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真言天台勝劣事・第六章 仏身の対比により真言勝ると難ず

            真言天台勝劣事

      第六章 仏身の対比により真言勝ると難ず

本文(一三五㌻一二行~一三五㌻一五行)
 猶難じて云く大日経等は是中央大日法身無始無終の如来法界宮或は色究竟天(しきくきょうてん)他化自在天(たけじざいてん)にして菩薩の為に真言を説き給へり法華は釈迦応身霊山(りょうぜん)にして二乗の為に説き給へり或は釈迦は大日の化身なりとも云へり、成道の時は大日の印可を蒙(こうむり)て唵(おん)字の観を教えられ後夜(ごや)に仏になるなり大日如来だにもましまさずば争(いかで)か釈迦仏も仏に成り給うべき此等の道理を以て案ずるに法華より真言勝(すぐ)れたる事は云うに及ばざるなり。

通解
 なお難詰していう。大日経等は中央に位置する大日という法身で無始無終の如来が法界宮あるいは色究竟天や他化自在天において菩薩のために真言を説かれたのである。法華経は釈迦という応身の如来が霊鷲山において二乗のために説かれたのである。あるいは釈迦は大日の化身であるともいわれる。釈迦の成道のときは大日の印可を受けて唵(おん)字の観を教えられ寅の時に仏になったのである。大日如来がおられなければ、どうして釈迦仏も仏に成られることができたであろう。これらの道理から考えてみると、法華経より真言経が勝れていることはいうまでもないことである。

語訳
大日
 密教の教主・本尊である大日如来のこと。梵名マハーヴァイローチャナ(Mahāvairocana)の訳。摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、毘盧遮那と略す。光明遍照・遍一切処・遍照如来などとも訳される。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本仏とされる。

法身
 真理を体とする仏身、所証の理のこと。真理もしくは法性(悟り)そのものをいう。仏の三身(法身・報身・応身)の一つ。

法界宮
 広大金剛法界宮のこと。大日如来の宮殿。大日経に「一時、薄伽梵(ばがぼん)、如来の加持せる広大金剛法界宮に住したもう」とある。
〈追記〉
 大日経では、法界宮の具体的な場所を特定していない。大日経疏ではこれを魔醯首羅天宮のこととするが、根拠は不明である。

色究竟天(しきくきょうてん)
 色界の最頂にある天のこと。阿迦尼吒天(あかにたてん)・有頂天ともいう。色界四禅天の頂上にあり、梵名マヘーシュヴァラ(Maheśvara)、音写して摩醯首羅天(まけいしゅらてん)の住所とされる。
〈追記〉
 摩訶止観輔行伝弘決巻第十によると、摩醯首羅天は色界の頂におり、三目八臂(目が三つで臂が八本)で天冠をいただき、白牛に乗り、白払(びゃくほつ)を執る。大威力があり、よく世界を傾覆するというので、世を挙げてこれを尊敬したという。

他化自在天(たけじざいてん)
 欲界の最頂にある天のこと。第六天ともいう。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。
〈追記〉
 この第六天に住む神のことも他化自在天と呼び、第六天の魔王という。「他の化する所を奪って而して自ら娯楽する」のであるから、仏によって教化される仏道修行者の成仏を妨げ、その精気を奪うことを自らの楽しみとするのである。この第六天の魔王は、三障四魔のなかの天子魔にあたり、正法修行者の最も警戒すべき根本的な魔である。

真言(しんごん)
 梵語マントラ(Mantra)の訳。仏の真実の言葉の意。密呪・密語とも訳す。諸仏の本誓(ほんぜい)・徳・梵名などを示す秘密語。真言の三密の中の語密にあたる。

霊山(りょうぜん)
 霊鷲山のこと。中インド・摩竭提(まかだ)国(ガンジス川の下流域)の首都である王舎城の丑寅(うしとら)(東北)の方角にある。法華経の説処。梵名グリドゥラクータ(Gṛdhrakūṭa)、耆闍崛山(ぎしゃくつせん)と音写する。その南を尸陀林(しだりん)といって、死人の捨て場になっていたため、鷲が飛来するので「鷲山」といい、三世諸仏成道の法である法華経が説かれたので「霊山」という。末法においては、御本尊のましますところこそ、霊鷲山であり、また、御本尊を受持する者の住所も、霊鷲山である。

唵(おん)字の観
 法身・報身・応身の三義があるとする唵の字を観ずること。守護国界主陀羅尼経に説かれ、三世の諸仏はこれによって悟りを得たとしている。「唵」は梵語(oṃ)の音写。
〈追記〉
 唵はインドで古来より聖音とされ、祈りや経典の最初に唱えられる言葉。密教に取り入れられ、真言や陀羅尼の頭首に置かれる。(大辞林 第三版の解説)

後夜(ごや)
 一日を晨朝(じんじょう)・日中・日没・初夜・中夜・後夜に六分したうちの一つ。夜半過ぎから明け方までをいう。
〈追記〉
 釈尊成道の年時には異説が多いが、中国・日本では十二月八日とし、明けの明星を見て悟りを開いたとされる。通解に「寅の時」とあるのは、寅の刻(午前四時を中心とする約二時間)をいう。

講義
 ここから第四の問答に入るが、その問いの部分である。
 問者は、この前の第三問答で「真言(密教)が勝り法華経(顕教)が劣る」という自分の考えを破折されたことに対して、なおも、真言が勝るという邪見にこだわっているのである。
 これまでの議論が主として経論釈をもとに大日経と法華経の位置付けをめぐってなされてきたのに比して、ここで問者は、大日如来と釈尊の仏身としての比較を持ち出してくるのである。それを整理すると、四点に分けられる。
 まず、大日如来が、①中央に位置する、②法身で無始無終の如来であるのに対し、法華経の釈尊は応身で位の低い仏にすぎないとしている。次いで、大日経、法華経が説かれた場所(説処)であるが、大日経が③法界宮あるいは色究竟天、他化自在天などであるのに対し、法華経は霊鷲山であるとし、また経を説く相手(対告衆)は、大日経が菩薩のために説いているのに対し、法華経は二乗のための説法にすぎない、としている。更に、釈尊は大日に劣るとの証拠として、④釈尊は大日の化身であり、釈尊成道の時には大日から唵(おん)字の観法を教えられて仏に成ることができた、などという説を挙げている。

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