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真言天台勝劣事・第九章 説処、対告衆への邪難を破す

            真言天台勝劣事

       第九章 説処、対告衆への邪難を破す

本文(一三六㌻一二行~一三七㌻一行)
 次に法界宮とは色究竟天(しきくきょうてん)か又何(いず)れの処ぞや色究竟天或は他化自在天(たけじざいてん)は法華宗には別教の仏の説処と云うていみじからぬ事に申すなり。
 又菩薩の為に説くとも高名(こうみょう)もなし例せば華厳経は一向菩薩の為なれども尚法華の方便とこそ云はるれ、只仏出世の本意は仏に成り難き二乗の仏に成るを一大事とし給へりされば大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ二乗作仏を説かざるを顕教と云へり、此の趣ならば真言の三部経は二乗作仏の旨(むね)無きが故に還つて顕教と云ひ法華は二乗作仏を旨とする故に密教と云う可きなり、随つて諸仏秘密の蔵と説けば子細なし世間の人密教勝ると云うはいかやうに意得(こころえ)たるや。
 但し「若(も)し顕教に於て修行する者は久く三大無数劫(むしゅこう)を経(ふ)」等と云えるは既に三大無数劫と云う故に是三蔵四阿含経を指して顕教と云いて権大乗までは云わず況(いわん)や法華実大乗までは都(すべ)て云わざるなり。

通解
 次に法界宮とは色究竟天にあるのか、またはいずれの所にあるのか。色究竟天あるいは他化自在天は、法華宗では別教の仏が説法した場所といって、大したことではないとしている。
 また、菩薩のために説くといっても功名でもない。例えば、華厳経はひとえに菩薩のために説かれたものであるけれども、それでも法華経の方便といわれるのである。仏が世に出現する本意は、仏に成りがたい二乗が仏になるのを一大事とされている。それゆえ、大智度論には二乗が仏に成る教法を密教といい、二乗の成仏を説かないのを顕教というとしている。この教旨からすれば、真言の三部経は二乗の成仏を説いていないからかえって顕教といい、法華経は二乗の成仏を説くがゆえに密教というべきである。したがって、法華経には諸仏の秘密の蔵と説いているのである。世間の人はどのように心得て、密教が勝れているといっているのであろうか。
 ただし、金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌に「もし顕教を修行する者は永く三大無数劫を経る」等といっているのをみてみると、既に三大無数劫といっているのであるから、これは三蔵経や四阿含経をさして顕教といっているのであって、権大乗教までをいうのではない。ましてや法華経の実大乗教までは全くいわないのである。

語訳
法華宗
 法華経を依経とする宗派のこと。もとは天台宗の異名(「天台法華宗」)であったが、日蓮大聖人が法華経の正義を宣揚され、自らの立場を法華宗と称されてから、大聖人が開いた宗をさすようになった。ここでは天台宗をさす。

別教
 二乗を除いて菩薩のためのみに説いた教えのこと。天台大師が四教義で立てた化法の四教(釈尊の一代聖教を内容の面から蔵・通・別・円の四教に分別したもの)の一つ。界外の惑を断ずる教であるゆえに蔵・通とも異なり、隔歴(きゃくりゃく)の三諦(空仮中の三諦が別々に説かれていて、円融相即していない)を説くゆえに円教とも別なので別教という。
〈追記〉
 上記に別教の謂いで「界外の惑を断ずる教」とある。界とは三界(欲界・色界・無色界。六道の迷いの世界)の意。惑は塵沙惑(事物に対する無知)を指す。世間の事物は無数にあり、それに対して無知があるが、自己の修行のためには障害とならないので二乗はこれを断じない。しかし他を教化するためには塵沙惑が障害となり、菩薩はこれを断じなければならない。塵沙惑には界内の塵沙と界外の塵沙とがある。界外の塵沙(惑)とは三界の外の塵沙惑のこと。極楽浄土の水鳥樹林などの様子がわからないのは界外の惑である。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、五十二位を明らかにするのが別教である。

大論
 大智度論の略称。百巻。竜樹造と伝えられる。姚秦(ようしん)の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳。摩訶般若波羅蜜経釈論ともいう。内容は摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)を注釈したもので、序品を第一巻から第三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。大品般若経の注釈にとどまらず、法華経などの諸大乗教の思想を取り入れて般若空観を解釈し、大乗の菩薩思想や六波羅蜜などの実践法を解明しており、単に般若思想のみならず仏教思想全体を知るための重要な文献であるとともに、後の一切の大乗思想の母体となった。

二乗作仏
 二乗(声聞・縁覚の衆生)が成仏すること。爾前の諸経では、自己の解脱のみに執着し利他に欠ける二乗は永久に成仏できないと仏から弾呵されたが、法華経迹門では、一念三千の法門(あらゆる衆生が成仏できるという法理)が説かれて二乗に成仏の記別が与えられた。

三大無数劫(むしゅこう)
 小乗の菩薩が修行して仏果を得るまでの数えきれないほど長遠の期間のこと。三大阿僧祇劫・三阿僧祇劫・三僧祇劫ともいう。「無数」は梵語アサンキャ(asaṃkhya)の訳で、阿僧祇はその音写。

四阿含経
 長阿含(じようあごん)・中阿含・増一阿含(ぞういちあごん)・雑阿含(ぞうあごん)の四部の阿含経のこと。長阿含経二十二巻(長文の経典を集めたもので、種々の法門を説く)、中阿含経六十巻(不長不短の経文を集めたもので、因縁・譬喩などを説く)、増一阿含経五十一巻(三業・四諦・五陰などの法数〔数でまとめられた教義上の術語〕にしたがい、一法から十一法に至るまで配列された教説・禁律など)、雑阿含経五十巻(前三者の残りを集めたもの)、合わせて百八十三巻に、雑阿含経十六巻(訳者不明)を加え、阿含部として百九十九巻となる。

権大乗
 仏の真実の教えである実大乗教に衆生を誘引するため、方便として権(仮)に説かれた大乗教をいう。大乗義章巻九には「大に二あり、一には実大、二には権大なり」とある。

実大乗
 仏の真実究竟の悟りをそのまま説き顕した大乗教のこと。一切衆生の成仏を説き明かした法華経の教えをさす。権大乗に対する語。

講義
 第四問答の答えが続いているところである。ここでは四つの難詰のうち、大日経等の説処が③法界宮あるいは色究竟天、他化自在天などであるのに対し、法華経は地上の霊鷲山で説かれているにすぎないとの難詰と、大日経等の対告衆が菩薩という高位の衆生であるのに対し、法華経のそれは二乗というより低い衆生にすぎない。という難詰に答えられるところである。
 まず、説処については大日如来が説いた処とされる法界宮とは色究竟天にあるのか、あるいはまた、どこにあるのか、と反問された後、いずれにしても色究竟天とか他化自在天とかいうのは天台法華宗の立場では別教の仏の説処となっており、真言宗が言うほど立派な処ではない、と破られている。別教とは華厳・梵網等の権教の経々で、実教の法華経に劣ることはいうまでもないからである。
 色究竟天や他化自在天などというのは人間世界を離れた世界であり、結局は架空の世界に他ならない。そのような処で説かれたとされていること自体、要するに観念の中で想定されたものであることを物語っているのである。
 次に、対告衆の問題については、問者は大日経等が菩薩という高位の衆生を対告衆としていることを、経の内容の高度さの証拠のようにいっているが、大聖人は「菩薩の為に説くとも高名もなし」と一言で破され、成仏しがたい二乗を成仏させてこそ密教といえるのであると述べられている。
〝高名〟ということは、どれだけ多くの救いがたい衆生を救うか、による。菩薩は自身ですでに修行を積んできている衆生であるから、菩薩を成仏させた教えであるといっても、誇れる功績にはならない。最も成仏しがたい二乗を成仏させれば、それより成仏しやすい他の一切衆生も成仏させられるし、最も功徳は大きいといえるのである。
 したがって、竜樹の大智度論には、二乗作仏を説く教えこそ密教であり、これを説かない教えは顕教であるとしており、この立て分けによれば、二乗作仏を説かない真言の三部経は顕教であり、二乗作仏を説く法華経こそ密教となると結論されている。

 大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ二乗作仏を説かざるを顕教と云へり

 この文は竜樹の大智度論巻百の一節を取意されて、正しい意味での顕教と密教との立て分けの基準を明確にされたところである。
 その一節とは「問うて曰く、更に何の法か甚深にして般若に勝るもの有って、而して般若を以って阿難に嘱累し、而して余の経をば菩薩に嘱累せしや。答えて曰く、般若波羅蜜は秘密の法に非ず、而して法華等の諸経には阿羅漢の受決作仏を説き、大菩薩は能(よ)く受持し用う。譬えば大薬師の能く毒を以って薬と為すが如し」という文である。
 ここは一つの問答になっていて、まず、般若波羅蜜(般若経)を声聞の阿難に付嘱し、他の経を菩薩に付嘱したのは、他の経の中には般若波羅蜜より勝る深い法が説かれているからか、と問うている。
 その答えとして、般若波羅蜜はまだ秘密の法ではないのに対し、法華経等の諸経には阿羅漢(二乗)の作仏が説かれていて(秘密の法であるから)、大菩薩のみがこの法をよく受けたもち、用いることができるのである、と述べている。
 この文の意をとって、大聖人は二乗の作仏を説いた教えこそが〝秘密の法〟すなわち、密教であり、これを説かない教えは秘密の法ではないから顕教になるとされているのである。
 もともと、顕教と密教の教判は大智度論巻四に「仏法に二種有り、一には秘密、二には現(ある本では顕)示」とあるのを、弘法が自宗の優位性を示すために利用したにすぎないのである。
 弘法がこの教判を展開したのが前述のように弁顕密二教論等である。それによれば、顕教は報身・応身の釈迦仏が衆生の機根に応じて顕(あらわ)に分かりやすく説いた教えのことであり、密教は法身の大日如来が自ら悟りの法を享受し楽しみつつ示した三密(身密・語密・意密)の法門で、菩薩の智慧をもってしても知りがたい深遠秘奥の教えであるから密教というとしている。そして、この密教に当たるのが大日経等の真言三部経であり、真言三部経以外の釈尊が説いた法華経等の教えは顕教であるとしたのである。
 この弘法の説を受けついでいる真言宗の主張に対し、大聖人は真言経は法身・大日如来の説法であるということの愚昧ぶりを指摘される。とともに、秘密ということの本来の意義は二乗作仏を可能にするか否かにあることを大智度論の真義に立ち返って明らかにされ、弘法が立てた真言経と法華経の勝劣を逆転されているのである。
 なお、真言見聞には「顕密の事」という項目を設けられて次のように破折されているので引用しておきたい。
「抑(そもそも)大日の三部を密教と云ひ法華経を顕教と云う事金言の所出を知らず、所詮真言を密と云うは是の密は隠密の密なるか微密(みみつ)の密なるか、物を秘するに二種有り一には金銀等を蔵に籠(こ)むるは微密なり、二には疵(きず)・片輪等を隠すは隠密なり、然れば則ち真言を密と云うは隠密なり其の故は始成と説く故に長寿を隠し二乗を隔つる故に記小無し、此の二は教法の心髄・文義の綱骨なり、微密の密は法華なり、然れば則ち文に云く四の巻法師品に云く『薬王此の経は是れ諸仏秘要の蔵なり』云云、五の巻安楽行品に云く『文殊師利・此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上(かみ)に在り』云云、寿量品に云く『如来秘密神通之力』云云、如来神力品に云く『如来一切秘要之蔵』云云。しかのみならず真言の高祖・竜樹菩薩・法華経を秘密と名づく二乗作仏有るが故にと釈せり、次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず(中略)此等の経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給へるを経論に文証も無き妄語を吐き法華を顕教と名づけて之を下し之を謗ず豈大謗法に非ずや」(一四四㌻~一四五㌻)と。
 ここでは、秘密の密に二種類あり、金銀等の宝物が蔵に収まっていて見えないがいつでも取り出せるような微密と、疵などの欠陥を隠す隠密とがあるとされ、法華の密が微密であるのに対し、真言のそれは隠密であると断じられている。すぐれた真理が含まれているが、それが深いため凡夫・衆生には捉えがたいのが「微密」であり、欠陥があるので隠さなければならないのが「隠密」である。真言経典は、大日如来がどこかの時点で〝始めて成った〟仏にすぎず、また二乗作仏も説かないなど欠点だらけの経であるのに、それを隠しているのであると指摘されている。 

 随って諸仏秘密の蔵を説けば子細なし

 法華経こそが密教であることの文証を挙げておられるところである。法華経法師品第十に「此の経は是(こ)れ諸仏の秘要の蔵(ぞう)なり」(『妙法蓮華経並開結』三六二㌻ 創価学会刊)とあり、安楽行品第十四には「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして」(同・四四三㌻)とあり、如来神力品第二十一には「如来の一切の秘要の蔵……皆な此の経に於いて宣示顕説す」(同・五七二㌻)とある。これらの文を要約して「諸仏秘密の蔵」とされている。「子細なし」とは、異議を挟む余地はないとの意で、この言葉に法華経が密教であることが文句なく明白であるとされ、にもかかわらず、世間の人が真言密教は法華経に勝ると言っているのは「いかやうに意得たるや」と嘆かれている。

 但し「若し顕教に於て修行する者は久く三大無数劫を経」等と云えるは……法華実大乗までは都て云わざるなり」

 ここで引用された文は金剛頂瑜伽金剛薩埵五秘密修行念誦儀軌一巻からのものである。「顕教に於いて修行する者は、久しく三大無数劫を経、然る後に無上菩提を証得す。……若し毘盧遮那仏自受用身所説の内証自覚聖智の法、及び大普賢金剛薩埵他受用身の智に依らずば、則ち現生に於いて曼荼羅阿闍梨に遇逢し、曼荼羅に得入し……加持威神の力に由る故に須臾の頃に於いて、当に無量三昧耶、無量陀羅尼門を証すべし」とある。
 これは、顕教を修行すると三大無数劫という非常に長い時を経過して後にやっと無上菩提を達成するのに対して、毘盧遮那仏(大日如来)の密教の修行をすると、現生において須臾という短い時間で無量三昧耶、無量陀羅尼門を達成すると述べたものである。
 この文によって、密教が顕教に勝っているとする言い分に対し、大聖人は、三大無数劫というのは小乗教に説かれた修行期間であることから、この文中の「顕教」とはあくまで三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)すなわち、増一・中・長・雑の四阿含経の小乗教をさしているのであり、権大乗までは含まれておらず。ましてや実大乗の法華経を含むものではないと仰せられているのである。

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