FC2ブログ
11 -<< 2018-12 -  12345678910111213141516171819202122232425262728293031  >>01 -
 

真言見聞・第七章 国の功罪、一分(いちぶん)国王に帰すを示す

             真言見聞

   第七章 国の功罪、一分(いちぶん)国王に帰すを示す

本文(一四四㌻一行~一四四㌻一一行)
 華厳経の十二に云く四十華厳なり「又彼の所修の一切功徳六分の一常に王に属す○是(か)くの如く修及び造を障(さゆ)る不善所有の罪業六分の一還つて王に属す」文、六波羅蜜経の六に云く「若(も)し王の境内(きょうない)に殺を犯す者有れば其の王便(すなわ)ち第六分の罪を獲(え)ん偸盗(ちゅうとう)・邪行(じゃぎょう)・及び妄語も亦復(また)是(か)くの如し何を以ての故に若しは法も非法も王為(こ)れ根本なれば罪に於いても福に於いても第六の一分は皆王に属するなり」云云、最勝王経に云く「悪人を愛敬(あいきょう)し善人を治罰(じばつ)するに由るが故に他方の怨賊(おんぞく)来り国人喪乱に遭(あ)わん」等云云。
 大集経(だいじっきょう)に云く「若し復(また)諸の刹利(せつり)国王・諸の非法を作(な)し世尊の声聞の弟子を悩乱し若しは以て毀罵(きめ)し刀杖もて打斫(だしゃく)し及び衣鉢(えはつ)種種の資具(しぐ)を奪い若しは他の給施(きゅうせ)に留難(るなん)を作(な)す者有らば、我等彼をして自然(じねん)に卒(にわか)に他方の怨敵を起さしめ及び自の国土にも亦兵起(ひょうき)・疫病・饑饉・非時風雨・闘諍言訟(とうじょうごんしょう)せしめ又其の王久しからずして復当(まさ)に己(おの)が国を亡失(もうしつ)すべからしむ」云云、大三界義(だいさんがいぎ)に云く「爾(そ)の時に諸人共に聚(あつま)りて衆の内に一の有徳の人を立て名(なづ)けて田主(でんしゅ)と為して各所収の物六分の一を以て以て田主に貢輸(こうゆ)す一人を以て主と為し政法を以て之を治む、玆(ここ)に因つて以後・刹利種を立て大衆欽仰(きんごう)して恩率土(そつど)に流る復(また)・大三末多王(だいさんまたおう)と名づく」已上倶舎に依り之を出すなり。

通解
 華厳経の巻十二に(般若訳の四十華厳である)「また出家・在家の修行による一切の功徳の六分の一は常に王に属する。このように修行および造作を妨げる不善のもつ罪業の六分の一はかえって王に属する」とある。六波羅蜜経の巻六に「もし王の領土内に殺生を犯す者がいれば、その王は六分の一の罪を受ける。偸盗・邪婬および妄語もまたこれと同じである。どうしてかというと、法も非法も王が根本であるから罪においても福においても六分の一はすべて王に属するのである」とある。最勝王経に「悪人を愛敬(あいきょう)し善人を治罰することが原因で、他国の怨賊が侵略し、国民が戦乱に遭(あ)い滅んでしまう」等とある。
 大集経に「もしまたもろもろの刹利(クシャトリア)である国王がもろもろの非法をなし世尊(仏)の声聞の弟子を苦しめ、もしくは毀(そし)り罵(ののし)り、刀や杖をもって打ったり、切ったり、および衣服や食器、種々の器具を奪い、もしくは供給布施(くきゅうふせ)をする他の人に迫害をなす者がいれば、我ら(諸天善神)は彼に対して自然にたちまちに他国の怨敵を起こさせ、および自らの国土にもまた合戦・疫病・飢饉・時ならぬ暴雨、戦いと論争をさせ、またその王に、遠くないうちに国を失わせるであろう」とある。大三界義に「その時に人々が共に集まって、その人々の中の一人の有徳の人を立て、田主と名づけて、おのおのが収穫物の六分の一を田主に貢ぎ物として差し出した。その一人を田主とし政(まつりごと)の法によって人々を治めた。このことによって以後、王族を立て大衆は敬い仰いで、その国王の恩が領土に及んだ。またこの最初の王を大三末多王と名づけた」(以上、倶舎論によってこれを書いた)とある。

語訳
華厳経
 大方広仏華厳経の略。旧訳(くやく)の内容は、盧舎那仏(るしゃなぶつ)が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界縁起(無尽縁起)、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界(ゆいしんほっかい)の理を説く。また入法界品には、五十三人の善知識を歴訪し、最後に悟りを開いた求道物語を展開し、仏道修行の段階(五十二位)とその功徳を示している。

四十華厳
 華厳経の漢訳に三種ある。①六十華厳(六十巻)。東晋代の仏駄跋陀羅(ぶっだばつだら)訳。②八十華厳(八十巻)。唐代の実叉難陀(じっしゃなんだ)訳。③四十華厳(四十巻)。唐代の般若(はんにゃ)訳で、華厳経末の入法界品のみの訳。本抄に引用される華厳経は、この③のこと。華厳経は「十地品」と「入法界品」が特に重視され、多くの部分訳が存する。

六波羅蜜経
 十巻。中国・唐代の般若訳。大乗理趣六波羅蜜多経(だいじょうりしゅろっぱらみったきょう)という。衆生を発心させ修行させる法と不退転心を説き、更に菩薩の修行の要としての布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(智慧)の六波羅蜜多について詳説している。

最勝王経
 十巻。唐の義浄訳。金光明最勝王経のこと。金光明経の漢訳異本。この経が流布するところは、四天王をはじめ諸天善神がよくその国を守りその国を益し、災厄がなく人々が幸福になることを説いている。中国では曇無讖(どんむしん)の訳が広く用いられ、吉蔵の疏(しょ)があり、天台智者大師もこの経について疏釈している。日本では法華経・仁王経とともに護国三部経のひとつに数えられ、聖武天皇は義浄訳の金光明最勝王経を写経して全国に配布し、また全国に国分寺を建立し、金光明四天王護国之寺と称された。

大集経(だいじっきょう)
 六十巻。大方等大集経(だいほうどうだいじっきょう)の略。中国・北涼代の曇無讖(どんむしん)等の訳。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を五百年ごとに五つに区分する「五五百歳(ごごひゃくさい)」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後二千年以降を末法とする根拠とされた。

刹利(せつり)
 梵語クシャトリア(kşatriya)の音写、刹帝利(せつていり)の略。訳して王種という。古代インドのカースト制度・四姓における第二位にあったもの。四姓とは婆羅門(バラモン=聖職者)、刹帝利(せつていり)(クシャトリア=王族)、毘舎(びしゃ)(バイシャ=平民)、首陀(しゅだ)(シュードラ=賤民)のことで、国王、大臣、武人は必ず刹帝利から出る。本来はバラモンより下位に置かれていたが、仏教興起時代には、バラモンの支配力が衰え、クシャトリアが社会的実力を持って台頭してきていた。

大三界義(だいさんがいぎ)
 一巻。慧心僧都源信の述作。欲界・色界・無色界の三界について述べた書。三界の名前の由来から日蝕・地震のことまで六十三項目にわたって三界のあらゆる問題について問答形式で詳述している。三界義ともいう。

率土(そつど)
「そっと」とも読む。陸地の果て。辺土。国中など。率はおおむね、みなの意。

大三末多王(だいさんまたおう)
 起世因本経(きせいんほんぎょう)に説かれる。摩訶三摩多王ともいう。才色兼備の王で、徳政を行い、大衆に対して平等であったという。

倶舎
 梵名アビダルマ・コーシャ(Abhidharma-kośa)の音写・「阿毘達磨倶舎論」のこと。三十巻。世親著。中国・唐代の玄奘訳。対法蔵論と訳す。四諦の理を対観し、知識として含蔵する論との意。九品からなり、当時の広範な知識が駆使されて、迷いや悟り、その因果、また無我の理が説かれている、百科全書的著作。説一切有部(せついっさいうぶ)の教理の集大成である大毘婆沙論(だいびばしゃろん)の綱要を記したもので、処々に経量部(きょうりょうぶ)または自己の立場から有部の主張を批判している。玄奘訳の他に、真諦(しんだい)が訳した「阿毘達磨倶舎釈論」二十二巻があり、これを旧倶舎ともいう。

講義
 ここでは、国土の善・悪、功・罪、福・禍ともにその一部分が国主の責任に帰着すると説いた華厳経、六波羅蜜経、最勝王経、大集経の四経と、恵心著の大三界義から、それぞれ一文を引用され、国主の怠慢によって悪法、邪法、謗法が盛んになれば亡国の原因となることを示されて、日本の国主が真言の邪法を崇(あが)めていることが亡国の因となっていることを明かされるのである。引用された六文を比較すると、少しずつ強調点が異なっていることが分かる。
 まず、華厳経巻第十二の文では出家、在家が仏道修行を行って得られる一切の功徳の六分の一は国主のものとなり、逆に、彼らの修行や善行の障(さわ)りとなるような不善の罪業を国の人々が犯した場合も、その六分の一は国王に帰着するというもので、国内の仏道修行者を安心して修行させる功徳と、それを妨げさせる罪業の双方が挙げられている。
 次に六波羅蜜経巻六の文では、殺生・偸盗・邪行(じゃぎょう)(邪婬)・妄語などの五戒を犯す者が国土にいるとその罪の六分の一は国王に帰着するとし、その理由として、国内に法が行われるにしろ非法が行われるにしろ、国王が国の根本であるから、報いである福も罪も、その六分の一は国王に帰着すると説いている。
 次いで、最勝王経では、国王が悪人を愛敬(あいきょう)して善人を治罰した場合には諸天が国王を懲らしめるために他国から侵略させて国の人々が戦乱に巻き込まれて死ぬと述べている。ここでは、国王が非法を行った場合の報いが亡国を招くことを強調している。
 更に、大集経では国主の非法は最勝王経よりも具体的になっている。すなわち、もろもろの国王が善人である仏の弟子たちを悩ませ、ののしり、刀や杖をもって打ったり、その衣鉢(えはつ)や仏具などを奪ったり、仏弟子に布施を施す者たちに危難を与えさせたりすると、護国の四天王がそれら悪王を懲らしめるために、他国から攻めさせるとともに、それらの国内に内乱、疫病、飢饉などをはじめ、時ならぬ風雨や争いの絶えない状態を引き起こして、間もなくそれらの国王をして自らの国を亡ぼさせるであろうと述べている。ここでは、国王が仏法に背き仏弟子を迫害すると亡国に至ることがはっきりと示されている。
 最後の大三界義の文は、国王ならびに王族というものの起源を述べたものである。それによると、互いに田畑を奪い合った多くの人たちの中から、有徳の士を選んで田主とし、その田主に統治してもらう代わりに各自の収穫の六分の一を献上したのが王族の起源であることを説いて、この国王を皆が尊敬し、また王の恩が国中に及んだとしている。この引用により、国王の起源を明らかにすることによって、王の責任の重さを明らかにされているのである。

コメント



 編集・削除ができます。
 管理者にだけ表示を許可する
 
 

プロフィール

墨田ツリー

Author:墨田ツリー

 
 
 

最新トラックバック

 
 

カテゴリ

 

検索フォーム

 
 
 

ブロとも申請フォーム

 

QRコード

QR