(中国)の人師が争って醍醐を盗む」といっているが年紀が相違するではないか。そのゆえは天台大師入滅の開皇十七年から六波羅蜜経が中国に初めて渡った唐の徳宗の貞元四年戊辰(ぼしん)の年に至るまで百九十二年である。天台大師は自分の入滅百九十二年後に渡ってくる六波羅蜜経の醍醐をどうして盗むことができるのか。この年代の違いははっきりしている。もしそうであれば、弘法が秘蔵法鑰に「謗人・謗法は必ず阿鼻地獄に堕ちる」というのは自己を責める言葉であろうか。
 一、弘法は般若心経秘鍵を著し、般若心経の五分のなかに法華経を収めているが、どうして法華経を入れているのか。よくよく究めるべきである。

語訳
十住心
 弘法が「十住心論」を著して立てた教判。大日経住心品に十種の衆生の心相が説かれているとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の優劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。①異生羝羊住心(いしょうていようじゅうしん)(凡夫が雄羊のように善悪因果を知らず本能のまま悪行をなす心)・②愚童持斎住心(ぐどうじさいじゅうしん)(愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り五戒・十善等を行う心)・③嬰童無畏住心(ようどうむいじゅうしん)(嬰童は愚童と同意で現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心)・④唯蘊無我住心(ゆいうんむがじゅうしん)(唯蘊はただ五蘊〔五陰と同じ〕の法のみ実在するという意で、無我はバラモン等の思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗声聞の住心)・⑤抜業因種住心(ばつごういんじゅじゅうしん)(十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗縁覚の住心)・⑥他縁大乗住心(たえんだいじょうじゅうしん)(他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の立場)・⑦覚心不生住心(かくしんふしょうじゅうしん)(心も境も不生すなわち空であることを覚る三論宗の住心)・⑧一道無為住心(いちどうむいじゅうしん)(一仏乗を説く天台宗の住心)・⑨極無自性住心(ごくむじしょうじゅうしん)(究極の無自性〔固定的実体のないこと〕・縁起を説く華厳宗の住心)・⑩秘密荘厳住心(ひみつしょうごんじゅうしん))(究極・秘密の真理を悟った真言宗の住心。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした)。

善無畏の四句
 善無畏の講述の大日経義釈巻三のなかの四つの句。「唯蘊無我心、覚心不生心、如実知自心、極無自性心」の四つの句をいう。この四句のなかに釈尊一代聖教をすべて摂し尽くしているとしている。すなわち、〝唯蘊無我心は小乗教、覚心不生心は法相宗、極無自性心は華厳宗・三論宗、如実知自心は涅槃経・法華経・大日経に配される〟としている。しかし大日経には二乗作仏ないし久遠実成が説かれず、円融円満の教法である法華経の比ではない。日蓮大聖人は、小乗大乗分別抄で「義釈の四句」等は天台大師の法門を知ったうえで、巧みに邪義を立てたものであり、天台大師の法門を知らなかった南三北七の十師の素朴さに比べて、はるかに邪智に富んでいることから、「南三北七の十師の義よりも尚悞(あやま)れる教相なり」(五二三㌻)と指摘されている。

善無畏の四句と弘法の十住心と眼前違目(げんぜんいもく)なり何ぞ師弟敵対するや
 弘法はその著・十住心論において、中国真言宗の開祖で師匠筋の善無畏の四句を曲解して用いており、師と弟子とが敵として対立している、ということ。「眼前違目」とは、眼の前にあるように相違点が明らかなさま。
〈追記〉
(善無畏の四句)         (弘法の十住心)
唯蘊無我心 …… 小乗教       唯蘊無我住心 …… 小乗声聞
                 他縁大乗住心 …… 法相宗
覚心不生心 …… 法相宗       覚心不生住心 …… 三論宗
                 一道無為住心 …… 天台宗
極無自性心 …… 華厳宗・三論宗   極無自性住心 …… 華厳宗
如実知自心 …… 涅槃・法華・大日  秘密荘厳住心 …… 真言宗
 日蓮大聖人は、十住心の第八・一道無為住心(如実一道心とも呼ぶ)について「住心品に於ては全く文義共に之無し」(一二一㌻)と仰せである。大日経に法華経の文義などはなく、弘法が己義で命名したにすぎない。それも十住心論では「一道無為心」と記しているが、秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)の巻頭には「如実一道心」とあり、さらには「如実知自心」「空性無境心」とも呼び、言葉の選択に迷っている。しょせん、法華経を捉えることができないのであり、そのような名称には何の意義もない。
 大日経には二乗作仏ないし久遠実成が説かれず、円融円満の教法である法華経の比ではないが、善無畏は四句において「如実知自心」の部類に法華・涅槃部および大日経を収め、同格としている。ゆえに、善無畏の弟子・智儼(ちごん)や温古が大日経疏を再治した大日経義疏には「大日経と法華経の仏の本地は同じ」(取意)と定めているのである。しかし弘法は、真言宗の開祖や先達等の説をも無視、敵対し、根拠も挙げず法華経を十住心の第八と下したのである。

五蔵
 一切経を五種に分類したもの。大乗理趣六波羅蜜多経によると、①素怛纜(そたらん)蔵(経蔵。仏の教説を記したもの)②毘奈耶(びなや)蔵(律蔵。戒律を集めたもの)③阿毘達磨(あびだつま)蔵(論蔵。仏の教説を論議注釈したもの)④般若波羅蜜多蔵(慧蔵。仏の智慧を説いたもの)⑤陀羅尼蔵(秘蔵。総持門。呪(しゅ)を説いたもの)をいう。成実諭では経蔵・律蔵・論蔵・雑蔵・菩薩蔵をいうなど、諸説がある。

徳宗
(七四二年~八〇五年)。中国・唐朝第九代皇帝。代宗の長子。即位後、思いきった税法の改革、節度使対策を行ったが、各地で内乱が起こり、成功しなかった。

心経の秘鍵(ひけん)の五分
 心経の秘鍵とは般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)のことで、弘法の著作。般若心経を密教の立場から注釈した書。一巻。このなかで、般若心経の内容を人法総通分、分別諸乗分、行人得益分、総帰持明分、秘蔵真言分の五つに分けている。更に第二の分別諸乗分を五つに分け、第五の「一」の節に法華経・涅槃経等を般若心経に摂入(せつにゅう)している。

講義
 ここではこれまでの真言宗破折のための論議を踏まえ、重ねて真言には多くの誤りがあるが、そのなかでも主要なものとして五点を挙げている。
 その第一は弘法はその著作「十住心論」において、衆生の心の相を十種に分けて説いているのであるが、そのうち、第八・如実一道住心を法華経、第九・極無自性住心を華厳経、第十・秘密荘厳住心を真言に配列している。この立て分けはいったい、どのような経論に出典があるのかという点。
 この点については大聖人は法華真言勝劣事(一二〇㌻)で明らかにされている。この段と関係する範囲で要約して述べると、大日経の住心品には確かに極無自性、秘密荘厳などの名目はあるが、これを各宗、各経に配分する文証はないと言及。更に、如実一道の名目はないのに弘法は、住心品の冒頭に「云何(いか)なるか菩提・謂(いわ)く如実に自心を知る」とあるのを引っぱってきて如実一道という名目を勝手に作り、これを法華経・天台宗に配して、極無自性(住心)の華厳宗の下に配列したのであるとその作為性を指摘されている。
 第二は真言宗の祖師である善無畏は大日経義釈のなかで釈尊一代聖教は、「唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)、覚心不生心(かくしんふしょうしん)、極無自性心(ごくむじしょうしん)、如実知自心(にょじつちじしん)」の四句のなかに収まるとしている。すなわち、唯蘊無我心は小乗教、覚心不生心は法相宗、極無自性心は華厳宗・三論宗、如実知自心は涅槃経・法華経・大日経に配されるとしている。この善無畏の四句記の是非は別にして、弘法が立てた十住心では善無畏の四句とは大いに異なっていることは明らかである。極無自性心の華厳宗はそのままであるが、善無畏が如実知自心に涅槃・法華・大日等を並立させているのに対し、弘法はこれを勝手に分けて勝劣を設け、第八如実一道住心を法華に、第十秘密荘厳住心を大日経等の真言に配しているのである。弘法は善無畏が開いた真言宗の流れを受けた弟子であるから、自らの師である善無畏に敵対する説を主張するのはおかしいではないかと責められている。
 第三は弘法が弁顕密二経論巻下において、六波羅蜜経に説いている五蔵(仏教を五種類の教えに分けたもので、第一経蔵・第二律蔵・第三論蔵・第四慧蔵・第五陀羅尼蔵の五つをさす)を引用し、その第五の陀羅尼蔵を自らの真言密教に配している。これは、六波羅蜜経を顕教として貶(おとし)めながら、自らの真言密教を裏づける根拠とするのは不合理ではないかと責められているのである。
 第四に、弘法が弁顕密二経論で「震旦の人師等、醍醐を争い盗んで、各自宗に名づく」と述べて、暗に天台大師が第五時の法華・涅槃部を醍醐味と名づけたのは六波羅蜜経から盗んだものであると批判している。六波羅蜜経では第一経蔵から第四慧蔵までをそれぞれ乳味・酪味・生酥味・熟酥味の四味に配し、第五の陀羅尼蔵を醍醐味に配しているのであるが、天台大師はこれを盗んだのだと弘法は非難しているのである。これに対して大聖人は、六波羅蜜経が中国に伝来したのは天台大師の滅後百九十二年も経ってからである。つまり天台大師の時代には全く中国に存在しなかった六波羅蜜経の文を、どうして天台大師が盗むことができようかと仰せられている。そして、弘法が秘蔵宝鑰で述べた「人を謗じ法を謗ずれば定めて阿鼻獄に堕して……」という文は、自らを責めて言ったことであろうかと皮肉をこめて断罪されている。
 第五に、弘法は般若心経秘鍵という書物のなかで、般若心経を五つに区分して密教の立場から解釈するなかで、その第二の区分である分別諸乗分のなかに法華経を入れて位置づけている。般若部と法華経とは明らかに別の経であり、しかも法華経は、般若部経典も含めた四十余年の説法を「未顕真実」と打ち破り、その未だ顕さない真実を明かしたのが法華経である。したがって、般若部の経が法華経の一部として位置づけられることはあっても、法華経が般若経の一部に摂(せつ)せられることはありえない。大聖人は、この当然の道理から「能(よ)く能く尋ぬ可き事なり」として、門下に深く誤りを追及するように求められている。

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