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真言見聞・第十二章 法華経最第一の文証を挙げる

             真言見聞

      第十二章 法華経最第一の文証を挙げる

本文(一四七㌻二行~一四七㌻一六行)
 無量義経説法品に云く「四十余年・未顕真実」文、一の巻に云く「世尊は法久(ひさし)くして後要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたもうべし」文、又云く「一大事の因縁の故に世に出現したもう」文、四の巻に云く「薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而(しか)も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「已(すで)に説き今説き当(まさ)に説かん」文、宝塔品に云く「我仏道を為(も)つて無量の土に於て始より今に至るまで広く諸経を説く而も其の中に於て此の経第一なり」文、安楽行品に云く「此の法華経は是れ諸(もろもろ)の如来第一の説なり諸経の中に於て最も為(これ)甚深(じんじん)なり」文、又云く「此の法華経は諸仏如来秘密の蔵(ぞう)なり諸経の中に於て最も其の上(かみ)に在り」文、薬王品に云く「此の法華経も亦復(また)是(か)くの如し諸経の中に於て最も為(これ)其の上なり」文、又云く「此の経も亦復是くの如し諸経の中に於て最も為其の尊なり」文、又云く「此の経も亦復是(かく)の如し諸経の中の王なり」文、又云く「此の経も亦復是の如し一切の如来の所説若(も)しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最為第一なり」等云云。
 玄の十に云く「又・已今当(いこんとう)の説に最も為(こ)れ難信難解・前経は是れ已説なり」文、秀句の下に云く「謹(つつし)んで案ずるに法華経法師品の偈(げ)に云く薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経あり而も此の経の中に於て法華最も第一なり」文、又云く「当(まさ)に知るべし已説は四時の経なり」文、文句の八に云く「今法華は法を論ずれば」云云、記の八に云く「鋒(ほこ)に当る」云云、秀句の下に云く「明かに知んぬ他宗所依の経は是れ王中の王ならず」云云、釈迦・多宝・十方の諸仏・天台・妙楽・伝教等は法華経は真実・華厳経は方便なり、「未だ真実を顕さず正直に方便を捨てて余経の一偈をも受けざれ」「若し人信ぜずして乃至其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん」と云云。

通解
 無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。法華経巻一の方便品第二に「世尊は方便の法を久しく説いた後、必ずまさに真実を説かれるであろう」とある。また同品に「一大事の因縁のゆえに、仏はこの世に出現された」とある。巻四の法師品第十に「薬王よ、今汝に告げる。我が所説の諸経がある。しかも、この諸経の中において法華経が最も第一である」とある。また同品に「已(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説く(それら一切の中において、法華経が第一である)」とある。見宝塔品第十一に「私は仏道をもって無量の国土において初めから今日に至るまで広く諸経を説いてきた。しかもその中においてこの法華経が第一である」とある。安楽行品第十四に「この法華経は諸の如来の第一の説である。諸経の中において最も甚深である」とある。また「この法華経は諸仏如来の秘密の蔵(ぞう)である。諸経の中において最もその上(かみ)にある」とある。薬王菩薩本事品第二十三に「この法華経もまた(十宝山の衆山の中に、須弥山が第一であるように)諸経の中において最もその上である」とある。また同品に「この法華経もまた(諸の小王の中に、転輪聖王が最も第一であるように)諸経の中において最もその尊である」とある。また「この法華経もまた(帝釈が、三十三天の中において王であるように)諸経の中の王である」とある。また同品に「この法華経もまた(一切の凡人の中に、……阿羅漢・辟支仏(びゃくしぶつ)が第一であるように)一切の如来の所説、もしは菩薩の所説、もしは声聞の所説、諸の経法の中に最第一である」等とある。
 法華玄義の巻十に「また(法華経は)已今当の三説に最も難信難解である。爾前経は已説である」とある。法華秀句の巻下に「謹んで案ずるに、法華経法師品の偈に『薬王よ、今汝に告げる。我が所説の諸経がある。しかも、この諸経の中において法華経が最も第一である』」とある。また「まさに知りなさい。已説とは法華経以前の華厳・阿含・方等・般若の四時の経である」とある。法華文句の巻八に「今、法華経は法を論ずると、(実相の一法一理に帰す)」とある。法華文句記の巻八に「(法華経は爾前の方便権教を破る)鉾(ほこ)に当たる」とある。法華秀句の巻下に「明らかに他宗の依りどころとする経は王中の王でないことを知った」とある。釈迦仏・多宝如来・十方の諸仏や天台大師・妙楽大師・伝教大師らは法華経は真実であり、華厳経は方便であるとし、「未だ真実を顕さない」「正直に方便を捨てて」「余経の一偈をも受けてはいけない」「もし人が信ぜずして(中略)その人が命終して阿鼻地獄に入るだろう」と説いている。

語訳
一大事の因縁
 法華経方便品第二の文。同品に「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄(しょうじょう)なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道(どう)に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう」(『妙法蓮華経並開結』一二一㌻ 創価学会刊))とある。仏がこの世に出現した本意をいい、仏の有する仏知見(ぶっちけん)を衆生に開かせ、示し、悟らせ、その境地(仏道)に入らせることを出世の本意とすること。これを開示悟入の四仏知見という。日蓮大聖人は一大事の文義を「一とは中道なり法華なり大とは空諦なり華厳なり事とは仮諦なり・阿含・方等・般若なり已上一代の総の三諦なり、之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり」(五七四㌻)と三諦に配立され、また一大事因縁を「一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり」(七一六㌻)と妙法蓮華経の五字に配立して「此の五字日蓮出世の本懐なり」(七一七㌻)と明かされた。

偈(げ)
 梵語ガーター(gāthā)の音写の省略形。偈陀(げだ)、偈他(げた)、伽陀(かだ)とも書き、讃(さん)、頌(じゅ)、諷誦(ふじゅ)と訳す。経典の中で韻文(詩句)の形式で説かれたものをいい、仏の徳を賛嘆し、または法理を説く。梵語の文献では、八音節四句(二句二行)からなるシュローカ(śloka)[首盧迦]などの形が多い。 漢訳では一句の字数を四字または五字とし、四句を一偈としているものが多い。これを別偈という。韻文と散文とを問わず、八字四句の三十二字よりなるものを通偈(つうげ)という。また偈の説かれ方によって、重頌偈(じゅうじゅげ)と孤起偈(こきげ)の二つに区別される。重頌偈とは、長行(散文)で説いたものを重ねて偈頌をもって説くものをいい、梵語でゲーヤ(geya)といい、祇夜(ぎや)と音写する。これに対し孤起偈は、前に長行の教説がなく、単独に説き起こされた偈をさし、梵語でガーターといい、伽陀と音写する。

阿鼻獄(あびごく)
 阿鼻地獄のこと。八大地獄の一つ。阿鼻は梵語アヴィーチ(Avīci)の音写で、無間(むけん)と訳す。苦を受けるのが間断ないことをいう。周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれているところから阿鼻大城、無間大城ともいわれる。大焦熱地獄の下、欲界の最低部にあるとされ、諸地獄を一としてその一千倍も苦が大きいという。五逆罪、正法誹謗の者が堕ちるとされる。

講義
 善無畏や台密の「理同事勝」の邪義に対する破折を終え、次に法華経が真言より三重の劣で戯論(けろん)の法であるとする弘法の邪義を破折するにあたり、まず、法華経こそ一代諸経のなかで最第一の経であることを数多くの文証を引用されて明らかにされているところである。
 引用されている文証は無量義経、法華経の経文と、それらについての天台大師の法華玄義、法華文句、妙楽大師の法華文句記、伝教大師の法華秀句の釈からのものである。
 最初に無量義経説法品第二からは〝仏が説法を開始してから四十余年の間には未だ真実を顕しておらず、方便権教を説いてきた〟という文を引かれ、法華経巻一の方便品第二からは、世尊は方便権教の法を久しく説いた後に必ず真実を説くということを明かす。次いで、その真実が同じ方便品で、仏は衆生の仏知見を開かせ、示し、悟らせて仏道に入らしめるという一大事因縁(重大な任務)のためにこの世に出現することを示した文を挙げられている。
 以上の三つの引用文から、四十余年には顕さず、法華経にのみ明かされる真実とは一切の衆生を成仏させること、その衆生成仏を可能にする法であることがおのずから明らかになる。
 これを受けて、以下の引用文はいずれも、そのゆえにこそ法華経が諸経中最第一であることを示すものである。
 法華経巻四の法師品第十からの引用文では、仏が説いた諸経のなかで法華経が最第一であることを示し、同じ法師品から、法華経は仏が已(すで)に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、当(まさ)にこれから説かんとする(涅槃経)諸経、すなわち、已(い)・今(こん)・当(とう)の三説として括(くく)られる一代諸経を超え出ている、との文を引用される。次の法華経見宝塔品第十一からは、やはり仏の説いた諸経のなかで法華経が第一であるという文を引用される。
 次いで、法華経安楽行品第十四からは、法華経がもろもろの如来の説いた経のなかで第一の説であり、諸経のなかで最も甚深(じんじん)であるとの文を引かれ、また同じ安楽行品からは法華経が諸仏如来の胸の奥に秘(ひそ)かにしまっていた深遠な教えであり、諸経のなかで最上の教えであると示した文を引用されている。更に、法華経巻七の薬王菩薩本事品第二十三からは、法華経が諸経のなかで最上であるとの文、最も尊いとの文、諸経中の王であるとの文、一切の如来・菩薩・声聞の説いた諸経のなかで最第一であるとの文を、それぞれ引用されている。
 以上までは、法華経最第一と述べた仏自身の説法を記した経文であるが、以下ではこれらの経文に対する天台大師、妙楽大師、伝教大師の釈を引用されている。
 まず、天台の法華玄義巻十上からは、先の法師品の文について〝已・今・当の三説の一代諸経において法華経が最も難信難解であるということであり、已説とは法華以前の爾前の諸経である〟と釈した文を引かれる。伝教大師の法華秀句下からは法華経法師品第十の一代諸経のなかで法華経を最第一と説いた文、また、已・今・当の三説のなかの已説とは法華経以前の華厳・阿含・方等・般若の四時の説法であると釈している文を引かれている。
 次に、天台大師の法華文句巻八からは、法華経は法の上で最も勝れているとの文、それを妙楽大師が承(う)けて文句記で「この法華経の説法は鉾(ほこ)に当たっていくように難しいことである」と述べた文を引用されている。更に伝教大師の法華秀句下からは、諸経の各経が王とするなら法華経は王中の王であるとの文を引用されている。
 最後に、釈迦、多宝、十方の諸仏、天台大師、妙楽大師、伝教大師等がすべて、法華経こそ真実であり華厳経等の爾前経は方便であるとして、方便の教えを捨てよと述べ、また、もし人が法華経を信じないで謗(そし)るなら、その人は命終えてから阿鼻地獄に堕ちるであろうと戒められたことを、法華経の経文を引かれて示されている。

 文句の八に云く「今法華は法を論ずれば」云云、記の八に云く「鋒に当る」云云

 法華文句巻八上には次のようにある。すなわち「今法華は法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰し、人を論ずれば即ち師弟の本迹俱(とも)に皆久遠にして二門悉(ことごと)く昔と反す。信じ難く解(げ)し難し。鉾に当たる難事を法華已(すで)に説く。涅槃は後に在れば則ち信ず可きこと易(やす)し」と。ここで、法華経は法においては爾前経の一切の差別を融合して実相の一法に帰一させ、人においては師弟ともに久遠常住であると説いた。迹門(法を論ず)本門(人を論ず)の二門ともに昔の爾前経と背反しているので信じ難いし解し難いのである。このように鉾に当たっていくような難事を法華経が説き明かしたのである。涅槃経は、法華経のあとであるから信じやすいのである、としている。
 これを受けて妙楽大師は法華文句記巻八で「鉾に当たるとは法華前に在って大陣の破り難きが如し。涅槃後に在って余党の難(かた)からざるが如し」と説明している。
 文句で鉾に当たる難事といっているのは、破り難き大陣(爾前経で教え込まれた二乗不作仏と始成正覚の迷妄)を前面に立って打ち破ったのが二乗作仏と久遠実成を説く法華経であり、これに対し涅槃経は法華経の後に説かれるわけだから、既に破られた大陣の後の余党を破るのに難しくないようなものである、と釈している。
 いずれも、法華経が諸経に比べ最第一であることを、譬えを用いて釈したものである。

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