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真言天台勝劣事・第十一章 事相を根拠に真言が勝ると難ず

            真言天台勝劣事

      第十一章 事相を根拠に真言が勝ると難ず

本文(一三七㌻七行~一三七㌻一〇行)
 猶難じて云く如何に云うとも印真言・三摩耶尊形(さんまやそんぎょう)を説く事は大日経程法華経には之無く事理倶密(じりくみつ)の談は真言ひとりすぐれたり、其の上真言の三部経は釈迦一代五時の摂属(しょうぞく)に非ずされば弘法大師の宝鑰(ほうやく)には釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)を証拠として法華は無明(むみょう)の辺域・戯論(けろん)の法と釈し給へり・爰(ここ)を以て法華劣り真言勝(すぐ)ると申すなり。

通解
 なおも難詰していう。何といおうとも、印・真言と三摩耶尊形を説くことにおいては、大日経ほど法華経にはこれを説いていない。そして事も理もともに秘密である点では真言の経だけが勝れているのである。
 そのうえ真言の三部経は釈迦一代五時に属するものではない。それゆえ、弘法大師の秘蔵宝鑰には釈摩訶衍論を証拠として「法華経は無明の領域にある仏の教えであり、戯れの論を説いた法である」と釈しているのである。これらのことから、法華経は劣り真言経は勝れているというのである。

語訳

 梵語ムドラー(Mudrā)の訳。印相(いんぞう)とも訳す。手指を種々に組み合わせて特別な形を結び、諸仏や菩薩の悟りや誓いをあらわしたものを手印といい、刀剣など諸仏が所持する器具であらわすのを契印と呼ぶ。真言の三密(意密・身密・語密)の中の身密にあたる。善無畏三蔵は、印・真言があるから真言宗が天台法華宗に勝れているとの説を立てた。

真言(しんごん)
 梵語マントラ(Mantra)の訳。仏の真実の言葉の意。密呪・密語とも訳す。諸仏の本誓(ほんぜい)・徳・梵名などを示す秘密語。真言の三密の中の語密にあたる。

三摩耶尊形(さんまやそんぎょう)
 三摩耶は梵語サマヤ(samaya)の音写。三昧耶とも書く。真言密教で、平等・本誓(ほんぜい)・除障・驚覚の意。仏・菩薩が心に懐く衆生救済の誓願(本誓)を形の上で象徴する器物のこと。大日如来の卒塔婆、薬師如来の薬壺、観音菩薩の蓮華、不動明王の剣などをいう。

事理倶密(じりくみつ)
 事密・理密が俱(とも)にそなわっていること。天台密教では、身語意の三密の事相(印・真言など)を事密、世俗諦(世法の真理)と勝義諦(仏法の真理)が円融不二であるという法理を理密とし、この二つが究め尽くされているのが大日経や金剛頂経等であるとしている。

宝鑰(ほうやく)
 三巻。弘法の著。秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)のこと。「秘密曼荼羅十住心論」十巻を要約して三巻にまとめたもの。法華経は真言・華厳に劣る戯論(けろん)であると下し、更に法華経の教主は顕教のなかでは究竟の理智法身ではあるが、真言門に望めば初門にすぎず、悟りには遠い「無明の辺域」にすぎない、と法華経の教主である釈尊を卑しめている。

釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)
 十巻。竜樹著、中国・姚秦代の筏提摩多(ばつだいまた)訳とされる。略して釈論ともいう。馬鳴著と伝えられる大乗起信論の注釈書。摩訶衍は梵語マハーヤーナ(Mahāyāna)の音写で、大乗と訳し、菩薩の教法のこと。内容は大乗起信論で説く一心・二門(生滅・真如)・三大(体・相・用)の法を三十二の法門に分かち、その上に不二摩訶衍の法を設けて極妙甚深にして独尊であるとする[※1]。戒明(かいみょう)が宝亀十年(七七九年)に日本に本論を伝えて以来、真偽の論争があったが、伝教大師は守護国界章で七つの理由を挙げて偽論と断じている。ところが弘法は本論を竜樹の真作となして弁顕密二教論や秘蔵宝鑰に引用しており、真言密教では不二摩訶衍が密教を説示したものとして重要視している。本論は、その記載の事項から竜樹の著作でないことは明らかで、訳者名も僧伝に一切なく、書名は貞元釈教録に至るまでの諸経録になく、またその内容などから八世紀中頃の偽作であることが知られている[※2]。
〈追記〉
[※1]三十二法門とは機根に応じて説かれる因分の法門であり、不二摩訶衍とは機根を離れた絶対果分の法であると説く。弘法は、果分の不二摩訶衍を密教に、因分の三十二法門を顕教に配し、密教の優位性を立てた。
[※2]「竜樹著と伝えられるが、真偽未詳」(大辞林 第三版の解説)、「龍樹の著作と伝えられるが、著作者については古来疑問視されており、結論は出ていない。おそらく七~八世紀の頃、中国か朝鮮で成立したものであろうと考えられている」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)、以上いずれも「釈摩訶衍論」の項目より一部抜粋。そもそも馬鳴(めみょう)(一、二世紀ごろの人)の著と伝えられる大乗起信論は、実際には五~六世紀に成立したものと考えられている。二~三世紀の人である竜樹が、どうして自分の死後にその注釈書を書けようか。

無明(むみょう)の辺域
 弘法がその著「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」のなかでいっている言葉。「法身真如一道無為の真理を明かす乃至諸の顕教においてはこれ究竟(くきょう)の理智法身なり、真言門に望むれば是れ即ち初門なり……此の理を証する仏をまた、常寂光土毘盧遮那と名づく、大隋天台山国清寺智者禅師、此の門によって止観を修し法華三昧を得……かくの如き一心は無明の辺域にして、明の分位にあらず」と。要約すると、顕教諸説の法身真如の理は、真言門に対すれば、なお、仏道の初門であって、このような初門すなわち因門は明の分位たる果門に対すれば、無明の辺域にほかならない、という邪義を述べている。

戯論(けろん)の法
 児戯に類した無益な論議・言論である法のこと。

講義
 ここからは最後の第五問答となる。ここは問いの部分で、問者の言い分は四点にわたっている。
 まず、①印・真言・三摩耶尊形といった事相について詳しいのは大日経であり、これに対し、法華経にはほとんど説かれていない、次に②事も理も俱(とも)に秘密であるのは真言のみであり、真言が勝れている所以(ゆえん)がここにある、更に③真言三部経は釈尊一代五時の中に属さない教えであること、最後に④弘法の秘蔵宝鑰という著書には竜樹の釈摩訶衍論の文を証拠に、法華経を無明の領域の教えであり、したがって真実を説かない戯れの論であると貶(おとし)めている、という以上の四点を挙げて、真言が勝れ法華経は劣ると主張している。

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