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真言見聞・第五章 大日経指帰の偽作を指摘す

             真言見聞

       第五章 大日経指帰の偽作を指摘す

本文(一四三㌻五行~一四三㌻一二行)
 疑つて云く経文の権教は且(しばら)く之を置く唐決の事は天台の先徳・円珍大師之を破す、大日経の指帰(しき)に「法華すら尚(なお)及ばず況(いわん)や自余の教をや」云云、既に祖師の所判なり誰か之に背(そむ)く可(べ)きや。
 決(けつ)に云く「道理前の如し」依法不依人の意なり但し此の釈を智証の釈と云う事不審なり、其の故は授決集(じゅけっしゅう)の下に云く「若(も)し法華・華厳・涅槃等の経に望めば是れ摂引門(しょういんもん)」と云へり、広修・維蠲(ゆいけん)を破する時は法華尚及ばずと書き授決集(じゅけっしゅう)には是れ摂引門と云つて二義相違せり指帰が円珍の作ならば授決集は智証の釈に非ず、授決集が実ならば指帰は智証の釈に非じ、今此の事を案ずるに授決集が智証の釈と云う事天下の人皆之を知る上、公家(くげ)の日記にも之を載(の)せたり指帰は人多く之を知らず公家の日記にも之無し、此を以つて彼を思うに後の人作つて智証の釈と号するか能(よ)く能く尋ぬ可き事なり、授決集は正しき智証の自筆なり。

通解
 疑っていう。経文の権教ということについてはしばらく置いて、唐決のことは天台宗の先徳である円珍大師(智証)がこれを破している。すなわち大日経指帰に「大日経には法華経ですらなお及ばない。ましてそれ以外の諸経においてはなおさらである」とある。既に祖師である智証大師の判別である。だれがこの判別に背くことができようか。
 唐決に「道理は前に述べたとおりである」とある。これは「法に依って人に依らざれ」との意である。ただしこの大日経指帰の釈を智証の釈ということは疑わしい。そのゆえは智証の授決集の巻下に「もし法華・華厳・涅槃などの経に対すると、大日経は摂入(しょうにゅう)し誘引する方便の教えである」といっているからである。唐決の公修や維蠲(ゆいけん)を打ち破る時は、大日経指帰に「法華経ですらなお及ばない」と書き、授決集には「大日経は摂入し誘引する教えである」といって、二つの義は相違している。大日経指帰が智証の作であるならば授決集は智証の釈ではない。授決集が真実であるならば、大日経指帰は智証の釈ではないこととなろう。今、このことを考えるに、授決集が智証の釈であることは天下の人がすべて知っているうえ、公家の日記にもこれを記載している。大日経指帰は多くの人々が知らず、公家の日記にもこれを記載していない。このことから大日経指帰について考えると、この釈は後世の人が作って智証の釈と称したものであろうか。よくよく探って明らかにすべきである。一方、授決集は正しく智証の自筆である。

語訳
唐決の事
「唐決」に述べられている内容。唐決は中国・唐代の道邃(どうすい)・広修・維蠲(ゆいけん)らが比叡山の伝教大師・円澄などの質問に答えたもの。唐決集には次の七篇の唐決が集録されている。①在唐決一巻(天台宗未決ともいう。唐の貞元二十一年〔八〇五年〕二月に伝教大師が道邃に対して、摩訶止観を中心として法華三大部・浄名疏に関する疑問十条の決答を求めたもの)②光唐決。(唐の会昌五年〔八四五年〕に光定(こうじょう)が宗頴(しゅうえい)に対して、廬舎那仏に関する疑問など六項目について決答を求めたもの)③慧唐決二巻(または一巻)。(恵心僧都源信が弟子の寂照の入宋の際、疑問二十七条を託したのに対して、四明知礼(しめいちれい)が宋の咸平六年〔一〇〇三年〕に略答をつくったもの)④徳唐決一巻。(徳円が疑問十条を唐へ送ったのに対して、宗頴が答えたもの)⑤円唐決一巻。(日本国三十問謹案科直答ともいう。円澄が円仁〔慈覚〕と円載等の入唐の時に三十条の疑問を託し、円載が天台山に持参して広修の決答を得たもの)⑥澄唐決。(円唐決と同じ疑問に対して維蠲が決答したもの)⑦答修禅院問。(修禅院は一般には義真をさすが、ここでは円澄のことと考えられる。決答は十三条あるが、決答者の名を欠いている)を指す。

天台の先徳・円珍大師
(八一四年~八九一年)。日本天台宗の智証大師円珍。比叡山延暦寺第五代座主。台密三派の一つ、智証大師流(寺門派)の祖。円珍は諱(いみな)。諡号(しごう)は智証。讃岐(香川県)の人。俗姓は和気(わけ)氏。十五歳で比叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿三年(八五三年)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来した。貞観十年(八六八年)延暦寺座主となる。著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻等がある。円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。

大日経の指帰(しき)
 一巻。智証講述として伝わる「大日経指帰(だいにちきょうしき)」のこと。正しくは「大毘盧遮那経指帰(だいびるしゃなきょうしき)」。密教は一切の仏教を統括する教え(一大円教)であるとし、また弘法の十住心の教判を批判している。

授決集(じゅけっしゅう)
 二巻。智証撰。智証が留学中に天台山禅林寺の良諝(りょうしょ)から受けた口伝の法門などを集成したもの。智証の他の著作である「大日経指帰」から一転、法華経が一大円教であると説く(三〇六、三〇七㌻参照)。

摂引門(しょういんもん)
 真実の教法へ誘引する方便の法門・教えのこと。授決集巻下には、「真言・禅門……若(も)し法華・華厳・涅槃等の経に望むれば是(こ)れ摂引門」とある。真言、禅等は、法華へ入らしむるためのものであるとの意。

講義
 ここでは、まず、真言宗側の反論を予想されて掲げられる。先に、大日経を権教とすることは「経文顕然(けんねん)なり」と言われたが、その点については「且(しばら)く之を置く」として触れず、提示された唐決については反論する。
 すなわち、同じ比叡山天台宗の先徳である円珍大師(智証)が大日経指帰という書物の中で「(大日経に比較すれば)法華経ですら、なお及ばない。ましてや余経はいうまでもない」と言っているのに、大日経を権教として、法華経に劣るとする説は受けつけかねるというものである。
 これに対して、少し分かりにくいが「決に云く……」からが、それに対する大聖人の答えである。まず「道理前の如し」と決の文にある、ということであるが、この「決」が何をさしておられるかは不明である。「決して云く道理前の如し」と読むべきだとする説もある。続けて「依法不依人の意なり」と仰せられているように、大事なことは、あくまで「法」である仏説、経文をふまえての論議であり、経文の論議をさしおいて、唐決について、しかも円珍・智証の言い分を引っぱり出してくるのは本末転倒であると打ち破られている。
 次に、大日経指帰を円珍大師(智証)の釈とすること自体に疑義を提出される。その理由は同じ智証の作である授決集巻下では大日経は法華・華厳・涅槃の諸経に対しては摂引門(しょういんもん)(方便門)であるとあり、指帰の釈とは矛盾しているからである。
 どちらが智証の本意かということになるのであるが、大聖人は天下の人々の周知していることと公家の日記にも書名が記述されていることから、授決集が智証の著述であることは間違いないとされ、したがって、指帰のほうは後世のだれかが智証の名に仮託(かたく)して著したものであろうとされ、更によく検討すべきであるとされている。

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