FC2ブログ
09 -<< 2018-10 -  12345678910111213141516171819202122232425262728293031  >>11 -
 

真言見聞・第四章 真言を権教・邪法とする文証

              真言見聞

       第四章 真言を権教・邪法とする文証

本文(一四三㌻一行~一四三㌻五行)
 問う権教邪宗の証文は如何(いかん)既に真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵(おうぞう)なり、故に上下一同に是の法に帰し天下悉(ことごと)く大法を仰ぐ海内(かいだい)を静め天下を治むる事偏(ひとえ)に真言の力なり、権教・邪法と云う事如何。
 答う権教と云う事・四教含蔵(がんぞう)・帯方便(たいほうべん)の説なる経文顕然(けんねん)なり、然れば四味の諸教に同じて久遠を隠し二乗を隔(へだ)つ況んや尽形寿(じんぎょうじゅ)の戒等を述(の)ぶれば小乗権教なる事疑無し、爰(ここ)を以て遣唐の疑問に禅林寺の広修(こうしゅう)・国清寺の維蠲(ゆいけん)の決判(けっぱん)分明に方等部の摂(せつ)と云うなり。

通解
 問う。権教・邪宗ということの証文はどうか。既に真言教の大日如来の秘法は即身成仏の奥深い教えである。ゆえに身分の上下を問わず一同にこの真言の法に帰依し、天下の人々はことごとく、この大法を仰いでいる。日本国内を平静にし天下を治めることは、全く真言の力である。(その真言教を)権教・邪法ということはどうか。
 答える。権教ということは(真言経典が)蔵・通・別・円の四教を含有し方便を帯びた説であるとする経文が明らかである。だから四味(爾前)の諸教と同じく、久遠実成を隠し二乗を成仏できないものとして排斥している。
 まして肉体と寿命が尽きると戒の功徳もなくなる小乗の戒などを説いているのであるから小乗・権教であることは疑いない。
 このために延暦寺第二代座主・円澄(えんちょう)が唐に使いを送って答えを求めた疑問に対して、禅林寺の広修や国清寺の維蠲(ゆいけん)の決答(唐決)は明らかで、(真言教は)方等部の中に入ると言っている。

語訳
大日覚王
 密教の教主・本尊である大日如来のこと。梵名マハーヴァイローチャナ(Mahāvairocana)の訳。摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、毘盧遮那と略す。光明遍照・遍一切処・遍照如来などとも訳される。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本仏とされる。大日如来の本義については真言宗と天台宗では相違があり、天台宗(台密)では大日如来と釈迦如来を同一仏とし、その法身が大日、応身が釈尊としてあらわれたと解釈するが、真言宗(東密)では大日如来と釈迦仏を別仏とし、おのおの三身をそなえており、しかも大日如来の三身が遍(あまね)く一切の所に行きわたるので大日如来が最高仏であると解釈している。

即身成仏
 衆生がこの一生のうちにその身のままで仏の境涯を得ること。爾前経では、何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう))、九界の迷いの境涯を脱して仏の境涯に到達するとされた。これに対し法華経では、十界互具・一念三千の法理が説かれ、凡夫の身に本来そなわる仏の境地(仏界)を直ちに開き現して成仏できると明かされた。このように、即身成仏は「凡夫成仏」である。この即身成仏を別の観点から表現したのが、一生成仏、煩悩即菩提、生死即涅槃といえる。

四教含蔵(がんぞう)・帯方便(たいほうべん)の説
 四教とは、天台大師所立の化法の四教(蔵・通・別・円)で「四教含蔵」とは四教を並べ説くこと。天台大師の五時の第三・方等時では、五時略頌(ごじりゃくじゅ)(※)に「方等部には四教を説対す」とあるように、蔵通別円の諸経は、円を説くといえども四教含蔵の経であり、実教である法華経のように純一無雑の円ではない。帯方便の説とは方便を帯(お)びた教説ということ。権は「かり、方便」の意で、無量義経説法品第二で未顕真実と打ち破られた法華経以前の爾前諸経を「権教」とする。爾前の諸大乗経のなかにも円教を説くが、別ないしは蔵・通・別の方便を帯する円なので、実教である法華の純円に対して未顕真実であり権教とされる。
〈追記〉
『五時略頌』一巻。源信撰。

尽形寿(じんぎょうじゅ)の戒
 尽形寿とは肉体・寿命の尽きること、一生涯をいう。尽形寿の戒とは、小乗教の戒体(もしくは戒の功徳)が、一生の寿命を終えるとともに失われること。倶舎論巻十四に「別解説の律義は尽寿と惑いは昼夜となり」とあり、多数の戒律を別々に受持してゆく小乗別解脱戒(しょうじょうべつげだつかい)(※)の功徳によって、ひとたび人界もしくは天界に生まれたならば、新たに戒体を獲得しなければ、その一生のうちに戒体を失って悪道に落ちることになる。
〈追記〉
 別解脱戒(べつげだつかい)とは、梵名プラーティモークシャ(prātimokṣa)、音写して波羅提木叉(はらだいもくしゃ)、いわゆる具足戒のことで、僧侶(比丘・比丘尼)のみに課される戒。在家信徒は五戒・八齋戒、具足戒を受けていない出家者(沙弥・沙弥尼)は十戒、出家修行者(比丘・比丘尼)は波羅提木叉(別解脱戒、具足戒)を遵守した。

遣唐の疑問
 法門上の疑問について、中国へ使者を遣わし回答を仰ぐこと。これを唐決という。伝教大師入唐の折に道邃(どうすい)和尚に質問し回答を受けた「天台宗未決」「在唐問答」「天台法華宗生知妙悟決(てんだいほっけしゅうしょうちみょうごけつ)」、また円澄(延曆寺第二代座主)の疑および広修(中国天台宗第十一祖)の決である「円唐決」等がある。

禅林寺の広修(こうしゅう)
(七七一年~八四三年)。中国・唐代の天台宗の僧。広脩(こうしゅう)・廣修とも書く。至行尊者(しぎょうそんじゃ)ともいわれる。道邃(どうすい)和尚の弟子となり、天台山禅林寺で天台の教観を学び、法華経・維摩経・金光明経等を日々読誦したといわれる。後に、請われて台州(浙江省東部の都市)に行き、学堂で止観を講じた。円澄の「延暦寺未決三十条」の問いに対して、開成五年(八四〇年)弟子の維蠲(ゆいけん)とともに答えている。禅林寺は浙江省台州府の天台山にあった天台宗寺院、修禅寺のことで、陳の太建七年(五七五年)に天台大師が天台山の銀地嶺に建てたのが始まり。同十年、修禅寺の号を勅賜されたが、後に大慈寺と改称された。

国清寺の維蠲(ゆいけん)
 生没年不明。中国天台宗、天台山広修座主の高弟。妙楽大師の法曽孫。開成五年(八四〇年)、比叡山の学僧・円載(えんさい)(~八七七年)が延暦寺座主円澄の天台宗学に関する質問三十条をもって唐に来たのに対し、回答を与えた。質問は広修に対するのと同じであるが、広修の決答を「円唐決」というのに対し、維蠲のそれを「澄唐決」という。国清寺(こくせいじ)は中国・浙江省台州府天台山仏隴峰(ぶつろうほう)の南麓(なんろく)にある天台宗の寺。天台大師智顗の死後、その遺志を受けた晋王楊広(ようこう)(隋の煬帝(ようだい))が創建した。天台大師は三十八歳の時、天台山仏隴に入り修行し、後に寺域を定めて殿堂厨宇などの建設を計画したが、実現せずに亡くなった。亡くなる時、晋王楊広に手紙を送り、寺院の建立を頼んだ。王は即座に寺院の建立に着手し、隋の文帝仁寿元年(六〇一年)に完成した。当初、天台寺と名づけられたが、大業元年(六〇五年)に国清寺と改められた。中国天台宗の根本道場として栄え、代々の天台座主が住し多くの弟子を育成した。日本から渡った伝教大師最澄や義真などがここで学んだ。

方等部の摂(せつ)
 方等部は大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いているとされる。小乗を弾呵(弾劾・呵責)し、一切衆生に広く平等に教法を説き示したもの。摂(せつ)は包摂すること、入れること、属することの意。勝鬘経・解深密経・金光明経・維摩経・浄土三部経・大日三部経等の権大乗経がこれに当たる。

講義
 前の文で、真言宗が権教・邪法であると断じられたのを受けて、その裏付けとなる文証を明らかにされるところである。
 初めに、真言宗側の言い分を想定されて問いとして掲げられる。つまり「真言宗の教えは大日如来が説いた秘密の法であり、衆生が即身成仏することのできる深い法門であるから、日本国の上から下までの人々が一同に帰依するところとなり、その結果、天下は泰平になっている。これは、真言に力のある何よりの証拠であるのに、なぜ、権教、邪法と断ずるのか。その文証はあるのか」と問うている。承久の乱の時、朝廷方が真言の法で祈禱を行ったように、真言宗は平安期以来、最も朝廷の信頼の篤(あつ)い宗派であった。真言宗の人々にしてみれば、平安時代が全体として平穏であったのは、この真言宗の力によると思われたのであろう。
 これに対して、何故に真言が権教・邪法であるかを道理と文証をもって答えられている。まず、権教とする理由であるが、真言宗の依経である大日経等が天台大師智顗(ちぎ)の立てた化法の四教(蔵・通・別・円)の全てを分々に含んでいるところから「帯方便の説」として権教に位置づけられるのは明らかであると説かれている。
 つまり、法華経が純粋の円教(純円)を説いた実教であるのに対し、大日経等は円教を説いていても蔵教・通教・別教をも併(あわ)せ説いているので方便を帯(お)びた権教となると決せられている。
 そして、大日経等が権教の「四味の諸教」すなわち、醍醐味の法華経以前に説かれた乳味(華厳)・酪味(らくみ)(阿含)・生酥味(しょうそみ)(方等)・熟酥味(じゅくそみ)(般若)の四味四教と同じ教えである証拠として、純円の法華経で明らかとなる二乗作仏と久遠実成とが説かれていないことを指摘されている。これは、一切衆生を成仏させる法門ではないということで、真言教の大日覚王の秘法は即身成仏の奥蔵であるという真言宗の言い分を破られているのである。
 まして、真言宗では「尽形寿(じんぎょうじゅ)の戒」を説いており、これは小乗教の戒と同じであるから、権教のなかでも「小乗権教」にすぎないと破折されている。
 次いで「唐決」において天台山禅林寺の広修、同国清寺の維蠲(ゆいけん)が真言の依経である大日経等を第三時・方等部に属する権教と決定していることを述べられ、文証とされている。

 四教含蔵・帯方便の説

 大日経が五時四教(化法)の教判では方等時(部)にあたることを述べられている。天台大師智顗(ちぎ)の法華玄義巻一上には、華厳・阿含等の五時の次第と蔵・通・別・円という教えの内容による分類とを組み合わせて、次のように説いている。
「華厳は兼(けん)、三蔵は但(たん)、方等は対(たい)、般若は帯(たい)、此の経は復(また)兼但対帯無し」とある。
 華厳時は円教に別教を兼ねて説いているから「兼」、阿含時は但(ただ)(三)蔵経のみを説き、通・別・円教を説いていないので「但」、方等時は蔵・通・別・円の四教を機根に応じてあれこれ対比して説いているので「対」、般若時は円教に通・別の二教を〝帯びて〟つまり、挿(さしはさ)んで説いているので「帯」、第五時の法華経には以上の兼・但・対・帯がなく、純円一実で無雑(むぞう)の法門であるとしている。
 ここから、大日経は四教を含んだ「対」の方等時にあたり、円教も説いてはいるものの、蔵・通・別の方便を帯びた権教であることが明らかであるとされている。

 四味の諸教に同じて久遠を隠し二乗を隔(へだ)つ

 爾前権教である何よりの証拠が二乗を不成仏として排斥していること、そして釈尊の久遠実成を明かしていないことであると述べられているところである。天台大師智顗の五時(味)の教判では、爾前権教が前の四時(味)、実教の法華経が第五時の醍醐味、となる。化法の四教で、これらを見た場合、完全無欠な円融円満の境地である成仏を明かした教えが円教で、これに爾前の円と法華・涅槃の円とがある。爾前経にも衆生が成仏できることを説いているが、実際には二乗の成仏を認めていない。二乗の成仏は法華経にいたってはじめて明確に説かれた。二乗を不成仏として差別している爾前経は、円教といっても言葉だけとなる。久遠実成は釈尊の成道が久遠に遡(さかのぼ)ることを明かしたもので、法華経寿量品で初めて説かれた。これは、衆生の成仏にかかわる仏の化導を明らかにしたもので、法華経は二乗作仏と久遠実成とを説くゆえに真実の円教となるのである。
 大日経等がこの二つを説かないゆえに前四味の諸経と同じ権教とされることは、開目抄の次の一節にも明らかである。すなわち「華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり……」(一九七㌻)と。

 遣唐の疑問に……方等部の摂(せつ)と云うなり

 大日経を依経とする真言の教えが方等部に属するということの文証として「唐決」を挙げられているところである。
 遣唐の疑問、とは日本の天台宗比叡山において生じた法門上の疑問を、中国の天台宗に使者を遣わして回答を得て決着をつけることで「唐決」ともいう。唐決というのはその始まりが中国・唐代の道邃(どうすい)、広修(こうしゅう)、維蠲(ゆいけん)らが伝教大師、円澄(えんちょう)などの疑問に答えたことに発しているからであり、全部で七回あるうち、栄の時代のものの一回を除いて他は唐代のものであることによる。
 広修、維蠲の決判というのは比叡山の円澄が円載(えんさい)等の入唐の時に三十箇条の疑問を託し、天台山の広修と彼の弟子・維蠲のそれぞれの回答を得たものである。同じ三十箇条の疑問に対して、師弟それぞれが答えたもので、広修が答えたものを「円唐決」、維蠲が答えたものを「澄唐決」と呼んでいる。
 本文に関連する円澄の疑問とは二番目の問いで「毘盧遮那経は五時四教八に説かざる所なり、法華の前説とやせん、法華の後説とやせん、此の義如何(いかん)」というものである。
 すなわち「毘盧遮那経(大日経)は智顗の教判である五時四教八教には説かれていない経である。一体、大日経は法華経の前に説かれた経とするのか、後に説かれた経とするのか」というのが問いである。
 これに対して、広修は「豈(あに)第三時の摂(せつ)、方等教の収(しゅう)とせざらんや、理をもってこれを検(けみ)するに、即ち知る、是れ法華の前説、并(なら)びに八教の中に並びに摂することを」と答えている。大日経は法華経の前に説かれた第三時・方等部に摂せられると決定している。
 また、維蠲も「謹(つつし)んで経文を尋ねるに方等部に属す。声聞縁覚に行ぜしむる故に、不空羂索(ふくうけんじゃく)、大宝積(だいほうしゃく)、大集大方等(だいしゅうだいほうどう)、金光明、維摩、楞伽(りょうが)、思益(しやく)等の経と同味なり」と答えている。すなわち大日経は不空羂索、大宝積、維摩、楞伽等の経と同味(時)であって第三時方等部に属すると決定している。

コメント



 編集・削除ができます。
 管理者にだけ表示を許可する
 
 

プロフィール

墨田ツリー

Author:墨田ツリー

 
 
 

最新トラックバック

 
 

カテゴリ

 

検索フォーム

 
 
 

ブロとも申請フォーム

 

QRコード

QR