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真言見聞・第十章 印・真言の有無が訳者に依るを明かす

              真言見聞

     第十章 印・真言の有無が訳者に依るを明かす

本文(一四五㌻一七行~一四六㌻一〇行)
 抑(そもそも)も唐朝の善無畏金剛智等法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは梵華(ぼんか)両国共に勝劣か、法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども流沙(りゅうさ)・葱嶺(そうれい)等の険難・五万八千里・十万里の路次容易ならざる間・枝葉をば之を略せり。
 此等は併(しかし)ながら訳者の意楽(いぎょう)に随つて広を好み略を悪(にく)む人も有り略を好み広を悪む人も有り、然れば則ち玄弉(げんじょう)は広を好んで四十巻の般若経を六百巻と成し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり、印契(いんげい)・真言の勝るると云う事是を以て弁(わきま)え難し、羅什所訳の法華経には是を宗(むね)とせず不空三蔵の法華の儀軌(ぎき)には印・真言之(これ)有り、仁王経(にんのうきょう)も羅什の所訳には印・真言之無し不空所訳の経には之を副(そ)えたり知んぬ是れ訳者の意楽(いぎょう)なりと。
 其の上法華経には「為説実相印(いせつじっそういん)」と説いて合掌の印之(これ)有り、譬喩品には「我が此の法印・世間を利益せんと欲するが為の故に説く」云云、此等の文如何(いかん)只広略の異あるか、又舌相の言語・皆是れ真言なり、法華経には「治生(じしょう)の産業(さんごう)は皆実相と相違背せず」と宣(の)べ、亦(また)「是れ前仏経中に説く所なり」と説く此等は如何。
 真言こそ有名無実(うみょうむじつ)の真言・未顕真実の権教なれば成仏得道跡形(あとかた)も無く始成(しじょう)を談じて久遠無ければ性徳本有(しょうとくほんぬ)の仏性も無し、三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て三十人に二十人を除く、「皆令入仏道(かいりょうにゅうぶつどう)」の仏の本願満足す可(べ)からず十界互具は思いもよらず・まして非情の上の色心の因果争(いかで)か説く可きや。

通解
 そもそも唐朝の善無畏や金剛智らが法華経と大日経の両経について「理は同じであるが事において(大日経が)勝れている」との解釈を作ったのは梵(インド)華(中国)の両国に共通する勝劣なのか。法華経も天竺(インド)には十六里の宝蔵にあったので無量の事相が説かれていたのであるけれども、西域の砂漠や葱嶺(そうれい)(パミール高原)などの険しい難所があり、そのうえ五万八千里・十万里の遠い道のりが容易でないので、枝葉は略したのである。
 これらは訳者の好みによるもので、広を好み略を嫌う人もあり、略を好み広を嫌う人もある。したがって、玄奘は広を好んで四十巻の般若経を六百巻に訳し、羅什三蔵は略を好んで千巻の大智度論を百巻に縮めたのである。印相や真言が説かれているかどうかで二経の勝劣は決められない。鳩摩羅什が翻訳した法華経には印相や真言を根本としていない。不空三蔵の法華儀軌には印相や真言が訳出されている。仁王経も鳩摩羅什の翻訳には印相や真言がない。不空が翻訳した経には印相や真言を副(そ)えている。これは訳者の好みによることが分かるのである。
 そのうえ法華経方便品第二には「(無量の衆に尊まれて)為に実相の印を説く」と説いて、合掌の印がある。法華経譬喩品第三には「我がこの法印は世間を利益しようとするために説く」とある。これらの文はどうか。ただ広と略の差異だけであろう。また舌相を具えた仏の言語はすべて真実である。法華経法師功徳品第十九には「生活・産業はすべて実相とお互いに違背しない」(取意)と述べ、また同品に「これは先仏の経の中に説く所である」と説いている。これらはどうか。
 真言宗で説く真言こそ名のみ有って実のない真言であり、未だ真実を顕さない権教であるから、成仏得道の跡形もなく、始成正覚を談じて久遠実成を説かないので、衆生の本性の徳としてもともとから有る仏性も明らかにされない。であるから声聞・縁覚・菩薩の三乗が仏がこの世に出現することを感ずるのに三人に二人(声聞・縁覚の二乗)を捨て、三十人に二十人を除いている。法華経方便品第二の「皆、仏道に入らしむ」との仏の本願が満足することができない。(真言宗では)十界互具は思いもよらない。まして非情の上の色心の因果をどうして説くことができようか。

語訳
唐朝
 唐王朝(六一八年~九〇七年)。隋に続く中国の王朝。律令制度を軸とした中央集権的な国家体制を築いて全国を統一し、強大な勢力をもって東アジア・中央アジアに支配を広げた。これによりシルクロード交易が盛んになった。遣唐使の往来などにより、仏教各派の教えや大陸の多様な文化が日本に伝えられた。儒教が低調で道教と仏教が盛んだったが、第十五代皇帝・武宗の廃仏(八四五年)によって仏教は衰えた。

善無畏(ぜんむい)
(六三七年~七三五年)。中国・唐代の真言密教の僧。梵名シュバカラシンハ(Śubhakarasiṃha)、音写して輸波迦羅(ゆばから)。善無畏はその意訳。中国・唐代の真言宗の開祖。宋高僧伝によれば、東インド烏荼(うだ)国の王子として生まれ、十三歳で王位についたが兄の妬(ねた)みをかい、位を譲って出家した。マガダ国の那爛陀(ならんだ)寺で、達摩掬多(だつまきくた)に従い密教を学ぶ。唐の開元四年(七一六年)中国に渡り、玄宗皇帝に国師として迎えられた。「大日経」「蘇婆呼童子経(そばこどうじきょう)」「蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)」などを翻訳、また「大日経疏(しょ)」二十巻を編纂、中国に初めて密教を伝えた。とくに大日経疏で天台大師の一念三千の義を盗み入れ、理同事勝の邪義を立てた。金剛智、不空とともに三三蔵と呼ばれた。

金剛智
(六七一年~七四一年)。中国・唐代の真言密教の僧。梵名バジラボディ(Vajrabodhi)、音写して跋日羅菩提。金剛智はその意訳。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。十歳の時那爛陀(ならんだ)寺に出家し、寂静智に師事した。三十一歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき七年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元八年(七二〇年)洛陽に入り、玄宗皇帝に迎えられ慈恩寺に住した。「金剛頂瑜伽中略出念誦経(こんごうちょうゆがちゅうりゃくしゅつねんじゅきょう)」四巻など多くの密教の諸経論を訳出。弟子に不空等がいる。

流沙(りゅうさ)
 砂漠のこと。主に中国西方の砂漠をさすことが多い。この地方は東西交通の要路にあたる。 大唐西域記巻十二には「流沙は風に随って流れ集散し、四方は限りがない。また人の足跡も残らず、多くの人が道に迷う」(取意)とある。

葱嶺(そうれい)
 インド北方・パミール高原の中国名。大唐西域記巻十二に「多く葱(ねぎ)を出すの故に葱嶺と謂う」とある。世界の屋根といわれ、中国と西方諸国(西域)を結ぶ交通路の要所として、多くの隊商や僧侶がここを通ったが、最大の難所であった。

玄弉(げんじょう)
(六〇二年~六六四年)。玄奘とも書く。中国・唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛(らく)州緱氏(こうし)県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘(き)。十三歳で出家。律部、成実(じょうじつ)、倶舎論(くしゃろん)等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ、七十五部一千三百三十五巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて十六年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。

四十巻の般若経を六百巻と成し
 玄奘が梵本で四十巻から成っていた般若経を六百巻に漢訳したことをいう。

羅什三蔵(らじゅうさんぞう)
(三四四年~四〇九年)。鳩摩羅什(くまらじゅう)のこと。梵名クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦(ようしん)(後秦)代の訳経僧。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相の家柄から出家した鳩摩羅炎(くまらえん)(クマーラーヤナ)、母は亀茲(きゅうじ)国王白純(はくじゅん)の妹・耆婆(ぎば)(ジーヴァ)。七歳で母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁(えいまい)で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。九歳の時罽賓国(けいひんこく)(カシミール、もしくはガンダーラ)に留学し、王の従弟(いとこ)の槃頭達多(はんずだった)について小乗を学ぶ。帰国して西域に遊学し、須利耶蘇摩(すりやそま)について大乗教を修め、亀茲国に帰って大乗仏教を弘めた。しかし、中国・前秦の王・符堅(ふけん)は、将軍・呂光(りょこう)に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦の王・姚興(ようこう)に迎えられて弘始三年(四〇一年)長安に入り、国師の待遇を得て訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬(ごびゅう)を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二百九十四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三百八十四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻等、多数がある。弘始十一年(四〇九年)八月二十日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。

千巻の大論を百巻に縮めたり
 鳩摩羅什は梵本千巻の大智度論を漢訳した際、略して百巻に縮めたことをいう。

印契(いんげい)
 梵語ムドラー(Mudrā)の訳。印、印相(いんぞう)とも訳す。手指を種々に組み合わせて特別な形を結び、諸仏や菩薩の悟りや誓いをあらわしたものを手印といい、刀剣など諸仏が所持する器具であらわすのを契印と呼ぶ。真言の三密(意密・身密・語密)の中の身密にあたる。善無畏三蔵は、印・真言があるから真言宗が天台法華宗に勝れているとの説を立てた。

不空三蔵
(七〇五年~七七四年)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、音写して阿目佉跋折羅(あもきゃばしゃら)、意訳して不空金剛。不空はその略。中国・唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。十五歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家。開元二十九年(七四一年)、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、六年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。「金剛頂経」三巻など多くの密教経典類を翻訳し、羅什、玄奘、真諦(しんだい)と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられている。

法華の儀軌(ぎき)
 ここでは中国・唐代の不空訳「法華儀軌」のこと。一巻。正しくは成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌(じょうじゅみょうほうれんげきょうおうゆがかんちぎき)といい、成就法華儀軌、観智儀軌ともいう。法華経見宝塔品第十一に説かれる釈迦仏・多宝仏の二仏並坐の説を中心に、文殊・薬王・弥勒・普賢などの諸菩薩を密教的に構成した曼荼羅が説かれている。この曼荼羅によって修行すれば六根清浄を得、法華三昧を成就するとされている。東密で法華経を浅略とし、大日経を深秘とする根拠にもなっている書である。

仁王経(にんのうきょう)
 二巻八品。鳩摩羅什訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、不空訳の「仁王護国般若波羅蜜多経」がある。五時八教のうち般若部の結経であり、わが国では法華経・金光明経と合わせて護国三部経と称され、鎮護国家の経とされた。内容は、仁徳(じんとく)ある帝王が般若波羅蜜を受持し政治を行なえば、三災七難が起こらず、万民豊楽、国土安穏となると説かれる。また正法が滅して思想が乱れる時に正法誹謗の悪業によって起こる七難を示し、この難を逃れる行法として五忍(伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍)を説いている。 

治生(じしょう)の産業(さんごう)
 世間の日常生活のすべてのこと。治生は生活の方途を立てること、産業は生活の諸財貨を生産する営為。ゆえに人が生活していく上での諸事万般を治世産業ともいう。

講義
 この段からは中国の真言の祖である善無畏、金剛智や日本の天台密教が主張した理同事勝の邪義を破折される。理同事勝とは簡単にいえば、法華経と大日経を比較して一念三千の「理」があることにおいては「同」じであるが、印と真言の「事」相においてはこれを説いていない法華経より、説いている大日経のほうが「勝」れているとするものである。これについては、果たして大日経に一念三千という理が説かれているといえるのかということと、印・真言の事が大日経のみに説かれているのかということが問題となる。この段ではまず後者の点から破折されている。
 この「理同事勝」を主張したのは善無畏・金剛智・不空の三三蔵であるが、大日経に印・真言の事相が説かれているから勝れ、法華経はそれがないから劣るとするのは果たしてインド(梵)の原典と中国(華)の漢訳経典と、共通していることなのか、と疑問を提出されている。つまり、梵本と漢訳本との間のズレを問題にされているのである。例として、まず、法華経を挙げられる。法華経も天竺(インド)では広さ十六里(約九・六平方㌔)もある宝蔵に納まるぐらいの膨大な経典であったとされるから、計り知れないほどの事相が説かれていた。しかし、それを西域の砂漠やパミール高原などの険難所を超えて運ぶために、枝葉の部分は省略し肝要の部分のみを中国へと伝えたのであると述べられている。しかも、今度は漢語に翻訳する訳者の性格もこれに影響する。経典全部を細部にわたって訳すことを好み省略を嫌がる者もあり、その逆もあると述べられる。玄奘は前者で、羅什三蔵は後者であるとされている。問題の印・真言であるが、羅什は印・真言を「宗」すなわち肝要とは考えなかったため、羅什訳法華経では訳さなかったのに対し、不空三蔵訳の法華儀軌には印・真言が訳されている。また、仁王経についても、羅什訳には印・真言が訳されていないが、不空訳には訳出されている。
 要するに、印・真言があるかないかは伝来の経緯や訳者の判断の問題であって、いわば偶然性に任される枝葉の問題であり、したがって、大日経に印・真言の事相があるからといって勝れていることにはならないと断じられている。
 では、法華経には印が全くないかといえば、羅什は重きを置いていないにしても、方便品第二には「為(た)めに実相の印を説く」(『妙法蓮華経並開結』一三〇㌻ 創価学会刊)とあって合掌の印が説かれているし、譬喩品第三には「我が此の法印は 世間を利益(りやく)せんと 欲するが為(た)めの故に説く」(同・一九六㌻)とあって法印が説かれていると述べられている。真言ということについても本抄で「舌相の言語・皆是れ真言なり」と仰せられ、仏は不妄語の人であり、ゆえに広長舌相をそなえているのであるから、その仏が発した言葉はすべて真実であると仰せられ、それを裏づける文証として、法華経法師功徳品第十九の「諸(もろもろ)の説く所の法は、其の義趣(ぎしゅ)に随って、皆(み)な実相と相(あい)違背せじ。若(も)し俗間(ぞくけん)の経書(きょうしょ)、治世(じせ)の語言(ごごん)、資生(ししょう)の業(ごう)等を説かんも、皆(み)な正法に順ぜん」(同・五四九㌻)や同品の「是(こ)の人の思惟(しゆい)・籌量(ちゅうりょう)・言説(ごんせつ)する所有らんは、皆な是れ仏法にして、真実ならざること無く、亦(ま)た是れ先仏の経の中に説く所ならん」(同・五五〇㌻)の二文を挙げられている。すなわち、仏の説法は皆実相と異ならず真実であり、真言であることを証明されて法華経にも厳然と真言はあるとされている。
 これに対し、真言経典の「真言」は名のみで実体がなく、真言経典自体、「未顕真実」と打ち破られた経であって、成仏得道など全くないとされ、仏についても始成正覚で久遠実成を明かしていないので、一切衆生に「性徳本有(しょうとくほんぬ)の仏性」すなわち、本性として具えている仏性が存在するという理由が明らかにならないと破折されている。
 また、真言経典に二乗不作仏(にじょうふさぶつ)とあることから、声聞・縁覚・菩薩の三乗が仏のこの世での出現を感じて求道心を燃やし修行しても、三人のうちの二人(声聞・縁覚の二乗)は成仏の道から捨てられるわけであり、三十人なら二十人も排除されることとなり、一切衆生を皆成仏させようという仏の本願も満足させることができないと指摘されている。更に、真言経は、法華経迹門に説かれる十界互具は思いもよらず、ましてや法華経本門で明らかとなる非情の草木などの成仏が説かれているわけがないと破られている。

 法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば……枝葉をば之を略せり

 天竺(インド)では広大な経典であった法華経が中国・日本ではかなり省略されて翻訳されたという意味の御文は文永八年(一二七一年)の寺泊御書にも拝される。「一部八巻・二十八品・天竺の御経は一由旬に布(し)くと承(うけたま)わる定めて数品有る可し、今漢土日本の二十八品は略の中の要なり」(九五四㌻)と。
 ここでは、天竺の法華経は一由旬(中国の十六里)四方に敷き詰めるほどの膨大な経典であったが、漢土や日本に伝えられている二十八品の法華経は、その膨大な経典から枝葉を省略し肝要だけを伝え、訳したものであるといわれている。

 羅什所訳の法華経には是を宗(むね)とせず不空三蔵の法華の儀軌(ぎき)には印・真言之(これ)有り

 この文と同じような意味の御文は寺泊御書にも説かれている。
「又天竺の法華経には印・真言有れども訳者之を略して羅什は妙法経と名づけ、印・真言を加えて善無畏は大日経と名づくるか、譬えば正法華・添品法華・法華三昧・薩云分陀利(さつうんふんだり)等の如し」(九五三㌻)と。
 ただし、ここでは、インドの法華経の原典から印・真言を省略しないで訳されたものを、不空の「法華儀軌」ではなく、善無畏訳の大日経とされている。これは、天台密教が主張していた説を一往、用いられての仰せと考えられる。

 まして非情の上の色心の因果争(いかで)か説く可きや

 有情の二乗ですら成仏を許さない真言宗が非情(草木、国土等)の成仏を説けるわけがないと破折されているところである。通常は草木国土等には色法(肉体・物質など)はあっても心法(精神や情の働き)はないと思われているが、法華経では草木国土等にも十如是があり色法・心法ともにあると認めたうえで、その心法に仏因(成仏するための因)・仏果(成仏の結果)の因果があると説いている。すなわち非情の草木も成仏するということが「非情の上の色心の因果」ということである。

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