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真言七重劣事・第三章 諸師の鎮護国家三部経を挙げる

             真言七重劣事

       第三章 諸師の鎮護国家三部経を挙げる

本文(一三〇㌻一三行~一三一㌻七行)
  鎮護国家の三部の事
法 華 経 ┐ 
密 厳 経 ┼ 不空三蔵 大暦に法華寺に之を置く、 
仁 王 経 ┘   大暦二年護摩寺を改めて法華寺を立つ、
        中央に法華経・脇士に両部の大日なり。
法 華 経 ┐ 
浄 名 経 ┼ 聖徳太子 人王三十四代推古天皇の御宇、  
勝 鬘 経 ┘   四天王寺に之を置く
        摂津の国難波郡仏法最初の寺なり。
法 華 経 ┐ 
金光明経 ┼ 伝教大師 人王五十代桓武天皇の御宇、 
仁 王 経 ┘   比叡山延暦寺止観院に之を置く、
        年分得度者一人は遮那業一人は止観業なり。   
大 日 経 ┐ 
金剛頂経 ┼ 慈覚大師 人王五十四代仁明天皇の御宇、
蘇悉地経 ┘  比叡山東塔の西総持院に之を置かる、
        御本尊は大日如来、
        金蘇(こんそ)の二疏十四巻安置せらる。

通解
  鎮護国家の三部経に何経を立てるかという事。
法 華 経 ┐ 
密 厳 経 ┼ 不空三蔵 大暦年間に法華寺にこれを安置する。 
仁 王 経 ┘   大暦二年に護摩寺を改めて法華寺を建てる。
        中央に法華経、脇士に両部の大日を配置した。
法 華 経 ┐ 
浄 名 経 ┼ 聖徳太子 人王三十四代推古天皇の御代の人である。  
勝 鬘 経 ┘   摂津の国難波郡に建立された最初の仏寺である
        四天王寺にこれを安置する。
法 華 経 ┐ 
金光明経 ┼ 伝教大師 人王五十代桓武天皇の御代の人である。 
仁 王 経 ┘   比叡山延暦寺の止観院にこれを安置する。
        延暦寺の年分得度者の
        一人は遮那業を修し、一人は止観業である。   
大 日 経 ┐ 
金剛頂経 ┼ 慈覚大師 人王五十四代仁明天皇の御代の人である。
蘇悉地経 ┘  比叡山東塔の西の総持院にこれを安置する。
        御本尊は大日如来で、その前に
        金剛頂経疏と蘇悉地経疏の二疏十四巻が安置された

語訳
密厳経(みつごんぎょう)
 大乗密厳経の略。中国・唐の地婆訶羅(じばから)訳と不空訳がある。三巻。法相宗が依拠する経の一つ。まず三界六道の煩悩を断じた初地以上の菩薩が生ずる国として密厳国を説き、次に如来の法性は不生不滅・清浄無垢であると観ずる境地を如来蔵とし、更には万法は唯識の所源であるとして、その万法の根源を阿頼耶識(あらやしき)として説いている。最後に密厳国に生ずるためには阿頼耶識を悟り、如来蔵を得べきであるとして、この三者を一体のものとしている。

仁王経(にんのうきょう)
 後秦代の鳩摩羅什訳の仁王般若波羅蜜経(にんのうはんにゃはらみつきょう) 二巻と、唐代の不空訳の仁王護国般若波羅蜜多経(にんのうごこくはんにゃはらみったきょう) 二巻とがある。サンスクリット原典もチベット語訳も現存しておらず、中国撰述の経典とする見解がある。内容は正法が滅して思想が乱れる時、悪業のために受ける七難を示し、この災難を逃れるためには般若を受持すべきであるとして菩薩の行法を説く。法華経・金光明経とともに護国三部経とされる。

法華寺
 ここでは中国の五台山にあった寺院のこと。唐代の開元年中(七一三年~七四一年)に神英が法華院を建立したことに始まるものと思われる。

護摩寺
 中国の五台山にあった呉摩子寺のことと思われる。不空が大暦年間に代宗皇帝に上奏した表制集のなかに、五台山にあった呉摩子寺を大暦法華之寺と改め、国家安泰のために法華経を転読させたとある。

脇士
 脇侍とも。中尊(中心)の仏の左右あるいは周囲にあって、仏の功徳と働きを表す声聞・菩薩らのこと。釈迦仏には文殊・普賢、阿弥陀仏には観音・勢至、薬師仏には日光・月光の各菩薩が脇士になっている。

両部の大日
 大日経で説く胎蔵界の大日如来と、金剛頂経で説く金剛界の大日如来のこと。

浄名経(じょうみょうきょう)
 維摩経(ゆいまきょう)のこと。梵本は失われ,大乗集菩薩学論の中に引用文として断片を残すのみである。漢訳は鳩摩羅什が後秦の弘始八年(四〇六年)に訳した「維摩詰所説経(ゆいまきつしょせっきょう)」三巻など三種がある。維摩詰とは梵名ヴィマラキールティ(Vimarakīrti)の音写で、浄名(旧訳)、無垢称(新訳)と漢訳されている。維摩詰は毘舎離(びしゃり)(バイシャーリー)の富豪で、大乗仏教の奥義に通達していた居士(在家の弟子)。内容は病床にあった維摩詰と、見舞いに訪問した文殊師利菩薩をはじめとする仏弟子達との問答形式で、大乗の不可思議の妙理によって小乗教を破し、灰身滅智の空寂涅槃に執着する二乗を弾呵し、大乗に包摂することを趣旨としている。

聖徳太子(しょうとくたいし)
(五七四年~六二二年)。飛鳥時代の政治家。厩戸皇子(うまやどのおうじ)・豊聡耳皇子(とよとみみのみこ)・上宮王(じょうぐうおう)ともいう。聖徳太子とは後代における呼称。用明天皇の第二皇子。四天王寺や法隆寺を造営し、法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書である三経義疏を作ったと伝えられる。これらの業績が、実際に聖徳太子自身の手によるものであるか否かは、今後の研究に委ねられている。ただし、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)に告げた「世間は虚仮(こけ)なり、唯、仏のみ是れ真なり」という太子の言葉が残されていて、ここから仏教への深い理解にたどり着いた境地がうかがわれる。日本に仏法が公式に伝来した時、受容派と排斥派が対立したが、聖徳太子ら受容派が物部守屋ら排斥派を打ち破り、日本の仏法興隆の基礎を築いた。日蓮大聖人は二人を相対立するものの譬えとして用いられている(開目抄・二三〇㌻)。

推古天皇
(五五四年~六二八年)。第三十三代天皇(在位、五九二年~六二八年)。名は額田部。豊御食炊屋姫とも。欽明天皇の第三皇女。敏達天皇の皇后となり、崇峻天皇が蘇我馬子に殺された後、即位した。聖徳太子を摂政として政治を行なわせ、また、仏教を保護した。

勝鬘経(しょうまんぎょう)
「勝鬘師子吼一乗大方便方広経」の略。劉宋(りゅうそう)の求那跋陀羅(ぐなばつだら)訳。一巻。舎衛国の波斯匿(はしのく)王の女(むすめ)・勝鬘夫人が仏の威神力(いじんりき)を受けて説いたとされる。一乗真実の理と如来蔵法身の義を説く。維摩経とともに在家仏教の経典として重視された。

金光明経
 漢訳は五種三存で、北涼の曇無讖(どんむしん)訳「金光明経」四巻、唐の義浄の「金光明最勝王経」十巻などがある。この経が流布するところは、四天王をはじめ諸天善神がよくその国を守りその国を益し、災厄がなく人々が幸福になることを説いている。中国では曇無讖の訳が広く用いられ、吉蔵の疏(しょ)があり、天台智者大師もこの経について疏釈している。日本では法華経・仁王経とともに護国三部経のひとつに数えられ、聖武天皇は義浄訳の金光明最勝王経を写経して全国に配布し、また全国に国分寺を建立し、金光明四天王護国之寺と称された。

止観院
 一乗止観院ともいう。伝教大師が比叡山に入って薬師如来を安置した小堂を建立したことに始まる。この薬師堂を中心にして左右に文殊堂・経蔵が建てられたことから、薬師堂を中堂または根本中堂といった。また後に、この三宇をまとめて止観院と称した。

年分得度者(ねんぶんとくどしゃ)
 各宗で年度ごとに国が決めた定員によって出家を許される者。年分度者ともいう。伝教大師最澄は山家学生式で、天台宗の僧は出家の後、十二年間、比叡山にこもって修行に専念することを定めた。止観業(しかんごう)は法華経などの顕教を学び止観の修行を専攻し、遮那業(しゃなごう)は密教を専攻する。「撰時抄」には「十二年の年分得度の者二人ををかせ給い」(二八〇㌻)とある。

遮那業(しゃなごう)
 大毘盧遮那経(大日経)をはじめとする密教を学習する課程。伝教大師最澄が定めた、天台宗の学生の履修課程の一つ。伝教大師は天台宗に割り当てられた年分度者の二人に止観業と遮那業という二つの異なる課程を修学させた。また伝教は円頓の大乗戒壇建立の勅許を請うた際、山家学生式に遮那業・止観業を修学させる制度をもうけて上表した。山家学生式には「凡(およ)そ法華宗天台の年分は弘仁九年より……叡山に住せしめて一十二年山門を出さず両業を修学せしめん、凡そ止観業の者……凡そ遮那業の者」、顕戒論縁起巻上には「天台の業に二人一人大毘盧遮那経を読ましめ一人摩訶止観を読ましむ」とある。日蓮大聖人は「法門申さるべき様の事」でこれらの文を引かれ、「これらは天台宗の内に真言宗を組み入れていらっしゃるのである」(一二七〇㌻、通解)と仰せである。

止観業(しかんごう)
 摩訶止観業(まかしかんごう)のこと。摩訶止観を学習する課程。伝教大師最澄が定めた、天台宗の学生の履修課程の一つ。伝教大師は天台宗に割り当てられた年分度者の二人にそれぞれ止観業と遮那業(しゃなごう)という二つの異なる課程を修学させた。止観業とは、山家学生式に「止観業の者は、年々毎日法華・金光・仁王・守護・諸大乗等、護国の衆経を長転長講せしめん」「止観業には具(つぶ)さに四種三昧を修習せしめん」とある。四種三昧とは、常坐・常行・半行半坐・非行非坐の四種の三昧行をいう。これらの学問および修行をする者を止観業の者といった。十二年間の修行を終えた両業の卒業者については、同じく山家学生式に「凡(およ)そ両業の学生一十二年所修所学、業に随いて任用せん。能く行い能く言うは常に山中に住して、衆の首と為し、国の宝と為す。能く言いて行うこと能わざるは国の師と為し、能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)と為す」とある。

金剛頂経(こんごうちょうきょう)
 もとは単一の経典ではなく、大日如来が十八の会座で説いたとされるものを集めた経典の総称。一般に金剛頂経という場合、このうち初会の一部を訳して一経としたものをさす。漢訳には、金剛智が訳した金剛頂瑜伽中略出念誦経(こんごうちょうゆがちゅうりゃくしゅつねんじゅきょう)四巻と、弟子の不空が訳した金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経(こんごうちょういっさいにょらいしんじつしょうだいじょうげんしょうだいきょうおうぎょう)三巻がある。金剛界を説いた経とされ、大日経とともに密教の根本聖典とされる。金剛界三十七尊が明かされ、金剛界曼荼羅とその供養法などが説かれている。

東塔(とうどう)
 滋賀県大津市の比叡山延暦寺の三搭(東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ))の一つ。比叡山東面の中腹に位置する一山の中心の地域で、東谷・西谷・南谷・北谷・無動寺谷が属す。根本中堂(一乗止観院)をはじめとして大講堂・戒壇院などがある。

大日如来
 大日はサンスクリットのマハーヴァイローチャナ(Mahāvairocana)の訳。摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、毘盧遮那と略す。光明遍照・遍一切処・遍照如来などとも訳される。大日経・金剛頂経などに説かれる密教の教主で、密厳浄土の仏。密教の曼荼羅の中心尊格。真理そのものである法身仏で、すべての仏・菩薩を生み出す根本の仏とされる。

金蘇(こんそ)の二疏十四巻
 慈覚の金剛頂大教王経疏(こんごうちょうだいきょうおうぎょうしょ)七巻と蘇悉地羯羅経略疏(そしつじからきょうりゃくしょ) 七巻を併せて称したもの。

講義
 第三条は古来、いかなる経典を鎮護国家の三部経と定め、それをどこに安置したかを、中国の不空と、日本の聖徳太子、伝教大師、慈覚について図示されている。

 不空の立てた護国三部経

 中国においては、不空が護摩寺を改めて法華寺とし、法華経・密厳経・仁王経を護国三部経としたことが示されている。密厳経は不空が訳したもので、密厳浄土、すなわち大日如来の浄土が説かれた経典である。また不空訳の仁王経は、正しくは仁王護国般若波羅蜜多経(にんのうごこくはんにゃはらみったきょう)といい、国土が乱れた時、災難を鎮(しず)めるためには般若を受持すべきことを説いており、護国の経典として重用された。なお、不空が法華寺の本尊として中央に法華経を配し、その脇士(きょうじ)として両部の大日を配したということは、不空が晩年、法華最勝に気づいたという証として、大聖人はしばしば強調されている。

 聖徳太子の護国三部経

 日本においては、聖徳太子が四天王寺に法華経・浄名経(じょうみょうきょう)・勝鬘経(しょうまんぎょう)を護国三部経として安置したと示されている。聖徳太子はこの三経については、自ら注釈書を著している。浄名経(維摩経(ゆいまきょう))は、在家の信者でありながら、舎利弗をはじめとする十大弟子を論破するほど大乗仏教に通達していた浄名(維摩詰(ゆいまきつ))の問答を記したものであり、勝鬘経は、波斯匿王(はしのくおう)の娘・勝鬘夫人を語り手とした経典で、小乗を破って一乗真実、如来蔵法身の義を明かしている。浄名経、勝鬘経ともに在家仏教の経典として重んじられた。

 伝教大師の立てた護国三部経

 伝教大師の立てた護国三部経は、法華経・仁王経・金光明経である。仁王経が護国の在り方について説いた経典であることについては既に述べたが、金光明経には、この経を護持する者を、護世の四天王(多聞天〔毘沙門天〕・持国天・増長天・広目天)をはじめとする諸天善神が守護することが説かれており、同じく鎮護国家の経として重んじられた。
 なお、この項目のなかで「年分得度者一人は遮那業(しゃなごう)一人は止観業なり」と注記されている。これは天台宗において、学僧の中から二人を選出し、止観業・遮那業の二つを履修(りしゅう)させたのである。遮那業とは大毘盧遮那経業(だいびるしゃなきょうごう)を修すること、すなわち大日経によって天台密教を修行することであり、止観業は天台大師の摩訶止観を修習することである。
 このように伝教大師が真言密教を用いた意については、撰時抄に次のように述べられている。
「伝教大師は……我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに真言宗の宗の名字をば削らせ給いて天台宗の止観・真言等かかせ給う」(二八〇㌻)。
 すなわち、真言宗の名目を立てないで天台宗の止観、真言とし天台宗の立場から真言を修せしめたこと自体、法華経が真言に勝れていると考えていたことを示しているとの仰せである。
 さてこの遮那業、止観業に触れられているのは、止観業の者がこの三部経等を読み、修するべきことを規定されているからである。伝教大師は、山学学生式(さんげがくしょうしき)に次のように述べている。
「凡そ止観業の者は年年毎日、法華・金光・仁王・守護・諸大乗等、護国の衆経を長転長講せしめん」と。

 慈覚の護国三部経

 慈覚は天台宗第三代の座主でありながら、伝教大師の三部経を用いず、真言の三部経をもって鎮護国家の三部経とし、自ら著した金剛頂経の疏(しょ)、蘇悉地経の疏も安置した。中国真言密教の不空でさえ真言の三部経を護国三部経としていない。慈覚は真言の祖以上に真言の邪義に毒されていたといえる。
 この謗法について大聖人は、曾谷入道殿御書に、次のように仰せられている。
「日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取つて伝教大師の鎮護国家を破せしより叡山に悪義・出来して終(つい)に王法尽きにき」(一〇二四㌻)。

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