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真言天台勝劣事・第十章 大日を釈尊の師とする説を破る

            真言天台勝劣事

       第十章 大日を釈尊の師とする説を破る

本文(一三七㌻二行~一三七㌻七行)
 次に釈迦は大日の化身唵(おん)字を教えられてこそ仏には成りたれと云う事此は偏(ひとえ)に六波羅蜜経の説なり、彼の経一部十巻は是れ釈迦の説なり大日の説には非ず是れ未顕真実の権教なり随つて成道の相も三蔵教の教主の相なり六年苦行の後の儀式なるをや。
 彼の経説の五味を天台は盗み取つて己が宗に立つると云う無実を云い付けらるるは弘法大師の大なる僻事(ひがごと)なり、所以に天台は涅槃経に依つて立て給へり全く六波羅蜜経には依らず況んや天台死去の後百九十年あつて貞元四年に渡る経なり何として天台は見給うべき不実の過(とが)弘法大師にあり、凡(およ)そ彼の経説は皆未顕真実なり之を以て法華経を下さん事甚だ荒量なり。

通解
 次に釈迦は大日の化身であるとか、大日に唵(おん)字を教えられたからこそ仏に成ったのであるということは、ひとえに六波羅蜜経の説である。その六波羅蜜経一部十巻は釈迦が説いたものであり、大日の説いたものではない。これは未顕真実の権教である。したがって、成道の姿も三蔵教の教主の姿であり、六年の苦行の後の儀式である。
 六波羅蜜経で説くところの五味を天台大師は盗み取って自宗の教えと立てたのである、という無実の言いがかりをつけたのは弘法大師の大なる心得違いである。なぜなら、天台大師は五味を涅槃経によって立てたのであり、全く六波羅蜜経にはよっていないからである。ましてや(六波羅蜜経は)天台大師死去の後、百九十年経った貞元四年に渡ってきた経である。どうして天台大師が見ることができようか。事実に反した過ちは弘法大師にあるのである。
 総じて六波羅蜜経の説くところはみな未顕真実である。これをもって法華経を下すことは、はなはだいいかげんな考えである。

語訳
六波羅蜜経
 十巻。中国・唐代の般若訳。大乗理趣六波羅蜜多経という。衆生を発心させ修行させる法と不退転心を説き、更に菩薩の修行の要としての布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(智慧)の六波羅蜜多について詳説している。

三蔵教の教主
 小乗教の教主のこと。過去、三阿僧祇劫のあいだ六度を行じ、百大劫のあいだ広く福徳を積んで相好を得、最後にインドに応誕し、菩提樹下で見思の惑を断尽して正覚を成じ、八十歳で無余涅槃に入った仏をいう。これを劣応身の仏とも、丈六(一丈六尺)の仏ともいう。
〈追記〉
 上記に六度とあるのは、大乗の菩薩が実践し獲得すべき六つの徳目で、六波羅蜜のこと。また相好とは、仏身に備わっている優れた身体的特質で、三十二相を指す。

五味
 牛乳を精製していく過程における五段階の味のこと。乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味をいう。なお、六波羅蜜経では一切経を素怛纜(そたらん)蔵(経蔵)・毘奈耶(びなや)蔵(律蔵)・阿毘達磨(あびだるま)蔵(論蔵)・般若波羅蜜多蔵(仏の智慧を説いたもの)・陀羅尼蔵(呪)の五蔵に分類し、これを順次に乳・酪・生酥・熟酥・醍醐の五味に譬えている。

天台
(五三八年~五九七年)。中国・南北朝から隋代にかけての人で中国天台宗の開祖。諱(いみな)は智顗(ちぎ)。字(あざな)は徳安。姓は陳氏。天台大師・智者大師ともいう。荊(けい)州華容県(湖南省)に生まれる。十八歳の時、湘州果願寺の法緒(ほうちょ)について出家し、ついで慧曠(えこう)に仕えて律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉(てんか)元年(五六〇年)大蘇山に南岳大師(慧思(えし))を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、大いに法華経の深義を照了し、「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の法華三大部を完成した。

荒量
 荒い量見のこと。いいかげんな思慮・見解をいう。

講義
 第四問答の答えが続いているところである。ここでは、四点にわたる難詰のうち、④釈尊は大日如来の化身であるとするもの、釈尊は大日から唵字の観法を教えられて仏に成ることができたという邪説を破られているところである。
 まず、この邪説はただただ六波羅蜜経一経の説のみによって立てられた偏頗(へんぱ)なものにすぎないと指摘されている。しかも、同経一部十巻は釈尊の説法として記されたものである。とすればこれは釈尊の説の中でも未だ真実を顕していない権教ということになる。したがって、この経に説かれている釈尊成道の時の姿も三蔵教(小乗・四阿含経)を説法する教主、すなわち劣応身である丈六(一丈六尺)の釈尊であり、それはまた「六年苦行の後の儀式」、つまり、苦行六年の後に成道した釈尊が展開した説法の儀式になっている、と仰せられている。
 このように、釈尊が大日から唵字を教えてもらって成道できたとする説の根拠である六波羅蜜経そのものが方便権教の、しかも小乗の釈尊に関するもので、これをもって法華経の教主としての釈尊に当てはめるのは誤りであると打ち破られている。
 次に、弘法が顕密二教論の中で、天台大師は六波羅蜜経に説かれている五味(乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味)を盗み取って、この五味に当てはめて法華経を最高の醍醐味に配したのであるといって天台大師を誹謗していることを取り上げられ、それが全く事実に反する言い分であり、弘法の大きな謬見(びゅうけん)であると断言されている。その理由として、まず第一に、天台大師の五味説は涅槃経によって立てられたものであること、第二には、六波羅蜜経は天台大師が亡くなった後百九十年も経って中国に渡ってきた経典であるとの歴史的な事実を指摘され、天台大師が自分の死後に渡来した経を見て盗み取ることができるわけがないと、弘法のいい加減な言い分を糺(ただ)されている。
 結論として、弘法が取り上げる経々の説はことごとく未顕真実であり、それらの経々によって真実を顕した法華経を下すことは非常に荒っぽい量見であると破折されている。

 釈迦は大日の化身唵字を教えられてこそ仏には成りたれと云う事此は偏に六波羅蜜経の説なり

 真言宗では「釈迦は大日の化身なりとも云へり、成道の時は大日の印可を蒙(こうむり)て唵(おん)字の観を教えられ後夜(ごや)に仏になるなり大日如来だにもましまさずば争(いかで)か釈迦仏も仏に成り給うべき」(一三五㌻)などといって、大日のほうが釈尊より偉大な仏であるとしているのであるが、この邪説のもとになっている経として、本文では六波羅蜜経となっているが、実際は守護国界主陀羅尼経巻九の次の一節である。
「三世諸仏は皆此の字を観じて、菩提を得る。故に一切陀羅尼母と為す。一切菩薩此れに従って生じ、一切諸仏此れに従って出現す」と。ここで〝此の字〟とあるのは唵字のことである。この文の前では、唵字に法身・報身・応身の三身の意義があるとの説明があって、それを受けて、三世諸仏は皆この唵字を観じて菩提の悟りを得て成道すると述べ、一切の菩薩は唵字に従って生じ、一切の諸仏もまた唵字に従って出現する、と説いているのである。
 この経文を根拠に、真言宗では、釈尊の成道について、好き勝手に粉飾して先の邪説を述べていたのである。すなわち、釈尊の成道に対しては、大日如来が認可を与え、更に、唵字の観法を教えた結果、後夜(夜半過ぎから明け方まで)の間に仏に成ることができたのだ、などという虚構の物語を作ったのである。この物語をもとに、釈尊は大日如来の弟子であるととなえたのである。
 大聖人はこれについて、未顕真実の権教を依りどころにしたものに過ぎないと一蹴され(権教であることについては六波羅蜜経も守護国界主陀羅尼経も同じである)、そこに述べられている釈尊成道の相は小乗三蔵教の教主としての釈尊にすぎないから、これをもって法華経の教主としての釈尊を大日の弟子とする論拠にはなしえないとされている。

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