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真言諸宗違目・第四章 経文引き御自身が仏記に当たるを明かす

            真言諸宗違目

    第四章 経文引き御自身が仏記に当たるを明かす

本文(一四〇㌻八行~一四〇㌻一五行)
 法華経に云く「諸(もろもろ)の無智の人有つて悪口罵詈(あっくめり)」等云云、法滅尽経に云く「吾・般泥洹(はつないおん)の後五逆濁世に魔道興盛(こうじょう)なり魔沙門と作(な)つて吾が道を壊乱(えらん)す○悪人転(うた)た多くして海中の沙(すな)の如し劫尽きんとする時・日月転(うた)た短く善者甚だ少くして若(も)しは一若しは二人」等云云、又云く「衆魔の比丘・命終(みょうじゅう)の後精神当(まさ)に無択地獄(むじゃくじごく)に堕つべし」等云云、今道隆(どうりゅう)が一党・良観(りょうかん)が一党・聖一(しょういち)が一党・日本国の一切の四衆等は是の経文に当るなり。
 法華経に云く「仮使(たと)い劫焼に乾(か)れたる草を担(にな)い負いて中に入つて焼けざらんも亦(また)未だ難(かた)しとせず我が滅度の後に若(も)し此の経を持つて一人の為にも説かん是れ則(すなわ)ち為(こ)れ難し」等云云、日蓮は此の経文に当れり、「諸の無智の人有つて悪口罵詈(あっくめり)等し及び刀杖を加うる者あらん」等云云、仏陀記して云く後の五百歳に法華経の行者有つて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦礫(とうじょうがりゃく)・流罪死罪せられん等云云、日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏の未来記は当(まさ)に大妄語なるべきなり。

通解
 法華経勧持品第十三には「仏法に対して理解のない多くの人々がいて、法華経の行者に対して悪口を言ったりののしる」等と説かれている。法滅尽経には「私(釈尊)が、入滅の後、五逆罪の者が充満する濁悪の世に魔道が盛んにおこり、魔が僧の姿となって出現して、仏の説いた道法(正しい仏法)を破壊し乱すであろう。……また、悪人の数はますます多くなって海中の砂のごとくになるであろう。その世が尽きようとする時には太陽と月の輝く時間がますます短くなり、しかも善人ははなはだ少なく、わずか一人か二人にすぎないであろう」等と説かれている。また法滅尽経には「多くの魔の出家者は、生命が尽きた後、その変転しながら三世に続く主体は間違いなく無択地獄(むじゃくじごく)(無間地獄)に堕ちるであろう」等とも説かれている。いま、道隆の一味、良観の一味、聖一の一味、さらに日本国のすべての四部衆たち、すなわち出家在家にわたる男女は、この経文にあたるのである。
 一方、法華経見宝塔品第十一には「たとえ壊劫に起こる大火災の時に、かれた草を背負ってその中に入って焼けないでいることも、まだ難しいことではない。私(釈尊)の入滅の後にあって、この経(法華経)を持って一人のためにも説くことこそすなわち困難なことである」等と説かれている。日蓮はこの経文に当たっているのである。
 法華経勧持品第十三に「仏法に対して理解のない多くの人々がいて、法華経の行者に対して悪口を言ったりののしるであろう。更に刀や杖で迫害する者が出現するであろう」等とあるが、これについては、更に、釈尊は法華経に次のように説いている。釈尊滅後の第五の五百年、すなわち末法の初めに、法華経の行者は仏法に対して理解のない多くの人々によって悪口を言われののしられたり、刀で斬られたり、杖で打たれたり、瓦や石ころを投げられ、更に、流罪や死罪に処せられたりするであろう、等と。もしも日蓮がいなければ釈迦、多宝、十方の諸仏の未来記はまさに大嘘となってしまうところであった。

語訳
法華経
 大乗仏典の極説。梵名サッダルマプンダリーカ・スートラ(Saddharmapuṇḍarīka-sūtra)、音写して薩達摩芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりきゃ・そたらん)、意は「白蓮華のごとき正しい教え」。経典として編纂されたのは紀元一世紀ごろとされ、すでにインドにおいて異本があったといわれる。漢訳には「六訳三存」といわれ、六訳あったが現存するのは三訳である。その中で後秦代の鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」八巻は、古来より名訳とされて最も普及している。内容は前半十四品(迹門)には二乗作仏、悪人成仏、女人成仏等が説かれ、後半十四品(本門)には釈尊の本地を明かした久遠実成を中心に、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙合論に約して仏の振る舞い、また末法に法華経を弘通する上行菩薩等の地涌の菩薩に結要付嘱されたこと等が説かれている。

法滅尽経
 仏説法滅尽経。一巻。中国・劉宋代(四二〇年~四七九年)の訳経。訳者不明。仏の涅槃が近づき、説法せず、また光明を現じなかった。そこで阿難が三回たずね、仏はそれに対し、末法法滅の時、魔が比丘となって生ずることを説いている。

般泥洹(はつないおん)
 梵語パリニルヴァーナ(parinirvāṇa)の音写。般涅槃とも書き、略して涅槃という。入滅・寂滅と訳す。

無択地獄(むじゃくじごく)
 無間地獄のこと。無択は梵語アヴィーチ(Avīci)の訳で、無間の旧訳。五逆罪と誹謗正法の者は、だれでも人を択(えら)ばず堕ちるとされるところから「無択」と訳したといわれる。

道隆(どうりゅう)
(一二一三年~一二七八年)。鎌倉時代の臨済宗の僧。中国西蜀涪江(ふうこう)の人。姓は冉(ぜん)氏。諱(いみな)は蘭渓。十三歳で出家し、陽山の無明慧性に禅を学んだ。三十三歳の時、日本渡航をこころざし、寛元四年(一二四六年)、紹仁とともに九州大宰府に着いた。はじめ筑前円覚寺、ついで京都の泉涌寺(せんにゅうじ)に留まり、のちに北条時頼(一二二七年~一二六三年)の帰依を受け、時頼が建長五年(一二五三年)建長寺を建立すると、迎えられて開山となった。その後門下に告げ口されて前後二回にわたり甲斐に配せられた。二度目に赦されて鎌倉へ帰ったがまもなく病を起こし弘安元年(一二七八年)七月二十四日没した。道隆は良観と共に日蓮大聖人に敵対した張本人であり、北条執権を動かし、平左衛門尉と謀って迫害・弾圧のかぎりを尽くした。日蓮大聖人は、文永五年(一二六八年)十月、立正安国論に予言した他国侵逼難が、蒙古からの牒状(ちょうじょう)到来で的中した旨を、十一通の書状に認(したた)めて北条時宗をはじめ、時の権力者を諫暁されたのであった。このとき、道隆にも書状を送り、法の正邪を決すべく公場対決を迫られたのである。しかし、道隆はこれに応ぜず、卑劣にも幕府に働きかけて、文永八年(一二七一年)九月、竜の口の法難となったのである。道隆については、一般に高僧とみられているが、実際は堕落僧であったことは、筑前在住時代に官位を金で買おうとして失敗し世人の嘲笑をかったことや、二度の告げ口が自分の門下から出たことから考えても明らかである。

良観(りょうかん)
(一二一七年~一三〇三年)。鎌倉時代の律宗の僧。良観は法号で、諱(いみな)を忍性(にんしょう)といった。日蓮大聖人御誕生より五年前(建保五年)に大和国に生まれた。十七歳の時東大寺で受戒して出家し、のちに奈良西大寺の真言律宗の祖叡尊(えいぞん)の弟子となった。叡尊は、律宗を再興し二百五十戒、五百戒等の戒律を守ることをすすめ、それに真言の祈禱と弥陀の名号を称(とな)えることを加えるというでたらめな教義を作って一派をたてた。良観はのちに、関東に下り鎌倉に入る。文応元年(一二六〇年)には北条時頼の連署であった重時(しげとき)が鎌倉の西南の景勝の地に極楽寺を創設し、自ら極楽寺入道重時と称した。重時が尊敬していた法然の教えは、日蓮大聖人によって徹底的に破折され選択集の邪義も明らかにされたので、彼はなにかに取り付かれたように大聖人の迫害に狂奔した。松葉が谷の草庵焼き打ち、伊豆流罪の黒幕であった。良観がとりいったのはこの重時である。文永四年(一二六七年)には重時の子業時(なりとき)が良観を招いて極楽寺の開山とした。良観五十一歳の時であり、以後三十七年間にわたってここに住んだ。彼は幕府に巧妙にとり入って、自らの身の安泰をはかるとともに、日蓮大聖人に敵対する迫害の元凶となった。また良観は、粗衣粗食に甘んじ、慈善事業を行ない、二百五十戒を堅く持った聖者であるかのように振舞ったが、それはあくまでも見せかけであり、売名行為であった。極楽寺良観への御状(一七四㌻)に「良観聖人の住処を法華経に説て云く『或は阿練若(あれんにゃ)に有り納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在り』と、阿練若は無事と翻(ほん)ず争(いかで)か日蓮を讒奏(ざんそう)するの条住処と相違せり併(しかし)ながら三学に似たる矯賊(きょうぞく)の聖人なり、僣聖増上慢にして今生は国賊・来世は那落(ならく)に堕在せんこと必定なり」とあるとおり、実に良観こそ法華経勧持品第十三に予言された三類の強敵中の第三僭聖増上慢であり、仏と共に出現し、仏のような姿で世人を幻惑して、内心には怨嫉をもち仏法を破壊しようとする、第六天の魔王の働きを示すものであった。

聖一(しょういち)
(一二〇二年~一二八〇年)。鎌倉時代の臨済宗の僧。初め弁円と称し、後に円爾(えんに)といった。駿河国(静岡県)に生まれ、五歳の時から久能山で法華経を学ぶ。嘉禎(かてい)元年(一二三五年)入宋し、六年間禅を学んで帰朝。帰国後、関白九条道家の招請で禅要を説き、聖一和尚の名を賜り、山城東福寺の開山となり、禅宗を弘めた。上流階級に信頼篤(あつ)く、後嵯峨、後深草、亀山の三天皇、鎌倉幕府五代執権北条時頼などに禅戒を授けたと伝えられている。没後、花園天皇より正和元年(一三一二年)聖一国師の号を賜わった。

劫焼
 四劫(成・住・壊・空)の中の壊劫に発生する大火災をさす。大の三災の一つである火災のこと。

講義
 次に、法華経や法滅尽経等の文を引いて、日蓮大聖人が仏の未来記に当たることが明かされている。
 初めに、法華経勧持品第十三に「諸(もろもろ)の無智の人の 悪口罵詈(あっくめり)等し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者有らん」(『妙法蓮華経並開結』四一八㌻ 創価学会刊)の文を引かれている。恐怖悪世(くふあくせ)に正法を弘める法華経の行者には、諸の仏法に無智な俗世間の人々が悪口罵詈し、刀で切りつけ、杖で打つという迫害を加えるであろうと予言した、三類の強敵の中の第一・俗衆増上慢を説いた文である。また法滅尽経の「仏の滅後、五逆罪の衆生が充満する濁世には、魔道が盛んに行われ、魔が僧となって仏道を破壊するだろう」(取意)「その時に、悪人は海中の砂のように多く、劫が尽きようとして日月が現れる時が短くなり、善人ははなはだ少なくて、一人か二人であろう」(取意)「多く出現する魔の僧は、寿命が終わった後、その変転しながら三世に続く主体は無間地獄に堕ちるであろう」(取意)等の文を引かれている。この文では、五濁悪世である末法には僧が仏法を破壊する魔の働きをすることが明かされている。また末法には、仏法を破壊する悪人ばかりで、正法を行ずる善人ははなはだ少ないことが示されている。更に、仏法を破壊する魔の僧が死後に無間地獄に堕ちることも明確にされている。
 大聖人は、当時の建長寺道隆(どうりゅう)の一派や極楽寺良観の一派、東福寺の聖一(しょういち)の一派、更には日本国の一切の四衆・諸宗の僧俗は、ことごとくこの経文に該当すると断じられている。すなわち、いずれも仏法を破壊する悪人であり、無間地獄に堕することは間違いないとされているのである。
 蘭渓道隆は、南栄から日本に渡来した禅僧(臨済宗)で、北条時頼が鎌倉に建長寺を建立した際、開山として招かれた。大聖人に敵対し、幕府の要人に讒言(ざんげん)して迫害を加えた。
 忍性良観は奈良・西大寺の叡尊(えいぞん)に師事した律宗の僧で、北条業時(なりとき)に招かれて鎌倉・極楽寺の開山となり、難民救済や医療施設の充実等の社会事業・慈善事業に努め、名声を得た。文永八年(一二七一年)夏に日蓮大聖人との祈雨の勝負に敗れた後、幕府の要人に大聖人を讒言して、竜の口法難を引き起こしている。
 聖一とは、臨済宗東福寺派の開祖・弁円のことで、園城寺で得度して東大寺で受戒し、栄へ渡って禅・天台を学び、帰朝して京の東福寺の開山となり、臨済禅を弘めた。後嵯峨・亀山両上皇をはじめ、北条時頼等に戒を授けるなど、権力者に接近してその庇護を受けている。
 道隆・良観・聖一に共通しているのは、いずれも権力者の帰依を受けて臨済禅や律等を弘め名声を得ているが、法華経を誹謗し、日蓮大聖人を迫害したことである。ゆえに、その一門を仏法を破壊する魔であり悪人であるとされているのであろう。なお妙法比丘尼御返事には「日本国の国主諸僧比丘比丘尼等も又是くの如し、たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云うを聞き真言は亡国の法と云うを聞き持斎は天魔の所為(そい)と云うを聞いて念珠をくりながら歯をくひちがへ鈴(れい)をふるにくび(頸)をどりたり戒を持ちながら悪心をいだく極楽寺の生仏(いきぼとけ)の良観聖人折紙をささげて上(かみ)へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿(こし)に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははく(帛)をつかひてでんそう(伝奏)をなす、是れ偏(ひとえ)に法華経を読みてよまず聞いてきかず善導法然が千中無一と弘法慈覚達磨等の皆是戯論(けろん)教外別伝のあまきふる酒にえ(酔)はせ給いてさかぐる(酒狂)ひにておはするなり」(一四一六㌻)と述べられており、大聖人から破折され、怨嫉した道隆・良観や諸宗の尼たちが、幕府の権力者に讒言した様子が明らかにされている。
 次に法華経見宝塔品第十一の「壊劫の時に発生する大火災の中で、枯草を背負ってその中に入って焼けないことはまだ難しいことではない。仏の滅後にこの法華経を持って、一人のためにでも説くことは難しい」(取意、『妙法蓮華経並開結』三九一㌻ 創価学会刊)との経文を引かれている。仏滅後に法華経を受持することの難しさを、六つの難しいことと九つの易しいことに譬えて説いた六難九易の文の一節である。
 そして、日蓮はこの経文に当たっていると述べられ、大聖人こそ法華経を経文どおりに実践し弘通している末法の法華経の行者であると宣言されている。末法に法華経を弘通することが難しいのは、経文にあるように、仏法を破壊する多くの僧俗が激しく迫害を加えてくるからである。
 更に法華経勧持品や薬王品の文意を要約され、仏滅後の末法の初めに法華経の行者が出現して、もろもろの無智の者によって必ず悪口罵詈され、杖や刀で襲われ、瓦礫(がりゃく)を投げられ、流罪・死罪にされるであろうと説かれているとされ、もしも日蓮が出現しなければ、釈迦・多宝・十方の諸仏のこれらの未来記は大妄語となったであろうと述べられているのである。
 大聖人が開目抄で「既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり二度は・しばらく・をく王難すでに二度にをよぶ」(二〇〇㌻)と述べられているように、法華経に予言されたとおりの身命に及ぶ大難を受けられたことこそ、末法の法華経の行者であることを証明するものだったのである。もしも大聖人が出現されず、正法を弘通して大難にあう者が出なければ、法華経の予言は誤りとなり、それを説いた釈尊だけではなく、法華経を真実であると証明した多宝仏や十方の諸仏の言葉も大虚妄となったのである。ゆえに、大聖人の御出現と忍難弘通の御振る舞いは、これらの仏の未来記の正しさを証明することになったのであった。
 同じ趣旨のことは顕仏未来記にも「疑つて云く何を以て之を知る汝を末法の初の法華経の行者なりと為すと云うことを、答えて云く法華経に云く『況んや滅度の後をや』又云く『諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん』又云く『数数擯出(しばしばひんずい)せられん』又云く『一切世間怨(あだ)多くして信じ難し』(中略)此の明鏡に付いて仏語を信ぜしめんが為に、日本国中の王臣・四衆の面目に引き向えたるに予よりの外には一人も之無し、時を論ずれば末法の初め一定(いちじょう)なり、然る間若(も)し日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん」(五〇七㌻)と述べられている。

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