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       四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

        第二章 強靭な信心を勧める

本文(一一九二㌻十一行~一一九三㌻終)
 これにつけても、いよいよ強盛(ごうじょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず。
 将門(まさかど)はつはものの名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくゎひ(樊噲)・ちゃうりゃう(張良)もよしなし。ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬ(濡)れたるほくち(火口)に火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし。すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし。「諸(もろもろ)の余の怨敵(おんてき)、皆悉く摧滅(さいめつ)す」の金言むなしかるべからず。兵法剣形(けんぎょう)の大事も此の妙法より出(い)でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶うべからず候。恐恐謹言。
  十月二十三日           日 蓮  花 押
   四条金吾殿御返事

通解
 これにつけても、いよいよ妙法に対して強盛な大信力を出していきなさい。自分の福運が尽きて、諸天善神の守護がないと恨むようなことがあってはいけない。
 平将門は、武将としての名を高め、兵法の大事をきわめていたが、朝廷の命令には負けてしまった。樊噲や張良のような中国の武将の力も結局かいがなかった。ただ根本は心が大切なのである。
 日蓮があなたのことをいかに祈ったとしても、あなた自身がこの仏法を信じなければ、濡れた火口(ほくち)に火を打ちかけるようなもので無駄になってしまう。
 したがって、なお一層、自分自身を励まして、強盛な信力を出していきなさい。過日、強敵(ごうてき)にあいながら、無事に助かったことは、全く御本尊の不思議な功力(くりき)と思いなさい。いかなる兵法よりも法華経の兵法(信心)を用いていきなさい。法華経薬王品第二十三の「諸の余の怨敵、皆悉く摧滅(さいめつ)す」とある金言は決して空しくないであろう。兵法剣形(けんぎょう)の大事もこの妙法から出たものである。このことを深く信じていきなさい。あえて臆病では何事も叶わないのである。恐恐謹言。
  十月二十三日           日 蓮  花 押
   四条金吾殿御返事

語訳
はんくわひ(樊噲)
(~前一八九年)。中国前漢の豪傑。沛(はい)の出身。張良(ちょうりょう)、陳平(ちんぺい)、周勃(しゅうぼつ)とともに漢王(高祖・劉邦)の四将の一人(曾谷入道殿許御書・一〇三一㌻)。劉邦が微賤(びせん)のときから仕え、天下統一に貢献したが、大業が成ってのちは、劉邦にうとんぜられた。

ちゃうりゃう(張良)
(~前一六八年)。漢王朝創業の功臣。字は子房。韓の人。韓が秦に滅ぼされると始皇帝を博狼沙(はくろうしゃ)(河南)に狙撃したが果すことができず、変名して隠れた。その間、下邳(かひ)で黄石老人に会い、太公望の兵法を授かったという。劉邦が挙兵するに及び帷幄(いあく)に参画し、政治的、戦略的手腕を発揮し、遂に項羽を討って平定した。漢の統一後、留侯に封ぜられた。晩年は黄老(黄帝と老子)を好み、また神仙を学んでいる。蕭何(しょうか)、韓信(かんしん)と共に漢創業の「三傑」と称せられた。
〈追記〉
 劉邦が天下統一を為し遂げ、漢に寄与した最大の功臣を問われた時、自ら三人の英傑の名を挙げた。世に「三傑」と称された張良、蕭何、韓信である。各々の役割は、軍師(張良)、政治(蕭何)、将帥(韓信)であり、創業に不可欠の要素であった。
 だが天下平定後は守成の世となり、軍師・将帥はその役割を終えた。張良は以後、病と称して家に籠り、神仙術に没頭した。これに比し、張良とともに軍師として劉邦を支えた陳平は、政治にも優れ、以後も劉邦に重用された。
 韓信・彭越・英布等の外様の将帥は、その功によって諸国の王に封ぜられながら、劉邦にうとまれ滅ぼされた。
 樊噲は当初から劉邦に仕え、〝鴻門の会〟で項羽から劉邦の身を救った剛勇の者であったが、讒言にあって捕らえられ、高祖(劉邦)の死によって釈放された。
 劉邦は死に臨み、皇后の呂雉に、後事を託す人物として蕭何、曹参、王陵、陳平、周勃の名を順次告げた。劉邦没後、蕭何が臣下最高位の「相国」、曹参が第二代相国となった。以後、相国は任じられる者が無く、曹参の後は王陵が「右丞相」(首相格)、陳平が補佐の「左丞相」(副首相格)となった。次は陳平が右丞相、周勃が左丞相となり、劉邦の遺言はすべて的中した。

講義
 人間としての勝利、人生の栄光を根本的に決するのは正しい仏法の信心であり、いよいよ強い信力を出してこれからの人生に臨むよう激励されている。

 これにつけても、いよいよ強盛(ごうじょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず

 諸天の加護ということとの関連において、信心の重要性を指摘されている。すなわち、法華経に諸天善神が護ってくれると説かれているといっても、それは、まず、当人に豊かな福運のあることが前提である。諸天とはすでに述べたように、依報の力の働きであり、依報とは正報の反映に他ならないからである。
 正報のもっている、人生の苦難をのりこえていく力を運命という。この運命が弱まり尽きたとき、もはや依報の力である諸天も、自身を守ってくれる善神としての働きをあらわすことができない。そして、この自己の力をより豊かにしていくための実践が信心なのである。故に「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」といわれているのであり、肝心の自己の運命の開拓、自身のより強靭(きょうじん)な確立を忘れて、諸天が守護してくれないと恨んではならないと、厳しく戒められているのである。

 将門(まさかど)はつはものの名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくゎひ(樊噲)・ちゃうりゃう(張良)もよしなし。ただ心こそ大切なれ
 
 平安中期、平将門は東国にあって、京の朝廷に反逆し、自ら〝新皇〟と名のって独立王国を造ろうとした。だが、朝廷の命をうけた平貞盛・藤原秀郷(ひでさと)の軍に敗れ、追いつめられて滅んだ。樊噲(はんかい)は漢王朝創業にあたって、その卓抜した武力により、張良(ちょうりょう)はその智謀によって、劉邦を助けた功労者である。だが、いずれも、晩年は劉邦からも疎(うと)んぜられ、寂しく惨めであった。
 もちろん、これらの人々が悪人であったとか、道義的破綻(はたん)者であったとかというのではない。むしろ、冷静にみた場合、平将門の叛逆も、当時の虐(しいた)げられた東国を救おうという情熱から出たものであり、樊噲・張良も、ひたすら劉邦に仕え助けた善人であった。だが、将門の場合は、朝廷を中心とする当時の、より大きい〝法〟を知らなかったことに敗北の因があり、樊噲、張良の場合は、それぞれ戦争についての武力・智謀という力をもっていたが、それだけにとどまっていたことが、人生の敗北の因であったのである。 
 したがって、ここで「心こそ大切なれ」とおっしゃっている〝心〟とは、主君に叛(そむ)かず従順に仕える心という意味ではなく、もっと大きく、深いものをさしていわれていることが知られる。もし、単に従順さ、忠誠等ととるなら、この文に引かれている樊噲・張良は叛逆者でなければならないはずであり、将門は卑劣な悪人でなければならないはずだが、それは余りにも事実に反することだからである。
 将門が「つはものの名をとり」とは武力の面であり「兵法の大事をきはめたり」とは智謀の面で、智勇ともにすぐれた武士であったと指摘されているのである。しかし「王命」という言葉・概念に象徴される、当時の時代の人心を支配していた、より大きい力に対して浅慮であった。このことから学ばなければならない大切なことは、時代を動かしている最も本源的な思考、理念の力を見極める英知を身につけなければならないということであろう。
 樊噲は武力、張良は智謀をもって劉邦を助けた。劉邦にしてみれば、天下をとるまでの段階においては、きわめて貴重な部下であったが、王朝をつくったあとは、もはや無用であり、かえって邪魔になってしまった。それは、二人が特殊な分野にのみすぐれた、いわば部分的存在であったことによる。このことから、われわれが学びうるのは、権力者というものの身勝手さということはさることながら、自身を全人格的に完成していくことが人生の限りない栄光の鍵であるという点であろう。

 いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬ(濡)れたるほくち(火口)に火をうちかくるがごとくなるべし
 
 師と弟子の心の一致を通して、祈りが成就する原理を述べられている。その〝心〟とは妙法への〝信〟という心である。すなわち、いかに師である大聖人が、四条金吾の幸せを祈っても、弟子である金吾の妙法への信心がなければ、その祈りは通じない。大聖人は末法の本仏であるが、仏とは、全知全能の神と異なる。もし、キリスト教的な神であれば、弟子である人間の意志や努力とは無関係に、一方的に神の意志によって一切が決定してしまう。ところが、仏法は、いかに仏が祈ろうと、その人が不信であるならば、祈りは叶わないのである。
 いわゆる仏力、法力がいかに絶大であろうと、衆生の信力、行力に応じてあらわれるのであり、先の諸天善神と人間との関係と同じく、ここにおいても、仏教がいかに人間中心主義であるかが理解されよう。 
 また、仏の祈りといい、弟子の信心といい、それは互いに向き合った関係ではない。仏も「法華経」すなわち〝法〟に祈るのであり、弟子も「法華経」すなわち〝法〟を信ずるのである。この互いが同じく〝法〟を中心とし〝法〟に向かっている姿、その心の姿勢を師弟不二というのである。また、同じことは、仲間同士の全般についてもいえるのであり、これは異体同心という原理になる。
 したがって師弟不二といい、異体同心というのは、誰かの意志に他の者が全面的に服従していくような、互いに向き合った関係でもなければ、一人のために、大部分の人が自己の主張、自由意志、尊厳性を放棄していく関係でもない。互いが、等しく〝法〟を中心としていくところに具現される心の一致であり、そこでは個々の自由意志、個としての主体性が最高に尊重され具現されていくのである。

 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし
 
 いまさら説明を加えるまでもない御文である。ただあえていえば、この文を、法華経の兵法すなわち信心のみをとり、他の兵法すなわち技術的努力等は捨てるべきであるというふうに読むのは誤りである。「法華経の兵法」は、たとえれば根のようなもので、根は養分をとり、全体を支えるために不可欠の、もっとも大切な部分であるが、あくまでも部分であって全体ではない。そして、根が吸収したものも、茎、幹、葉、実として顕現されてこそ意味をもちうる。「法華経の兵法」も、具体的な工夫・努力としてあらわれ、成果を出してこそ、存在意義をもつのであって、そのためには「なにの兵法」が必要なのである。
 ただ、何よりも、生命の根源からのゆたかな力が湧いていなければ、いかなる努力も空しく終わってしまうがゆえに「なにの兵法よりも法華経の兵法」と強調されていることを知らなければならない。この関係を正しくわきまえ、常に信心を根底とし、生活の上で、各自の仕事において、社会に生きる一個の人間として最大の努力をし知恵を発揮していくことが、大聖人のお心に叶った、真の仏教者の行き方といえよう。

出典:日蓮大聖人御書講義 第二十四巻(編著者:御書講義録刊行会 発行所:創価学会)

           四条金吾殿御返事(法華経兵法事)―了―
      四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

       第二章 強靭な信心を勧める

本文(一一九二㌻十一行~一一九三㌻終)
 これにつけても、いよいよ強(ごう)盛(じょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず。
将門(まさかど)はつはものの名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくゎひ(樊噲)・ちゃうりゃう(張良)もよしなし。ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬ(濡)れたるほ(火)くち(口)に火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし。すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし。「諸(もろもろ)の余の怨敵(おんてき)、皆悉く摧(さい)滅(めつ)す」の金言むなしかるべからず。兵法剣形(けんぎょう)の大事も此の妙法より出(い)でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶うべからず候。恐恐謹言。
十月二十三日          日 蓮  花 押
四条金吾殿御返事

通解
 これにつけても、いよいよ妙法に対して強盛な大信力を出していきなさい。自分の福運が尽きて、諸天善神の守護がないと恨むようなことがあってはいけない。
平将門は、武将としての名を高め、兵法の大事をきわめていたが、朝廷の命令には負けてしまった。樊噲や張良のような中国の武将の力も決局かいがなかった。ただ根本は心が大切なのである。
日蓮があなたのことをいかに祈ったとしても、あなた自身がこの仏法を信じなければ、濡れた火口(ほくち)に火を打ちかけるようなもので無駄になってしまう。
したがって、なお一層、自分自身を励まして、強盛な信力を出していきなさい。過日、強敵(ごうてき)にあいながら、無事に助かったことは、全く御本尊の不思議な功力(くりき)と思いなさい。いかなる兵法よりも法華経の兵法(信心)を用いていきなさい。法華経薬王品第二十三の「諸の余の怨敵、皆悉く摧(さい)滅(めつ)す」とある金言は決して空しくないであろう。兵法剣形(けんぎょう)の大事もこの妙法から出たものである。このことを深く信じていきなさい。あえて臆病では何事も叶わないのである。恐恐謹言。
十月二十三日          日 蓮  花 押
四条金吾殿御返事

語訳
はんくわひ(樊噲):
(~前一八九年)。中国前漢の豪傑。沛(ぱい)の出身。張(ちょう)良(りょう)、陳(ちん)平(ぺい)、周勃(しゅうぼつ)とともに漢王(高祖・劉邦)の四将の一人(曾谷入道殿許御書・一〇三一㌻)。劉邦が微賤(びせん)のときから仕え、天下統一に貢献したが、大業が成ってのちは、劉邦にうとんぜられた。

ちゃうりゃう(張良):
(~前一八六年)。漢王朝創業の功臣。字は子房。韓の人。韓が秦に滅ぼされると始皇帝を博狼沙(はくろうしゃ)(河南)に狙撃したが果すことができず、変名して隠れた。その間、下邳(かひ)で黄石老人に会い、太公望の兵法を授かったという。劉邦が挙兵するに及び帷幄(いあく)に参画し、政治的、戦略的手腕を発揮し、遂に項羽を討って平定した。漢の統一後、留侯に封ぜられた。晩年は黄老(黄帝と老子)を好み、また神仙を学んでいる。蕭(しょう)何(か)、韓(かん)信(しん)と共に漢創業の「三傑」と称せられた。
〈追記〉
劉邦が天下統一を為し遂げ、漢に寄与した最大の功臣を問われた時、三人の英傑の名を挙げた。世に「三傑」と称された張良、蕭何、韓信である。各々の役割は、軍師(張良)、政治(蕭何)、将帥(韓信)であり、創業に不可欠の要素であった。
だが天下平定後は守成の世となり、軍師・将帥はその役割を終えた。張良は以後、病と称して家に籠り、神仙術に没頭した。これに比し、張良とともに軍師として劉邦を支えた陳平は、政治にも優れ、以後も劉邦に重用された。
韓信・彭越・英布等の外様の将帥は、その功によって諸国の王に封ぜられながら、劉邦にうとまれ滅ぼされた。
樊噲は当初から劉邦に仕え、〝鴻門の会〟で項羽から劉邦の身を救った剛勇の者であったが、讒言にあって捕らえられ、高祖(劉邦)の死によって釈放された。
劉邦は死に臨み、皇后の呂雉に、後事を託す人物として蕭何、曹参、王陵、陳平、周勃の名を順次告げた。劉邦没後、蕭何が臣下最高位の「相国」、曹参が第二代相国となった。以後、相国は任じられる者が無く、曹参の後は王陵が「右丞相」(首相格)、陳平が補佐の「左丞相」(副首相格)となった。次は陳平が「右丞相」、周勃が「左丞相」となり、劉邦の遺言はすべて的中した。

講義
人間としての勝利、人生の栄光を根本的に決するのは正しい仏法の信心であり、いよいよ強い信力を出してこれからの人生に臨むよう激励されている。

これにつけても、いよいよ強(ごう)盛(じょう)に大信力をいだし給へ。我が運命つきて、諸天守護なしとうらむる事あるべからず

 諸天の加護ということとの関連において、信心の重要性を指摘されている。すなわち、法華経に諸天善神が護ってくれると説かれているといっても、それは、まず、当人に豊かな福運のあることが前提である。諸天とはすでに述べたように、依報の力の働きであり、依報とは正報の反映に他ならないからである。
正報のもっている、人生の苦難をのりこえていく力を運命という。この運命が弱まり尽きたとき、もはや依報の力である諸天も、自身を守ってくれる善神としての働きをあらわすことができない。そして、この自己の力をより豊かにしていくための実践が信心なのである。故に「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」といわれているのであり、肝心の自己の運命の開拓、自身のより強靭(きょうじん)な確立を忘れて、諸天が守護してくれないと恨んではならないと、厳しく戒められているのである。

将門(まさかど)はつはものの名をとり、兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくゎひ(樊噲)・ちゃうりゃう(張良)もよしなし。ただ心こそ大切なれ
 
平安中期、平将門は東国にあって、京の朝廷に反逆し、自ら〝新皇〟と名のって独立王国を造ろうとした。だが、朝廷の命をうけた平貞盛・藤原秀郷(ひでさと)の軍に敗れ、追いつめられて滅んだ。樊噲(ぼんかい)は漢王朝創業にあたって、その卓抜した武力により、張(ちょう)良(りょう)はその智謀によって、劉邦を助けた功労者である。だが、いずれも、晩年は劉邦からも疎(うと)んぜられ、寂しく惨めであった。
もちろん、これらの人々が悪人であったとか、道義的破綻(はたん)者であったとかというのではない。むしろ、冷静にみた場合、平将門の叛逆も、当時の虐(しいた)げられた東国を救おうという情熱から出たものであり、樊噲・張良も、ひたすら劉邦に仕え助けた善人であった。だが、将門の場合は、朝廷を中心とする当時の、より大きい〝法〟を知らなかったことに敗北の因があり、樊噲、張良の場合は、それぞれ戦争についての武力・智謀という力をもっていたが、それだけにとどまっていたことが、人生の敗北の因であったのである。 
したがって、ここで「心こそ大切なれ」とおっしゃっている〝心〟とは、主君に叛(そむ)かず従順に仕える心という意味ではなく、もっと大きく、深いものをさしていわれていることが知られる。もし、単に従順さ、忠誠等ととるなら、この文に引かれている樊噲・張良は叛逆者でなければならないはずであり、将門は卑劣な悪人でなければならないはずだが、それは余りにも事実に反することだからである。
将門が「つはものの名をとり」とは武力の面であり「兵法の大事をきはめたり」とは智謀の面で、智勇ともにすぐれた武士であったと指摘されているのである。しかし「王命」という言葉・概念に象徴される、当時の時代の人心を支配していた、より大きい力に対して浅慮であった。このことから学ばなければならない大切なことは、時代を動かしている最も本源的な思考、理念の力を見極める英知を身につけなければならないということであろう。
樊噲は武力、張良は智謀をもって劉邦を助けた。劉邦にしてみれば、天下をとるまでの段階においては、きわめて貴重な部下であったが、王朝をつくったあとは、もはや無用であり、かえって邪魔になってしまった。それは、二人が特殊な分野にのみすぐれた、いわば部分的存在であったことによる。このことから、われわれが学びうるのは、権力者というものの身勝手さということはさることながら、自身を全人格的に完成していくことが人生の限りない栄光の鍵であるという点であろう。

いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬ(濡)れたるほ(火)くち(口)に火をうちかくるがごとくなるべし
 
師と弟子の心の一致を通して、祈りが成就する原理を述べられている。その〝心〟とは妙法への〝信〟という心である。すなわち、いかに師である大聖人が、四条金吾の幸せを祈っても、弟子である金吾の妙法への信心がなければ、その祈りは通じない。大聖人は末法の本仏であるが、仏とは、全知全能の神と異なる。もし、キリスト教的な神であれば、弟子である人間の意志や努力とは無関係に、一方的に神の意志によって一切が決定してしまう。ところが、仏法は、いかに仏が祈ろうと、その人が不信であるならば、祈りは叶わないのである。
いわゆる仏力、法力がいかに絶大であろうと、衆生の信力、行力に応じてあらわれるのであり、先の諸天善神と人間との関係と同じく、ここにおいても、仏教がいかに人間中心主義であるかが理解されよう。 
また、仏の祈りといい、弟子の信心といい、それは互いに向き合った関係ではない。仏も「法華経」すなわち〝法〟に祈るのであり、弟子も「法華経」すなわち〝法〟を信ずるのである。この互いが同じく〝法〟を中心とし〝法〟に向かっている姿、その心の姿勢を師弟不二というのである。また、同じことは、仲間同士の全般についてもいえるのであり、これは異体同心という原理になる。
したがって師弟不二といい、異体同心というのは、誰かの意志に他の者が全面的に服従していくような、互いに向き合った関係でもなければ、一人のために、大部分の人が自己の主張、自由意志、尊厳性を放棄していく関係でもない。互いが、等しく〝法〟を中心としていくところに具現される心の一致であり、そこでは個々の自由意志、個としての主体性が最高に尊重され具現されていくのである。

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし
 
いまさら説明を加えるまでもない御文である。ただあえていえば、この文を、法華経の兵法すなわち信心のみをとり、他の兵法すなわち技術的努力等は捨てるべきであるというふうに読むのは誤りである。「法華経の兵法」は、たとえれば根のようなもので、根は養分をとり、全体を支えるために不可欠の、もっとも大切な部分であるが、あくまでも部分であって全体ではない。そして、根が吸収したものも、茎、幹、葉、実として顕現されてこそ意味をもちうる。「法華経の兵法」も、具体的な工夫・努力としてあらわれ、成果を出してこそ、存在意義をもつのであって、そのためには「なにの兵法」が必要なのである。
ただ、何よりも、生命の根源からのゆたかな力が湧いていなければ、いかなる努力も空しく終わってしまうがゆえに「なにの兵法よりも法華経の兵法」と強調されていることを知らなければならない。この関係を正しくわきまえ、常に信心を根底とし、生活の上で、各自の仕事において、社会に生きる一個の人間として最大の努力をし知恵を発揮していくことが、大聖人のお心に叶った、真の仏教者の行き方といえよう。

出典:日蓮大聖人御書講義 第二十四巻(編著者:御書講義録刊行会 発行所:創価学会)

四条金吾殿御返事(法華経兵法事)―了―
       四条金吾殿御返事(法華経兵法事)

     第一章 金吾の存命を喜びその理由を明かす

本文(御書全集一一九二㌻初~一一九二㌻一一行)
 先度(せんど)強敵(ごうてき)ととりあい(取合)について御文(おんふみ)給いき。委(くわ)しく見まいらせ候。さてもさても敵人(てきじん)にねらはれさせ給いしか。前前(さきざき)の用心といひ、又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に、難なく存命せさせ給い、目出たし目出たし。
 夫(そ)れ運きはまりぬれば兵法もいらず。果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず。所詮運ものこり、果報もひかゆる故なり。ことに法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品にして誓状をたて給い、一切の守護神・諸天の中にも我等が眼(まなこ)に見へて守護し給うは日月天(にちがつてん)なり。争(いか)でか信をとらざるべき。ことにことに日天の前に摩利支天(まりしてん)まします。日天、法華経の行者を守護し給はんに、所従の摩利支天尊すて給うべしや。序品の時「名月(みょうがつ)天子・普光天子・宝光天子・四大天王其の眷属万の天子と倶(とも)なり」と列座し給ふ。まりし天は三万天子の内(うち)なるべし。もし内になくば地獄にこそおはしまさんずれ。今度の大事は此の天のまほりに非ずや。彼(か)の天は剣形(けんぎょう)を貴辺にあたへ、此(ここ)へ下(くだ)りぬ。此の日蓮は首題の五字を汝にさづく。法華経受持のものを守護せん事疑(うたがい)あるべからず。まりし天も法華経を持(たも)ちて一切衆生をたすけ給う。「兵闘(ひょうとう)に臨む者は皆(みな)陣列(じんれつ)して前に在(あ)り」の文も法華経より出(い)でたり。「若(も)し俗間(ぞっけん)の経書(きょうしょ)、治世(じせい)の語言(ごごん)、資生(ししょう)の業(ごう)等を説かんも、皆正法に順ぜん」とは是なり。

通解
 さきごろ強敵(ごうてき)と争いのあったことについてお手紙をいただき、くわしく拝見いたしました。
 それにしても、以前から、あなたは、敵人に狙われていたのでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命されたことは、このうえもなくめでたいことである。
 いったい、福運がなくなってしまえば、兵法も役に立たなくなり、また果報が尽きてしまえば、家来も従わなくなるものである。(しかし、あなたが強敵に襲撃されて無事であったのは)結局、福運と果報が残っていたからである。
 ことに法華経の行者に対しては、諸天善神が守護すると、法華経嘱累品第二十二で誓いをたてている。一切の守護神・諸天善神の中でもわれわれの眼に、はっきりとその姿が見えて守護するのは日天(太陽)と月天(月)である。それ故どうしてこの諸天善神の守護を信じないでいられようか。
 とくに、日天の前には摩利支天がいる。主君の日天が法華経の行者を守護するのに、家来の摩利支天が法華経の行者を見捨てることがあるだろうか。法華経序品第一の時に「名月(みょうがつ)天子・普光天子・宝光天子・四大天王有り、其の眷属万の天子と倶(とも)なり」とあるように、諸天善神は、皆列座した。摩利支天は、そこに列座した三万天子の中に入っているはずである。もしその三万天子の中にいなければ、地獄に堕ちているのであろう。
 結局、この度(たび)あなたが強敵から逃れられたのは、この摩利支天の守護によるものではないだろうか。摩利支天は、あなたに剣形(けんぎょう)の大事を与え、守護したのである。この日蓮は、一切の諸天善神が守るべき首題の五字(妙法蓮華経)をあなたに授ける。法華経受持の者を守護することは断じて疑いない。摩利支天自身も法華経を持(たも)って、一切衆生をたすけるのである。剣形兵法の呪文である「兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り」の文も結局、法華経の文より出たものである。法華経法師功徳品第十九に、「若(も)し俗間(ぞっけん)の経書(きょうしょ)、治世(じせい)の語言(ごごん)、資生(ししょう)の業(ごう)等を説かんも、皆正法に順ぜん」とあるのはこの意である。

語訳
摩利支天(まりしてん)
 梵語マリーチ(Marīci)の音写で、威光・陽炎と訳す。常に日天に従って自在の神力をもっているという女神である。その像は、左手に扇をもっている。この神に念ずると、災をまぬかれ、身をかくす術が得られるとされ、武士の守護神として尊崇された。

兵闘(ひょうとう)に臨む者は皆(みな)陣列(じんれつ)して前に在(あ)り
「抱朴子(ほうぼくし)」には「兵闘に臨む者は皆陣列して前に行く」とある。本来、道教で、異変、災禍をのがれることができる呪(じゅ)として用いた文であるが、ひろく当時の日本でも武士の間で用いられていた。

若(も)し俗間(ぞっけん)の経書(きょうしょ)……
「俗間の経書」とは哲学、思想のこと。「治世」は政治。「語言」とは文学等のこと。「資生の業」とは産業などをさす。すなわち、世間の一切の原理も皆、正法に順じているということ。

講義
 本抄は、別名を「法華経兵法事(へいほうのこと)」あるいは「剣形書」といわれ、兵法と法華経の信心との関係について指導された書である。
 もとより、ここでいわれている〝兵法〟とは、剣をとっての戦いの法であるが、原理はなにもそうした武力による戦いに限るものではない。人間として、この社会に生きていくうえにおいて、経済、思想、文化の各面にわたって、不正の横暴に対して戦わなければならない場合がある。また、新しい創造のための努力も広い意味では〝戦い〟である。
〝兵法〟とは、そうしたそれぞれの分野における戦い、努力の具体的方法である。その戦い、努力をいかに効果あらしめるかは、方法論をこえた視野を必要とする。そこに、究極的には、自己の生命の開拓が重要となってくるのであり、それを可能にしたのが法華経なのである。この意味において、本抄に示されている指導は、武士としての四条金吾に限定される性質のものではなく、時代、環境の違いを越えて、あらゆる人間にとって重要性をもっていると考えるべきであろう。

 前前(さきざき)の用心といひ、又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に云々
 
 いつ、どのような事態に直面するとも知れないのが人生である。そうした思いがけない事故にぶつかったとき、無事にのりこえるかどうかは、まさに、この文にあげられている三つの要因を、ふまえているかどうかにかかっているといって過言ではあるまい。
 その一つは、普段からの用心である。つねに心を配って、事故を未然に防ぐことが肝要である。それでもなおかつ防ぎえないことはある。だが、そうした普段の用心がなされた上であれば、起こったとしても、小さくできるし、賢明に対処できるものである。
 もう一つは「けなげ」つまり勇気である。これは、事故が起こってしまった場合の、こちらの心の姿勢である。「けなげ」とは避けられないのに避けようとしたり、逃げようとするのでなく、真っ向から取りくんで、解決しようとすることである。それが結局、災厄を最小にする方法であり、この姿勢を全うした場合には、かえって災いを福と転ずることもできるのである。
 そして、これらの根底にあって大事なのが〝法華経の信心〟であると大聖人は教えられているのである。「前前(さきざき)の用心」において大切な働きをするのは、知恵である。「けなげ」の原動力となるのは、生命の力である。この生命力と知恵を豊かにし、充実させる源泉が法華経の信心すなわち南無妙法蓮華経の御本尊への強い祈りにあることを知らなければならない。

 運きはまりぬれば兵法もいらず。果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず
 
 百の努力をしても、八十の結果しか出ない場合もあれば、百の努力が百の結果を出す場合もある。あるいは、百の努力がマイナス二十の結果になってしまうこともある。個人の人生においても、調子のよい時と悪い時とがあり、さらに、人間一人一人の間に、調子よく人生を歩める人と、何をやってもうまくいかない人とがある。それは、人間の理解の範囲を越えたものであり、それを古来、人間は〝運〟〝運命〟と名づけてきた。
 この〝運命〟は、いったい何によって作られ決定されているのかという点について、キリスト教では、神の意志・思召(おぼしめ)しによるとし、中国では〝天命〟によるとし、仏教では、その人自身の過去の行為の善悪の集積によるとする等の違いがあるが、〝運〟というものを考える点では、東西共通のものがあるといってよい。
 それはともあれ、もし、運がもはや尽きてしまえば、兵法すなわち、いかに努力を尽くしても、期待したような結果は得られない、というのである。この場合の〝運〟とは、その人を幸福に導いていく方の〝運〟であることはいうまでもない。
 また、果報とは、過去の行ないが因となって生ずる果であり、その善悪によってあらわれる報いである。これも、この場合は、善の方のそれをいわれていることは、もとよりである。もし、果報が尽きてしまえば家来もつき従ってこなくなる、との仰せである。この所従とは、封建社会に武士として生きる四条金吾の場合は、家来ということであるが、ひろくいえば、自分の周囲にあって守ってくれる働きをする人々をいうと考えてよい。
 したがって〝兵法〟が、その人自身の知恵、努力であるのに対し〝所従〟はその人をとりまく周囲の人々である。もし運がきわまり、果報が尽きれば、いわゆる正報・依報ともに、自分を守ってくれる働きはできなくなり、すべてがカラ回りし、自分は孤立化して、敗れていくのである。
 この〝運〟を強くし〝果報〟を豊かにしていく源泉が「法華経の信心」である。ということは〝運〟といい〝果報〟といっても、どこで誰かによって作られ、与えられるものではなく、自分の努力によって、これを築いていくのである。ここに、人間の主体性を確かなものとする仏法の、他のいかなる宗教にも見られない特質があるといえよう。

 一切の守護神・諸天の中にも我等が眼(まなこ)に見へて守護し給うは日月天(にちがつてん)なり。争(いか)でか信をとらざるべき
 
 本来、諸天善神といい悪鬼神といい、人間の環境世界のもっているさまざまな力について立てられた概念である。たとえば、太陽の力が、生命をはぐくみ、この世界を明るく照らし出し、熱を与えてくれる善なる働きを日天としたと考えられる。しかし、その同じ太陽の光と熱が、あまりにも強ければ、視力を奪ったり、渇きのために生命を奪ったりする。こうした生命を奪う働きを鬼神とするのである。
 このようにして、原始時代の人々は、自然界の事象のあらゆる働きについて、神あるいは鬼という概念を立てた。そして、それらのあらゆるものは、人間が文明を形成し、社会生活を営むようになるにつれ、権力者や権力機構の働きと結びつくようになり、ある帝王が太陽神の代弁者のようにみなされたこともあった。こうして、かつては、あらゆる神が具体的なイメージをもっていたのに、時代がくだるにつれて、抽象的になり、漠然としていったのである。そのなかにあって、太陽の力を象徴する日天、月の力を象徴する月天は、その元の実在が明瞭であり、このことを「我等が眼に見えて守護し給う」といわれたのである。
 ともあれ、諸天善神というのは、決して人間が妄想によって生みだしたものではなく、現実に人間の生活を豊かにし、生命を与えている種々の力をいう。そして、その自然的環境、社会的・文化的環境のもっている力は、主体である人間生命の反映にほかならないとの達観から、これらの力を善なる方向へ強め、悪の面のあらわれを制御していくのが仏法の実践なのである。

 彼(か)の天は剣形(けんぎょう)を貴辺にあたへ、此(ここ)へ下(くだ)りぬ。此の日蓮は首題の五字を汝にさづく

 摩利支天は〝陽炎(ようえん)〟と訳されるように、太陽の強い光が大地にあたって起こす〝かげろう〟と関係がある。この摩利支天が古来、武士の守護神として崇められたというのは、相対して戦う場合、太陽を背にして相手の目を眩(くら)ませるのが有利であったこととつながりがあるようである。
 そして、摩利支天が武士の守護神ということから「剣形を貴辺にあたへ」といわれたのであろう。〝剣形〟とは、剣を扱う術、剣の技術である。それに対し、日蓮大聖人は仏法の極理・法華経の肝心である〝首題の五字〟を四条金吾に与えられた。この〝首題の五字〟を受持している故に、法華経の持者を守護する摩利支天の加護があったのだとの仰せである。
 このことは、信心と生活上の知恵・努力、仕事の上の技術との関係を見事に教示されているのである。信心が根底にあって、生活や仕事の技術は生かされる。この場合は、自分の生命が奪われるか否かという非常の場面であったが故に、御本尊(法華経)への信心と剣術という直接的な関係であらわれたわけである。しかし、一般的な意味での仕事上の知恵・努力と信心という場合においては、信心はその人の人間的自覚、目的観、責任感としてあらわれ、そこに崇高なものが確立されることによって、生活上の知恵は豊かになり、努力は大きい実を結ぶのである。
 したがって、信心さえあれば、生活上の種々の工夫や努力は自然に与えられるという考え方も、誤りである。あえていうならば、四条金吾のこの場合、〝剣形〟を与えたのは〝摩利支天〟であって大聖人ではないように、仕事上での技術や知恵を与えてくれるのは、先輩であり、生活の知恵や工夫を与えてくれるのも、親であり先輩であり、社会である。ゆえに、これらから謙虚に学ぶことが大切である。ただ、そうして得たものをいかに自分が使っていけるかという場合に、信心を根本とすることの重要性がある。
 

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