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真言七重劣事・第七章 日本天台宗・叡山の三塔を示す

            真言七重劣事

       第七章 日本天台宗・叡山の三塔を示す

本文(一三二㌻八行~一三二㌻一八行)
  三塔の事
┌ 中 堂 ─ 伝教大師の御建立
│       止観・遮那の二業を置く、
│       御本尊は薬師如来なり、
│       延暦年中の御建立・王城の丑寅に当る、
│       桓武天皇の御崇重、
│       天子本命の道場と云う。
├ 止観院 ─― 天竺には霊鷲山と云い震旦には天台山と云い
│  本院   扶桑には比叡山と云う、
│       三国伝灯の仏法此に極まれり。
├ 講 堂 ─ 慈覚大師の建立
│ 総持院   鎮護国家の道場と云う、 
│       御本尊は大日如来なり、
│       承和年中の建立、
│       止観院の西に真言の三部を置き
│       是を東塔と云うなり、
│       伝教の御弟子第三の座主なり。  
│ 西搭 
├ 釈迦堂 ─ 円澄の建立
│  宝幢院  伝教の御弟子なり。
│ 横川
└ 観音堂 ─ 慈覚の建立
   楞厳院

通解
  三塔についての事。
┌ 中 堂 ─ 伝教大師の御建立。 
│       止観業・遮那業の二業の学生を置く。
│       御本尊は薬師如来である。
│       延暦年中の御建立で、王城の東北に位置する。
│       桓武天皇より御崇重され、
│       天子本命の道場といわれる。
├ 止観院 ─― インドでは霊鷲山、中国では天台山、
│  本院   日本では比叡山、
│       ここに三国の伝灯の仏法は極まっている。
├ 講 堂 ─ 慈覚大師の建立。 
│ 総持院   鎮護国家の道場といわれる。 
│       御本尊は大日如来である。
│       承和年中の建立で、
│       止観院の西にあって真言の三部経を安置する。
│       以上を東塔という。
│       慈覚は伝教大師の御弟子で、
│       延暦寺第三代の座主である。     
│ 西搭 
├ 釈迦堂 ─ 円澄の建立。 
│  宝幢院  円澄は伝教大師の御弟子である。
│ 横川
└ 観音堂 ─ 慈覚の建立。
   楞厳院

語訳
中堂
 比叡山延暦寺の東塔の地にある一乗止観院のこと。伝教大師が比叡山に入って薬師如来を安置した小堂を建立したことに始まる。この薬師堂を中心にして左右に文殊堂・経蔵が建てられたことから、薬師堂を中堂といった。伝教大師が唐より帰朝後、天台宗を開創し、呼び名を根本中堂に改めたとされる。

薬師如来
 梵名をバイシャジャグル(Bhaiṣajyaguru)という。薬師琉璃光如来(やくしるりこうにょらい)・大医王仏・医王善逝(いおうぜんぜい)ともいう。東方浄琉璃世界の教主。もと菩薩道を行じていた時に、十二誓願を起こし、一切衆生の身心の病苦を救い、悟りに至らせようと誓った。衆生の病気を治し、諸根を具足させて解脱へ導く働きがあるとされる。

天子本命(ほんみょう)の道場
 天子(天皇)の本命星(ほんみょうしょう)を祀り、国家の鎮護を祈願する道場のこと。鎮護国家の道場ともいう。本命星は、その人の生年に当たる星をいう。
〈追記〉
 本命星は、陰陽道で、北斗七星・金輪星・妙見星の九星のうちいずれかをいう。北斗七星の第六星の外側に小さい星(輔星)があり、陰陽道では重視して金輪星といった。妙見星とは北辰(北極星)のこと。日本では北極星を神格化して妙見菩薩といい、国土を守護し、災厄を除き、福寿を増益するという。

釈迦堂
 釈迦像を安置する堂宇のこと。ここでは比叡山延暦寺の西塔にある転法輪堂のこと。西塔中堂ともいう。
〈追記〉
 本尊の釈迦如来像は、伝教大師最澄の本願により造立されたという。釈迦堂の沿革については判然としない。現在の建物は、信長の比叡山焼き打ち後、文禄四年(一五九五年)に豊臣秀吉が園城寺(三井寺)の金堂を西塔に移築したもの。

円澄(えんちょう)
(七七一年~八三六年)。比叡山延暦寺第二代座主。諡号(しごう)は寂光大師。姓は壬生(みぶ)氏。武蔵国(埼玉県)に生まれる。はじめ道忠のもとで学んだが、後に伝教大師に師事し、円教三身・止観三徳の義などを授けられたという。天長十年(八三三年)、第二代座主に任ぜられた。日蓮大聖人は報恩抄で「第二の円澄は半(なかば)は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり」(三一〇㌻)と仰せで、伝教大師の教えは初代座主である義真には純粋に伝わったが、円澄からは半ば密教が入って濁乱したとされ、「円澄は天台第二の座主・伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり」(三二〇㌻)、円澄は伝教大師の弟子でありながら、心は弘法の方を向いている、と喝破されている。
〈追記〉
 円澄が密教に傾倒したのは、初代座主・義真の時代は天台宗の教勢を伸ばすことに失敗したため、との指摘がある。天長七年(八三〇年)淳和天皇の命により、三論・法相・華厳・律・天台・真言の六宗から、各宗の教義解説書(天長六本宗書)が献上された。特筆すべきは、弘法が撰述した大著「秘密曼荼羅十住心論」十巻で、自宗の教義解説書というよりは、真言宗の教判論となっている。弘法はここで六宗を序列付けし、とりわけ真言宗が六宗の最高位にあると自賛、真言密教の優位性を主張した。これに対し、天台宗では義真の「天台法華宗義集」一巻が撰述されたが、教義の概略を示した小冊にとどまるものであった。経文に依らず独自の解釈で他宗を下し、自宗第一を宣揚する弘法。伝教大師の入唐時の訳語僧(通訳)に相応しく、経文を依処として慎重に言葉を選択したであろう義真。静と動、水火のごとき両者であるが、諸人の眼を奪うものは、内容の真贋よりも、著述の巧みさと勢いである。円澄は、宣揚という観点において、天台宗が真言宗に圧倒されたと感じたのであろう。――天台宗の威信が失墜し、その回復を図るには、官符に規定された年分度者の両業のうち、舎那業(密教を学習する課程)の完成を期すべきである。皇室や貴族の現世利益をかなえる性格の強い密教こそ、必ずや天台宗の消長を決めるものとなろう――、円澄がこうした強い念(おも)いを懐いたことは、想像に難くない。空海が「十住心論」で最高位に挙げた密教は、真言宗だけの専有物ではない、との対抗意識が、次の慈覚(円仁)智証(円珍)による密教請来へと繋がり、叡山は真言師の山となっていく。

宝幢院(ほうどういん)
 比叡山延暦寺の西塔にあった堂宇の一つ。嘉祥年中(八四八年~八五一年)に恵亮(えりょう)が建立。本尊として千手観音像が安置された。現在は廃絶。

観音堂
 観世音菩薩像を安置した堂のこと。ここでは比叡山延暦寺にある横川中道のこと。慈覚の建立で、首楞厳院(しゅりょうごんいん)という。

楞厳院(りょうごんいん)
 比叡山延暦寺の横川中堂のこと。正しくは首楞厳院という。本尊に聖観音像を安置したことから観音堂ともいう。嘉祥元年(八四八年)慈覚が創建した。

講義
 日本天台宗の総本山、比叡山延暦寺の三塔について記されている。三塔とは、東塔、西塔、横川(よかわ)である。延暦寺は伝教大師が比叡山に一乗止観院を建立して開創し、次第に堂宇が加わって三塔を形成していった。

 東塔

 東塔は比叡山延暦寺の中心をなしている。最初、ここに伝教大師が堂宇を建て、薬師如来が安置されたので薬師堂といった。これが一乗止観院である。後に文殊堂や経蔵が加わって規模が拡大され、総称して根本中堂と呼ぶようになった。これが延暦寺の本院である。本抄では中堂と止観院が並列されているが、同じものである。年分得度者二人により止観・遮那の二業が修されたことは、第三章で述べたとおりであるが、その修行の場となったのがここである。比叡山は天皇のいる王城から北東の方角にあたる。この丑寅(うしとら)の方角は陰陽説の影響を受け、古来、鬼の出入りする方角とされ、この地に寺院を建て、鬼除(よ)けとした。その意味から桓武天皇から崇重を受け、鎮護国家の道場とされたのである。
 伝教大師がこの地に寺院を建立したことによって、インドの霊鷲山、中国の天台山、日本の比叡山と、三国にわたって仏法の正しい流れが受け継がれる地が確立されたのである。
 この東塔の区域に、後に慈覚が講堂を建てた。その名が総持院である。慈覚は中国に渡って真言密教の影響を受け、総持院には大日如来を本尊とし、真言の三部経を置き、真言密教をもって護国を祈るようになった。

 西塔

 西塔には円澄が天長二年(八二五年)に建立した釈迦堂がある。ここには釈迦像が安置されている。円澄は伝教大師のあとを継いだ義真の死後、比叡山の中心者となった伝教大師の門下である。西塔を代表する堂宇である宝幢院は、恵亮(えりょう)の建立になるもので、嘉祥年中といわれている。ここには千手観音像が安置されている。

 横川

 横川には観世音菩薩像を安置した観音堂がある。これが横川の中堂である。これも慈覚の建立になるもので、この中堂の名を首楞厳院(しゅりょうごんいん)という。

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