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真言天台勝劣事・第三章 真言が劣るとの義への反論挙げる

            真言天台勝劣事

      第三章 真言が劣るとの義への反論挙げる

本文(一三四㌻三行~一三四㌻五行)
 難じて云く驚いて云く古(いにしえ)より今に至るまで法華より真言劣ると云う義都(すべ)て之無し之に依つて弘法大師は十住心を立てて法華は真言より三重の劣と釈し給へり覚鑁(かくばん)は法華は真言の履取(はきものとり)に及ばずと釈せり打ち任せては密教勝れ顕教劣るなりと世挙(こぞ)つて此を許す七重の劣と云う義は甚(はなはだ)珍しき者をや。

通解
 驚き、難詰していう。昔より今に至るまで、法華経よりも真言経が劣るという義は全くない。これによって弘法大師は十住心を立てて法華は真言経よりも三重に劣っていると釈され、覚鑁は法華経は真言経の履物取りにも及ばないと釈している。世間はこれらの釈に任せて、こぞって密教は勝れ顕教は劣っていると認めているのである。真言経が七重に劣っているという義は非常に珍しいのではないか。

語訳
弘法大師
(七七四年~八三五年)。平安時代初期の僧。日本真言宗の開祖。諱(いみな)は空海。弘法は諡号(しごう)。姓は佐伯氏、幼名は真魚(まお)。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦十二年(七九三年)勤操(ごんそう)の下で得度。延暦二十三年(八〇四年)留学生(るがくしょう)として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果(けいか)に密教の灌頂を禀(う)け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の号を受けた。大同元年(八〇六年)に帰朝。弘仁七年(八一六年)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁十四年(八二三年)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰(さんごうしいき)」三巻、「弁顕密二教論」二巻、「十住心論」十巻、「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」三巻等がある。

十住心
 弘法が十住心論を著して立てた教判。大日経住心品に十種の衆生の心相が説かれているとして、それに世間の道徳・諸宗を当てはめ、菩提心論によって顕密の優劣を判じ、真言宗が最高の教えであることを示そうとしたもの。①異生羝羊住心(いしょうていようじゅうしん)(凡夫が雄羊のように善悪因果を知らず本能のまま悪行をなす心)・②愚童持斎住心(ぐどうじさいじゅうしん)(愚童のように凡夫善人が人倫の道を守り五戒・十善等を行う心)・③嬰童無畏住心(ようどうむいじゅうしん)(嬰童は愚童と同意で現世を厭い天上の楽しみを求めて修行する位をいう。外道の住心)・④唯蘊無我住心(ゆいうんむがじゅうしん)(唯蘊はただ五蘊〔五陰と同じ〕の法のみ実在するという意で、無我はバラモン等の思想を離脱した声聞の位のこと。すなわち出世間の住心を説く初門で、小乗声聞の住心)・⑤抜業因種住心(ばつごういんじゅじゅうしん)(十二因縁を観じて悪業を抜き無明を断ずる小乗縁覚の住心)・⑥他縁大乗住心(たえんだいじょうじゅうしん)(他縁は利他を意味し、一切衆生を救済しようとする利他・大乗の住心のこと。法相宗の立場)・⑦覚心不生住心(かくしんふしょうじゅうしん)(心も境も不生すなわち空であることを覚る三論宗の住心)・⑧一道無為住心(いちどうむいじゅうしん)(一仏乗を説く天台宗の住心)・⑨極無自性住心(ごくむじしょうじゅうしん)(究極の無自性〔固定的実体のないこと〕・縁起を説く華厳宗の住心)・⑩秘密荘厳住心(ひみつしょうごんじゅうしん))(究極・秘密の真理を悟った真言宗の住心。大日如来の所説で、これによって真の成仏を得ることができるとした)。

三重の劣
 弘法は「秘密曼荼羅十住心論」において真言宗を最上とし、他宗をその下に位置づけた。具体的には、第六を法相宗、第七を三論宗、第八を天台宗(法華経)、第九を華厳宗(華厳経)、最上の第十を真言宗(大日経)に配立した。法華経は華厳経よりも劣り、さらに大日経に比べると三重の劣であると下したのである。

覚鑁(かくばん)
(一〇九五年~一一四四年)。平安時代後期の僧。新義真言宗の開祖。正覚房といい、興教大師と諡(おくりな)された。仁和寺の寛助僧正について得度し、密教の奥義を学ぶ。大治五年(一一三〇年)高野山に伝法院を建立し、天承元年(一一三一年)鳥羽上皇の勅願によって堂宇を拡充し大伝法院と称した。長承三年(一一三四年)大伝法院と金剛峯寺(こんごうぶじ)の両座主を兼ねた。のち、金剛峯寺衆徒と対立し、一門を率いて根来山に移り円明寺(えんみょうじ)を建立した。死後、その門流が大伝法院を根来山に移し、新義真言宗として分立、覚鑁はその開祖とされる。覚鑁は密教の即身成仏を基にして浄土思想を取り入れて理論的に統一した。著書には「五輪九字明秘密釈」一巻、「密厳諸秘釈」十巻などがある。

法華は真言の履取(はきものとり)に及ばず
 覚鑁が仏舎利供養についての講演をまとめた舎利供養式の文にある。「尊高なる者は不二摩訶衍(まかえん)の仏・驢牛(ろご)の三身は車を扶(たす)くること能(あたわ)ず。秘奥なる者は両部曼陀羅の教・顕乗(けんじょう)の四法の人は履(くつ)をも取るに能(た)えず」云云とある。
〈追記〉
「不二摩訶衍の仏」とは、唯一の大乗教を説く仏の意で、大日如来を指す。「驢牛(ろご)」は驢馬(ろば)と牛のこと。驢は露に通じ、露地の牛・顕露の牛。「三身」は仏の三種の身体で、ここでは釈尊を表す。すなわち驢牛の三身とは、顕教に説かれる釈尊を揶揄した語。「車」は仏の車乗で、衆生を仏道に導く乗り物の意。「車を扶(たす)くること能(あたわ)ず」、釈尊は衆生を救う助けとはならないと蔑む。「両部曼陀羅」は、金剛頂経の説に基づいて立てる金剛界曼荼羅と大日経の説に基づく胎蔵界曼荼羅の二つをさす。「顕乗(けんじょう)の四法」とは顕教のうちの四つの大乗の教法で、法相、三論、天台、華厳の四宗をさす。「履(くつ)をも取るに能(た)えず」、履(はきもの)取りの牛飼いにも及ばないとする。通解すると「尊高なる者は唯一の大乗教を説く仏(大日如来)であり、露地の牛のごとき仏(釈尊)などは車を引く資格すらない。秘奥なる教えは両部曼荼羅の教えであり、顕乗の四法の仏やこれを行じている僧等は、真言師の履取りにも及ばないのである」との、教主釈尊を侮蔑する大悪口であり、法華経への大謗法の言である。「所詮此等の誑言(おうげん)は弘法大師の望後作戯論(ぼうごさけろん)の悪口より起るか」(一〇三五㌻)、大聖人は覚鑁のこうした妄言も、その根源は弘法の邪見にあると指摘されている。

密教
 インドにおける大乗仏教の歴史的展開の最後期、七世紀から本格的に展開した仏教。古代インドの民間信仰を取り入れ、神秘的な儀礼や象徴、呪術を活用し、修行の促進や現世利益の成就を図る。日本では空海(弘法)以来、密教以外の通常の仏教を顕教と呼んで区別する。

顕教
 真言宗が密教以外の仏教の教えを指すのに用いた語。明らかに説かれた教えを意味する。もとは弘法が自身の教判として用い、衆生を導くために応身・化身(ここではそれぞれ報身・応身にあたる)としての姿を現した如来が衆生の機根に従って明らかに説いた仮の教えを顕教と呼び、法身の如来が真理をひそかにそのまま示した教えを密教としたことに由来する。後に日本仏教で一般的に用いられ、顕密と併称して日本仏教全般を意味する。慈覚以降の天台密教は、顕教と密教が教理の上で究極的には一致すると説くが、別しては印と真言といった事相を説く密教の方が顕教より優れているとする。

講義
 第三問答の問いの部分で、前の問答で答者が大日経は法華経に比べて七重、八重劣ると結論されたことに対して、いまだかつてそんなことは聞いたことがないというのである。
 ここでは三つの反論がされている。 
 まず、先の結論に対して、真言経が法華経に劣るという説は昔より今に至るまで全くないものであると驚き、むしろ自分たちが聞いてきたのは、①弘法大師が立てた十住心の階位の中で、法華経を真言経より三重に劣っていると位置づけていることや、②覚鑁が法華は真言の履物(はきもの)取りにも及ばない、と言ったことであり、ゆえに③一般世間の人々も密教が勝れて顕教は劣ると思っており、真言経が法華経に比べて七重劣るという説は非常に珍しいと結んでいる。
 ところで、前の問答では、法華経と大日経との勝劣を述べられていたのであるが、ここでは、顕教と密教に置き換えられていることに意を止(とど)めたい。
 この場合、顕教が法華経を、密教が大日経をそれぞれ表していることはいうまでもない。もちろん、この顕教、密教のとらえかたは真言宗側の把握にすぎず、真実のとらえかたは後で明らかにされる。
 ここで問者に、法華経が大日経より勝れるとは珍しい主張であると驚かせているのは、次に示される法華難信難解への布石となっているのであるが、同時に真言宗の邪義が当時の日本にいかに深く浸透していたかを示されて、それを打ち破って法華最勝の正義に目覚めさせることが容易でないことを暗示されていると拝せられよう。

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