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             八宗違目抄

       第十章 一念三千は法華経にのみ明かす

本文(一五九㌻一八行~一六〇㌻一行)
 止の五に云く「此の十重の観法は横竪(おうじゅ)に収束し微妙精巧なり初は則ち境の真偽を簡(えら)び中は則ち正助相添い後は則ち安忍無著(あんにんむじゃく)なり、意(こころ)円(まど)かに法巧みに該括周備(がいかつしゅうび)して初心に規矩(きく)し将(まさ)に行者を送つて彼の薩雲に到らんとす初住なり闇証(あんしょう)の禅師・誦文の法師の能く知る所に非ざるなり、蓋(けだ)し如来積劫(しゃくごう)の懃求(ごんぐ)したまえる所・道場の妙悟したまえる所・身子の三請する所・法譬(ほっぴ)の三たび説く所正しく玆(ここ)に在るに由るか」。

通解
 摩訶止観の巻五に「この十重の観法は、次第順序を経て収束した微妙精巧なものである。初めはすなわち対境の真偽を明らかにし、なかごろはすなわち正行と助行とが相添い、後にはすなわち安然として執着のない状態になることができる。こころは円(まど)かに法は巧みにことごとくくくり、完備しているから、初心の者には規則となり、まさに行者をこれによって進ませて、薩雲すなわち初住位に到らせる。教義に闇(くら)い禅師や、また誦文の法師のよく知るところではない。おそらく如来が長い間、修行を積んで求められたところ、菩提道場で悟られたところ、舎利弗が方便品で三たび請うたところ、法説・譬説・因縁説の三周に説かれたところの法門等が、まさしくここにあるのである」とある。

講義
 天台大師自身が、十重観法(その元意は一念三千)が仏道修行においてもっている意義について述べ、一代聖教の極意であることを言明している止観の文を挙げられている。
 この文は十重の観法の名目を示したあと、十重の観法の意義について述べた個所であり、この十重の観法は縦横に収束し、微妙で精巧な法門であるとするとともに、如来が何劫も修行を積み重ねて懃求(ごんぐ)したところ(因)であり、またその結果、菩提道場などで悟ったところ(果)であり、さらに舎利弗が三度請うて説かれた法華経の元意である、というのが文意である。

 摩訶止観の大要
 
 ここで摩訶止観の大要と、そこに明かされた十重観法の内容について略述しておきたい。
 摩訶止観は天台大師が隋の開皇十四年(五九四年)四月二十六日から一夏(げ)九旬(じゅん)にわたって、荊州(けいしゅう)玉泉寺で講述したものを、弟子の章安大師が筆録した書である。
 法華経の一心三観・一念三千の法門を開き顕して、それを己心に証得する修行の方軌を示しており、天台大師の出世の本懐とされる。
 摩訶止観の構成は、章安大師の序分と天台大師の正説分からなっている。正説分として、①大意、②釈名(しゃくみょう)、③体相、④摂法(しょうほう)、⑤偏円、⑥方便、⑦正修、⑧果報、⑨起教、⑩旨帰(しき)、の十章が立てられており、これを「十広」ともいう。しかしながら、⑦正修章において十境を立てるなか、十境中の第八増上慢境以下は欠文のまま終わっている。
 最初の「大意」章は、全十巻の大意を概説し、全体の内容を五項目にまとめて略説している。すなわち、発大心(ほつだいしん)・修大行(しゅだいぎょう)・感大果(かんだいか)・裂大網(れつだいもう)・帰大処(きだいしょ)で、これを「五略」という。この「五略」を広げると十章全体になるので、摩訶止観のことを「五略十広」と、古来、呼びならわされている。
 その関係についていえば、発大心には、四弘誓願などによって止観の究極である一心三観を目指し、正しい菩提心を発(おこ)すべきことを説いており、これは十広の第二「釈名」章から第五「偏円」章にあたる。
 修大行には、身口意の三業にわたる実践の法である四種三昧、止観行等を説いており、第六「方便」章と第七「正修」章にあたる。
 感大果には、発心し修行した結果として獲得される果徳を説いており、第八「果報」章にあたる。
 裂大網には、得られた果徳によって衆生教化と救済の能力が具わり、衆生のとらわれている煩悩や邪見の網を裂いていくことを示し、第九「起教」章にあたる。
 帰大処には、自他の修行を満足し、能化も所化も、ともに大涅槃の境地に帰入することを説き、第十「旨帰」章にあたる。
 日蓮大聖人は、摩訶止観について、一念三千法門で「止観と申す文十巻あり、上(かみ)四帖に猶秘し給いて但六即・四種三昧等計(ばか)りなり、五の巻に至つて十境・十乗・一念三千の法門を立て夫(そ)れ一心に具す等と云云」(四一二㌻)と述べられている。
 十巻中の四巻(上四帖)、章でいえば第六章(前六章)までは、六即の行位、四種三昧の行法等を説き、正しく止観を修するための準備や用意(二十五方便)を説いているのである。
 そして第五巻、つまり第七「正修」の冒頭で「第七に、正修止観とは、前の六重の修多羅(経典)に依って、以って妙解を開き、今(正修章)は妙解に依って、以って正行を立つ」と述べ、前六章の妙解に基づき、正行を立てたことを明かしている。

 十境・十乗の観法

 その「正行」として説かれたのが十境・十乗の観法、いわゆる「十重観法」である。観法には、能観と所観があり、能観が十乗で、所観の境が十境である。
 先にも述べたが、能観の十乗の〝乗〟とは、乗せる、運ぶの意で、成仏の境界まで乗せ、運ぶということで、十乗は十の運ぶ方法、手段という意味である。
 十乗観法は、十法成乗観、十重観法、十乗観心、十観ともいう。
 すなわち①観不思議境、②起慈悲心、③巧安止観(ぎょうあんしかん)、④破法遍、⑤識通塞(しきつうそく)、⑥修道品(しゅどうほん)、⑦対治助開、⑧知次位、⑨能安忍、⑩無法愛、のことである。①の観不思議境が根本となり、他の九乗はそれを修するために補助として立てられたものである。
 観不思議境は、止観巻五上に「心は是れ不思議の境なりと観ず」とあるように、現在の一念の心法そのままが、本来、三千の諸法を具えた不思議の妙境であると観ずることである。「不思議」とは〝思議すべからず〟と読み、凡夫には思議できないとの意である。
 日寛上人は立正安国論愚記で「況や天台は三千を以て妙境と名づけ、妙楽は妙境を以てまた正境と名づけんをや。故に正は即ち妙なり、妙とは妙法蓮華経なり」と述べられている。
 所観の十境とは①陰界入境(おんかいにゅうきょう)、②煩悩境、③病患境(びょうげんきょう)、④業相境(ごうそうきょう)、⑤魔事境、⑥禅定境、⑦諸見境、⑧増上慢境、⑨二乗境、➉菩薩境、のことである。この十境のうち②煩悩境以下は、日常の身心の状態を煩悩、病患などに分類したものといえる。
 そして十境の一つ一つについて、十乗の観法を適用することになるので、「百法成乗(じょうじょう)」ともいうのである。
 しかし、天台大師は、これに、機根の上・中・下に応じて、さまざまな段階を設けている。

 行者の機根によって異なる観法

 まず行者の機根の高低を問わず、初めに所観の対境として①陰界入境を選び、これに対し、十乗の観法を一つ一つ行っていくのである。
 陰界入境とは五陰・十八界(六識・六根・六境)・十二入(六根と六境を合わせたもの)の略で、行者自身の色心とその知覚・認識活動の総体をさしているが、行者自身の日常において現前している最も身近な生命の働きを観法の対境とする、ということである。
 そのなかでも、とくに五陰という色心を選び、更に五陰のなかでも識陰を観法の対境として、十乗観法を次々と修していくのである。
 一心三観を修して、陰界入境中の日常起滅している現前刹那の一念(心)に、三千・三諦の諸法が具足していることを観ずるのが観不思議境である。
 ここに、十境・十乗の観法と一念三千との関係がある。十重観法の目的は、ひとえに一念三千の不思議境を感得することにある。
 これを行者の上・中・下の機根のうえからみると、十乗の①観不思議境は上・中・下根通じての観法であるが、②起慈悲心から⑦対治助開に至るまでは中根の観法で、⑧知次位から➉無法愛までは下根の観法となる。
 すなわち、上根の行者は①観不思議境で得道できるが、中根の行者は①観不思議境から⑦対治助開までの観法によって得道でき、下根の行者は①観不思議境から⑩無法愛まで、全部修することによって得道できるとされる。
 また、十乗観法を正行・助行に分ければ、①観不思議境から⑥修道品までが正行となり、⑦対治助開から⑩無法愛までが助行になる。
 正観の行を修しても、なお正観に達しない行者は、その原因が鈍根のゆえであるとして、正行の他に助行として六波羅蜜などを修し、正行まで引き上げてから観行を成就させようとするものである。浅近の具体的な行を助けとして、悟りの妨げとなるものを除くわけである。
 つまり、十乗観法はどんな下根・鈍根の行者でも「薩雲」すなわち一切智に到り初住位に入ることができる仕組みになっているのである。
 これまでの説明は、あくまで十境中の①陰界入境の現前刹那の一念(心)を対境として、いかなる鈍根の行者でも初住位に入ることができるまでの観法の順序次第を述べたものである。
 しかし、①陰界入境に十乗の観法を適用して、観心の行が進んでいくにつれ、さまざまな煩悩、業、病患、魔などが生起してくる。「正修」章の冒頭に「行解すでに勤むれば、三障四魔紛然として競い起こり」とあるのが、そのことである。
 もし煩悩が生起してくれば、直ちに煩悩を対境(②煩悩境)として新たな十乗の観法を適用し、目的である一念三千の不思議境を証得するまで、少しも止観行を怠らないようにしなければならない。
 同様にして、観心中に肉体の疾病が生ずると、その病患そのものを止観の対境(③病患境)として対決する。
 更に宿世の業相が生起すれば、それを対境(④業相境)とする。その止観行が進展してくると、現れてくるのが魔事であるが、今度は、これを対境(⑤魔事境)として十乗観法を適用し、対治していくのである。⑥禅定境以下も同様である。
 なお、②煩悩境以下の九境は必ずしも順序どおりに生起するとはかぎらない。前後が交互して現れうるし、また九つすべてが現れるとはかぎらず、行者の機根や宿習によってさまざまである。
 ただ行者に発得(ほつとく)(智慧等をひき発して体得する意)してきた場合だけ対境として修めるので〝発得の対境〟という。
 これに対し、①陰界入境はすべての行者に現前していて、必ずこれを最初の観境として取り上げるので〝現前の対境〟ともいうのである。
 本文「止の五」で「十重の観法は横竪(おうじゅ)に収束し微妙精巧なり初は則ち境の真偽を簡(えら)び中は則ち正助相添い後は則ち安忍無著(あんにんむじゃく)なり、意(こころ)円(まど)かに法巧みに該括周備(がいかつしゅうび)して初心に規矩(きく)し将(まさ)に行者を送つて彼の薩雲に到らんとす」と述べられる所以(ゆえん)である。
「安忍無著」とは、十境中の⑨能安忍と⑩無法愛のことである。
「能安忍」とは、障りを転じて智慧が開かれてくる時、内外強軟の誘惑を拒否し、能(よ)く安忍節制する観法をいう。
「無法愛」とは離法愛ともいい、低い法に対する執着心を取り払って、悟りの位に入ることである。すなわち、九つの観法を修して十信位を成就し、六根清浄となっているにもかかわらず、依然として初住の位に進むことができない行者があるとすると、それは法に対する愛着が生ずるためである。そこで、この法愛を断ずる観法を修することによって、十住の初住位に入ることができるのである。
「薩雲」は、仏果の智を梵語で薩雲若(さつうんにゃ)(薩般若)ということを略称したもので、これを得る位が初住位である。すなわち、初住位に入れば、無明を破して一分の中道の理を証得する。その仏智の一分を得れば、もはや退くことはないので不退の位とするのである。

 闇証の禅師と誦文の法師

 続いて、この悟りの境地は「闇証(あんしょう)の禅師・誦文の法師の能く知る所に非ざるなり」と、偏った修行にとらわれる行者を破している。
「闇証の禅師」とは、経典の教旨に暗く、自己の心を基準に坐禅思惟し、我見で仏の心を証得したと思い込んでいる者をいい、「誦文の法師」とは、逆に経文をただうろおぼえにして、口に唱えているだけの者をいう。
 具体的には、天台の当時すでに達磨によって禅宗が伝えられており、経典などを読む必要はないとして、もっぱら坐禅修行に励む人々がいた。
 また他方、仏法の悟りの内容に迫ろうとしないで、ただ形の上で経巻を読誦することや、知識として学ぶこと、瑣末(さまつ)な論議にとらわれている人々もいた。前者が「闇証の禅師」であり、後者が「誦文の法師」である。
 天台宗においては「教観双美」と称されるように、教相と観心は車の両輪、鳥の両翼の関係にあるとし、教相、あるいは観心の一方に偏る修行を戒めているのである。
 そして、この十重の観法は如来が何劫も修行を積み重ねて懃求(ごんぐ)したところ(因)であり、またその結果、寂滅道場で妙悟したところ(果)である。また、舎利弗が三たび請い、如来がようやく説かれたところ、法説・譬説・因縁説と三周に説かれたところ、その意(こころ)は正しく十法成観・開仏知見させることにあった、といわれている。
「積劫(しゃくごう)」とは劫を積むの意で、極めて長遠の時間、仏道修行を励むことをいう。
             八宗違目抄

       第九章 止観で初めて一念三千明かす

本文(一五九㌻一〇行~一五九㌻一八行)
 止の五に云く「華厳に云く心は工(たくみ)なる画師(えし)の種種の五陰(ごおん)を造るが如く一切世間の中に心より造らざること莫(な)しと種種の五陰とは前の十法界の五陰の如きなり」又云く「又十種の五陰・一一に各十法を具す謂(いわ)く如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等なり」文、又云く「夫(そ)れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界には即ち三千種の世間を具す此(こ)の三千・一念の心に在り」文、弘の五に云く「故に大師・覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に但自他等の観を以て三仮を推せり並びに未だ一念三千具足を云わず、乃至観心論の中に亦(また)只三十六の問を以て四心を責むれども亦一念三千に渉(わた)らず、唯四念処の中に略して観心の十界を云うのみ、故に止観に正しく観法を明すに至つて並びに三千を以て指南と為せり、乃(すなわ)ち是れ終窮究竟(しゅうぐうくきょう)の極説なり、故に序の中に説己心中所行法門と云う良(まこと)に以(ゆえ)有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無かれ」。 

通解
 摩訶止観の巻五に「華厳経に『心は、ちょうど工(たくみ)なる画師が種々の五陰を造るように、一切世間の法は、すべて心から造られないものはない』とあるが、種々の五陰とは、前述の十界の衆生の身心を造っている五陰(色・受・想・行・識)のことである」とある。
 また、「十種(十界)の五陰は一々に各十法を具えている。その十法とはいわゆる、如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等である」とある。
 また、「それ一心に十法界を具え、その一法界それぞれに十法界を具えているから百法界となり、一界に各十如三世間相乗の三十種の世間を具えているから百法界には即ち三千種の世間を具えていることになる。この三千は一念の心にある」と説かれている。
 止観輔行伝弘決の巻五に「故に天台大師は覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の観心の法門を述べた文には、但自他等の観心を以って、三仮を推し考える方法を明かしてはいるが、ともにまだ一念に三千を具足することを明かしていない。あるいは観心論の中にも、また三十六の問いを以って自生(じしょう)・他生・共生(ぐうしょう)・無生の四心を追求してあるが、まだ一念三千までは明かしていない。ただ四念処の中に、略して観心の十界をいっているだけである。故に止観の巻五に正しく観法を明かす段に至って、それとともに三千を以って観法の指南としたのである。すなわちこの一念三千の法門は、天台大師の一期究極の極説であり、それ故に章安大師は序の中に於いて『この止観の法門は、大師が己心中に行じた法門である』と述べられたのはまことに深い所以(ゆえん)があることである。止観を尋ね読む者は、この他に別伝の法門があるなどと心に思ってはならない」とある。 

語訳
覚意三昧
 ここでは天台大師が覚意三昧について講述したのを章安大師が筆録した書のこと。詳しくは「釈摩訶般若波羅密経覚意三昧」。覚意三昧とは仏意を覚(さと)る三昧のこと。摩訶般若波羅密経にある。天台大師の四種三昧のなかの非行非坐三昧や南岳大師の随自意三昧と同じ。方法・期間を定めないで、六識によって起こす念に対して思考し、正しく認識して悟りを得る三昧のこと。

観心食法
 一巻。天台撰。天台の観心修行の行者が食について「観」を用いることを説明したもの。

誦経法
 一巻。天台撰、「観心誦経法」の略称。現存しないが謙順(一七四〇年~一八一二年)の「諸宗章疏録」に、この書の名がある。内容については妙楽大師の「観心誦経法記」(一巻)から推察すると、観念観法である一心三観を修行すべきことや空仮中の三観が説かれ、正観を修して誦経すれば正覚を成ずる旨などが説かれていたと考えられる。

小止観
 一巻あるいは二巻。天台撰。正しくは「修習止観坐禅法要」といい、「天台小止観」「童蒙止観」ともいう。天台大師が俗兄・陳鍼(ちんしん)のために、止観修習の要諦を示したとされる書。摩訶止観は内容が難解であるため、初心者のために坐禅の方法や用心などを説き、摩訶止観の要綱を示している。

観心論
 一巻。天台撰。「煎乳論(せんにゅうろん)」ともいう。観心を中心とする立場から四種三昧を勧めたもの。正説分では、三十六問を立て全体に教と理との関係、またその分別を明示し、自生心(じしょうしん)を観じ仏法の真意を悟る基礎を説明している。注釈としては、章安大師灌頂の「観心論疏」五巻がある。

四念処(しねんじょ)
 天台大師述、章安撰とされる著。四巻。釈尊が入滅に際して、滅後の行道を示したなかで、行道すべしと説いた四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)について述べたもの。蔵通別円の四教それぞれの四念処観を説き、この修行が天台教学の観法の真髄であることが説かれている。

講義
 一念三千の法門を初めて明かした天台大師の摩訶止観の諸文を示すとともに、妙楽大師の止観輔行伝弘決の釈を引いて、摩訶止観の一念三千法門が天台大師「終窮究竟(しゅうぐうくきょう)の極説」であることを立証されている。
「華厳に云く、心は工(たくみ)なる画師(えし)の種種の五陰(ごおん)を造るが如く、一切世間の中に心より造らざること莫(な)し、と。種種の五陰とは前の十法界の五陰の如きなり」とあるのは、既述したように天台大師が摩訶止観巻五上で、華厳経の文を法華経の立場から会入(えにゅう)して用い、一念三千の法門を明かした個所である。
 あたかも巧みな画師が種々の絵の具を用いて「種種の五陰」すなわち、あらゆる事物を表現するように、一切の法も心が造り出すものである、という意である。
「五陰」とは、生命活動を構成する五要素、すなわち色・受・想・行・識の五陰をいい、「陰」は集積の意である。衆生はこの五陰が集まり、和合して成り立っているとされている。
 天台大師は五陰を分別し、識陰が心王となり、他の四陰が心数(しんじゅ)(心の働き)となると説いている。ここでは華厳経にあたる「種種の五陰」について、十界の衆生の五陰のことであると釈している。
 また摩訶止観巻五上では、十種(十界)の五陰は各界ごとに「十法」すなわち十如是を具すと説いている。
 そして「夫(そ)れ一心に十法界を具す(中略)此の三千・一念の心に在り」と述べ、初めて一念三千の法門を説き明かしたのである。すなわち、一心に十界を具し、その十界のそれぞれに十界が具しているとする十界互具(百法界)、更に百界の一界それぞれに十如是を具し、十如是の一つ一つには三世間(五陰世間・衆生世間・国土世間)を具し三千世間となる。この三千が一念の心に具すというのが一念三千である。

 止観以前は一念三千の名目すら明かさず

 続いて、摩訶止観を注釈した妙楽大師の止観輔行伝弘決巻五の三の文が引かれている。ここでは、天台大師は摩訶止観以前においては、一念三千の名目すら明かしておらず、一念三千こそ天台が己心に行じた極意に他ならないことが述べられている
 天台大師は摩訶止観を明かす前、「覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観」(語訳参照)、あるいは「観心論」「四念処」など、多くの法門を説いたが、これらには一念三千の名目も、観心修行の方法も説き明かさなかった。
「自他等の観」とは、天台大師が一念三千の観法を明かす以前に、自生心(じしょうしん)、他生心、共生心(ぐうしょうしん)、無生心等の観心によって、心性の本体を追及する方法を説いたことをさす。
「三仮」とは因成仮(いんじょうけ)・相続仮(そうぞくけ)・相待仮(そうだいけ)のことである。
「因成仮」は、一切諸法が因縁によって形成されるので仮とする。「相続仮」は、絶えず相続しているように見える諸法が、実は一瞬ごとに生滅改変しているので仮とする。「相待仮」は、大小・長短などの相対的な判断は、その基準が不定であるから仮とする。すなわち、覚意三昧等の観法を明かした法門のなかには「自他等の観」をもって「三仮」の真性(しんしょう)本体を追及する三観・三諦等を明かしていても、いまだ一念に三千を具足することが説かれていない、という意である。
「観心論の中に亦只三十六の問を以て」とあるのは、天台大師が「観心論」のなかで、一念の自生心を観ずることについて、三十六の問いを立てていることをいう。
「四心を責むれども」とは、「観心論」にある自生心・他生心・共生心・無生心について論じているが、ということである。
 しかし「亦一念三千に渉(わた)らず」と、一念三千の法門については触れていない、との意である。
「唯四念処の中に略して観心の十界を云うのみ」とは、天台大師が「四念処」で観法の所以を示し、三観三諦の行を修せしめるため、蔵通別円の四教の念処を説いているが、十界互具・一念三千には触れず、「観心の十界」に論及しただけであったとの意である。「念」は観、「処」は念ずべき対境をいう。
 次の「故に止観に正しく観法を明すに至つて(中略)心に異縁無かれ」の文は、一念三千の不可思議境を明かす段に付された注釈の部分である。すなわち、天台大師は、摩訶止観巻五で正修止観を説く段に至って、正しく観法を明かすとともに、三千の法をもってその観法修行の指南としたのである。
 これは天台大師究竟の極説であり、これ以上の法門はない。だから、弟子の章安大師が摩訶止観の序のなかで「己心の中に行ずる法を説く」と記したのは、まことに理由のあることである。したがって、尋ね読む者は心に異縁があってはならないと、一念三千の法門が天台大師の極説であることを称(たた)えているのである。
「異縁」とは、他のものに心を奪われることで、ここでは唯一無二・純一無雑に信受しなければならないとの意である。
 ちなみに、天台が観法修行の指南として一念三千を明かした、とは、観心を修して究極的に覚るべき真理が一念三千であるということである。この覚りの究極である一念三千を末法において日蓮大聖人は三大秘法の御本尊として顕し、末法の一切衆生に授けられたのである。
 摩訶止観のこの一念三千の依文も、日蓮大聖人の仏法の立場からみれば、事行の一念三千の御本尊の相貌をあらわしているのである。
「夫れ一心に」の「一心」とは、久遠元初自受用身の心法をいう。すなわち、御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経である。
「十法界を具す」とは、南無妙法蓮華経の左右に列座する仏・菩薩・梵天・帝釈等によって、十界互具・百界千如・三千世間があらわされている。
 ゆえに、この御本尊は久遠元初の自受用身、日蓮大聖人心具の十界三千(御生命)の当体なのである。
「此の三千・一念の心に在り」とは、一念三千の本尊が全くよそにあるのではなく、ただ我等衆生の信心のなかにあるということである。
             八宗違目抄

        第八章 華厳経も一念三千明かさず

本文(一五八㌻一〇行~一五九㌻九行)
 問うて云く華厳経に一念三千を明すや、答えて云く「心仏及衆生」等云云、止観の一に云く「此の一念の心は縦ならず横ならず不可思議なり但己のみ爾(しか)るに非ず仏及び衆生も亦復(また)是(か)くの如し、華厳に云く心と仏と及び衆生と是の三差別無しと当(まさ)に知るべし己心に一切の法を具することを」文、弘の一に云く「華厳の下は引いて理の斉(ひとし)きことを証す、故に華厳に初住の心を歎じて云く心の如く仏も亦爾(しか)なり仏の如く衆生も然り心と仏と及び衆生と是の三差別無し諸仏は悉く一切は心に従つて転ずと了知したまえり、若(も)し能(よ)く是くの如く解すれば彼の人真に仏を見たてまつる、身亦是れ心に非ず心も亦是れ身に非ず一切の仏事を作(な)すこと自在にして未曾有なり、若し人・三世一切の仏を知らんと欲求せば応(まさ)に是くの如き観を作すべし心・諸の如来を造(な)すと、若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨・理として実に消し難からん」と。
    ┌― 小乗の四阿含経
┌― 三蔵教 ────― 心生の六界 ─ 心具の六界を明さず。
│   ┌― 大乗
├― 通 教 ────― 心生の六界 ─ 亦(また)心具を明さず。
├― 別 教 ────― 心生の十界 ─ 心具の十界を明さず。
│   └― 思議の十界
│   ┌― 爾前・華厳等の円
└― 円 教 ────― 不思議の十界互具。
    └― 法華の円

通解
 問うていう。華厳経には一念三千が明かされているか。
 答えていうには、華厳経に「心と仏と及び衆生と是の三差別無し」とある。摩訶止観の巻一には「此の一念の心は縦ならず、横ならず、思議すべからざるものである。そして己心がそうであるばかりでなく、仏もおよび衆生も、またそうである。華厳経には『心と仏と衆生との三つは差別がない』と説かれている。これにより我が心に一切の法を具足していることが分かる」とある。
 弘決の巻一には「天台が華厳経の文を引いたのは、(心と仏と衆生の三つが無差別であることを通じ)法理が同じであることを証明するためである。故に華厳経には初住の菩薩の心をほめて、『心の如く仏もまたそのようであり、仏の如く衆生もそのようである。心と仏と及び衆生との三つは差別がなく、諸仏は一切のものが心から生ずることを知りつくしている。もし能くこのように理解すれば、その人は真に仏を見たてまつることができるのである。身は心ではなく、心もまた身ではない。そして、自在に一切の仏事をなすことは、未曾有のことである。もし人が三世一切の仏を知りたいと願うならば、まさに心が諸の如来を造ったのであると観じなければならない』と説かれているが、もしわが天台一家における諸の円文の意趣がなかったら、彼の経(華厳経)の偈の義理を解了することはできない」といわれている。
    ┌― 小乗の四阿含経
┌― 三蔵教 ──六界が心から生ずることは説くが、
│          それが本来心に具わっているとは説かない。
│   ┌― 大乗
├― 通 教 ──六界が心から生ずることは説くけれども、
│          また心に具わっているとは説かない。
├― 別 教 ──心から十界を生ずるとは説くが、
│   │      心に具わっていることは説かない。
│   └― 思議の十界
│   ┌― 爾前・華厳等の円
└― 円 教 ──十界が互いに具わっているという
    │      不思議の境地を説いている。
    └― 法華の円

講義
 本段では「華厳経に一念三千を明すや」との問いを設けられ、華厳宗が華厳経にも一念三千があるとの根拠としている「心仏及衆生」の文を、天台宗で用いている意義について、天台大師の摩訶止観、妙楽大師の止観輔行伝弘決の釈を引いて示されている

 華厳経は〝心生〟、法華経は〝心具〟

 問いに答えるにあたり、まず、華厳経の「心仏及衆生」の文が挙げられている。
「心仏及衆生」は「心仏及び衆生、是の三差別無し」と読み、第五章でも述べたように華厳経巻十夜摩天宮菩薩説偈品第十六(旧訳)で、如来林菩薩が説いた偈文である。
 この華厳経の偈文は、心と仏と衆生との間に差別がないことを明かしている点において、円融の法門の一分を説いているということができる。このゆえに天台大師も「摩訶止観」でこれを用いたのである。
「止観の一に云く」は、己心に一切の法を具すること、すなわち一念三千の法門の証明のために、この華厳経の文を用いうることを示している。次の「弘の一に云く」の文は、天台が止観でこの華厳経の文を用いた所以を述べるとともに「今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨・理として実に消し難からん」といって、法華経の意を根本にしてこそ、この華厳経の文を活かすことができると断じているのである。
 ところが華厳宗の澄観は、天台大師が一念三千の法門を説明するのに、この華厳経の「心仏及衆生」の文を引用していることから、それを利用し、華厳経にも一念三千の法門が明かされていると、こじつけたのである。
 しかしながら、華厳経に説かれているのは「心が一切を造る」とあるように〝心生説〟であり、〝心具説〟ではない。
 天台大師が「心仏及衆生」の文を引用して一念三千の法門を展開したのは、もっぱら法華経の義意においてその文を用いたのであり、いわゆる会入(えにゅう)の立場である。華厳経の文を用いたからといって、華厳経の意図そのものに即して引用したものではない。
「会入」の「会」とは開会のこと、「入」とは入れる、おさめるの意で、会入とは開会しておさめることである。
「開会」とは、爾前権経の文を法華経の実義から開き顕して解釈することで、その解釈を法華経の法理の証明に使うのが「会入」である。
 それゆえに、本文にあるように、天台大師は摩訶止観巻一下で、「此の一念の心は縦(じゅう)ならず、横(おう)ならず、不可思議なり、但己(おのれ)のみ爾(しか)るに非ず、仏及び衆生も、亦復(また)是くの如し。華厳に云く『心仏及び衆生是の三差別無し』と。当に知るべし己心に一切の仏法を具すと云うことを」と述べているのである。
 続いて、止観巻一下の文を釈した妙楽大師の止観輔行伝弘決巻一の五の文を示されている。
「華厳より下は引いて理の斉(ひとし)きことを証す(中略)若し人、三世一切の仏を知らんと欲求せば、応に是くの如き観を作すべし。心、諸の如来を造(な)すと。若し今家の諸の円文の意無くんば、彼の経の偈の旨・理として実に消し難からん」と。
 すなわち、華厳経の〝心造〟の偈文は、法華経に説かれる一念三千の義意によって判じてこそ、初めて活かすことができるのである。
 また、本抄の末尾(一六〇㌻)には、止観輔行伝弘決巻五の三の「心造と云うは即ち是れ心具なり故に造の文を引いて以て心具を証す」の文を引用されている。
 文中の「華厳経の下は……」とは、摩訶止観巻五上に述べられている「華厳に云く」以下の引用部分をさす。
 すなわち、「心仏及衆生是三無差別」の理が法華経と華厳経では相斉(ひと)しいということを証しているのである。
 しかし、天台家の一念三千、すなわち心も一念三千、仏も一念三千、衆生も一念三千の当体であるという義がなかったなら、華厳経の是三無差別は成り立たないのである。
 以上のことから、天台大師が「心仏及衆生」の文を引いて一念三千を展開しているのは、法華経にのみ一念三千があることを前提にした上で会入して用いているのであって、澄観のいうように、それが直ちに一念三千の依文とならないのである。

 爾前の諸経を用いる理由

 日蓮大聖人は、十章抄において「爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばか(借)れども義をばけづ(削)りす(捨)てたるなり」(一二七三㌻)と仰せである。
 つまり、天台大師等が爾前経や外典を引いて法門を展開していても、それは、決して爾前や外典の心においてではなく、法華経の心においてであり、爾前や外典の文を借りても、その爾前経等の義は削り捨てているのであると示されている。
 大聖人が、例えば立正安国論等において、爾前経・外典等の文を多く用いられているのも、全くその意味においてであることはいうまでもない。
 更に、日寛上人は、三重秘伝抄において「問う、昔の経経の中に一念三千を明かさずんば、天台何ぞ華厳心造の文を引いて、一念三千を証するや。答う、彼の経に記小久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若(も)し大師引用の意は、浄覚云く『今の引用は会入(えにゅう)の後に従う』等云云。又古徳云く『華厳は死の法門にして法華は活の法門なり』云云。彼の経の当分は有名無実なる故に死の法門と云う。(中略)若し会入の後は猶蘇生の如し。故に活の法門というなり」(『六巻抄』二六㌻ 聖教新聞社刊)と、明確に述べられている。
 華厳経には二乗作仏(記小)・久遠実成(久成)が明かされていないのであるから、一念三千が説かれていないことは明白であり、たとえ一念三千に通じる文があったとしても、有名無実であり、死の法門である。
 しかし、法華経の実義を説明する文として活用するならば、その死の法門も蘇ってくるゆえに、法華経は活の法門であるとの御教示である。

 爾前経は心具の十界を明かさず

 本文に示されている図は、天台大師所立の蔵・通・別・円の四教の説く法理を挙げ、爾前の諸経には心具の十界、一念三千の義が明かされていないことを示されたものである。
 三蔵教は「小乗の四阿含経」(増一・中・長・雑の四部からなる)のことで、同教では地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界が、心から生ずる(心生の六界)ことは説くが、六道がもともと心に具わっている(心具の六界)とは明かしていない。
 大乗の初門である通教も、また三蔵教と同様、心生の六界は説いても、心具の六界は説いていない。
 また別教では心生の十界を説くけれども、心具の十界は論じていない。
 つまり、心生の十界の場合は、縦に次第し、横に並列する「思議の十界」、すなわち言語・思慮で計ることのできる十界である。
 それに対し、十界が心に具し、それは円融円満で不縦・不横であるのが「心具の十界」であり、十界互具である。
 これは円教にのみ明かすところであり、むしろ、この円融円満の義を明かしているゆえに〝円教〟というのである。
 円教には「法華の円」と「爾前の円」とがあり、「爾前・華厳等の円」も一往は心具の十界を説くが、二乗作仏・闡堤成仏(せんだいじょうぶつ)等を明かしていないので有名無実にすぎない。
 したがって、天台大師は摩訶止観巻五上で、華厳等の「心は一切の法を生ず」と明かす法門について、「猶是れ思議の境、今の止観の所観に非ざるなり」と破している。
「法華の円」では二乗作仏等を説き心具の十界、すなわち十界互具・一念三千を明かしているので「不思議の十界互具」というのである。
             八宗違目抄

       第七章 天台の教法賛嘆した史実示す

本文(一五七㌻一八行~一五八㌻九行)
 大宋の高僧伝巻の第二十七の含光(ごんこう)の伝に云く「代宗(だいそう)光(こう)を重んずること、玄宗代宗の御宇に真言わたる含光は不空三蔵の弟子なり、不空を見るが如し勅委(ちょくい)して五台山に往(ゆ)いて功徳を修せしむ、時に天台の宗学湛然(たんねん)妙楽・天台第六の師なり禅観を解了して深く智者天台なりの膏腴(こうゆ)を得たりと、嘗(か)つて江淮(こうわい)の僧四十余人と清涼の境界に入る、湛然・光と相見て西域伝法の事を問う、光の云く一国の僧空宗を体得する有りと問うて智者の教法に及ぶ梵僧云く曾て聞く此の教邪正を定め偏円を暁(さと)り止観を明して功第一と推す再三・光に嘱(しょく)す或は因縁あつて重ねて至らば為に唐を翻(ひるがえ)して梵と為して附し来れ某(それがし)願くは受持せんと屡屡(しばしば)手を握つて叮嘱(ていしょく)す、詳(つまびら)かにするに其の南印土には多く竜樹の宗見を行ず故に此の流布を願うこと有るなりと、菩提心義の三に云く一行和上は元是れ天台一行三昧の禅師なり能(よ)く天台円満の宗趣を得たり故に凡(およ)そ説く所の文言義理動(やや)もすれば天台に合す、不空三蔵の門人含光(ごんこう)・天竺に帰るの日・天竺の僧問わく伝え聞く彼の国に天台の教有りと理致・須(もち)ゆ可くば翻訳して此の方に将来せんや云云、此の三蔵の旨も亦(また)天台に合す、今或る阿闍梨の云く真言を学せんと欲せば先ず共に天台を学せよと而して門人皆瞋(いか)る」云云。

通解
 大宋の高僧伝、第二十七の巻・含光(ごんこう)の伝に「代宗が含光を重んじたことは(真言宗は玄宗・代宗の時代に中国にわたったものであり、含光は不空三蔵の弟子である)不空を見るがようである。勅命により五台山に行って、講義してその功徳を修せしめた。時に天台宗の宗学者・湛然(妙楽大師・天台宗の第六祖)は、坐禅観法を解了して、智者(天台大師)の意を深く得ていたが、かつて江淮(こうわい)の僧四十余人と共に清涼山(五台山)に入り、含光に会って西域の仏法弘伝のことを問うた。含光のいうには『大乗の空宗を体得した一国の僧がいた。その僧が、智者大師の教法について問うてきた。そのインドの僧がいうのに、かつて自分は天台の教えはよく邪正を定め、偏教と円教とを明らかにし、止観の法を明かして、その功績は第一と聞いているが、どうか因縁あって再び来る時には、その唐本を梵語に翻訳して持ってきてもらいたい、自分はそれを持ちたいと願っているといって、再三そのことを含光にたのみ、幾度も手を握り丁寧に頼んだ』と。今、そのことをくわしくすると、その頃、南インドには竜樹の教えを信ずる者が多かったから、天台の教法の流布を願ったものであろう」とある。 菩提心義の三に「一行和上は、もと天台一行三昧を修行していた禅師である。よく天台の円満の趣意を得ていたから、その説くところの文辞や意義が、ややもすれば天台と合するものがある。不空三蔵の門人含光がインドに帰った時、インドの僧が問うには『聞くところによれば、中国には天台の教えがあって、その法門は用いるべきだということであるが、それを翻訳してこちら(インド)に伝えたらどうか云々』といったようであるが、この三蔵の説く趣意も、天台の教えと合しているのである。近頃ある阿闍梨がいうことには、『真言を学ぼうと欲するならば、まず共に天台を学べといったので、門人たちが皆怒った』云云」とある。

語訳
五台山
 中国・山西省北東部の五台県にある山。五台山脈の主峰で、山名は、山上に五峰がそびえ頂上が平らな台状をなすことに由来する。古来、華厳経にみえる文殊師利菩薩の住地・清涼山にあたると信じられ、仏教の一大霊地とされた。台中には、大華厳寺をはじめ百か寺が建てられたとされ、仏教が盛んであったが、元代の初めからラマ教が入り、清朝には蒙古、チベット両民族を懐柔する必要から、ラマ教を保護し、五台山を一根拠地とした。今は、禅宗を主とする仏教寺院、ラマ教寺院などがある。

湛然(たんねん)
(七一一年~七八二年)。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地名から荊渓尊者ともいわれる。中国・唐代の人。天台宗第六祖または第九祖。姓は戚氏。諱(いみな)は湛然。常州晋陵県(江蘇省)荊渓(けいけい)の人。家は代々儒教をもって立っていた。開元十八年(七三〇年)二十歳の時に左渓玄朗から天台教学を学び、天宝七年(七四八年)三十八歳の時、宿願を達成して宜興浄楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの隆盛の陰に天台宗が衰退していたなかにあって、妙楽大師は天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚し、後世、天台宗中興の祖と称された。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺で布教に努め、仏隴(ぶつろう)道場で没した。著書に「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻、「止観輔行伝弘決」十巻、「止観義例」二巻などがある。
〈追記〉
 中国・天台宗の系譜は『八十八祖道影傳贊』(四巻)に台宗十七祖として、高祖龍樹尊者・二祖北齊尊者(慧文)・三祖南岳尊者(慧思)・四祖天台智者(智顗)・五祖章安尊者(灌頂)・六祖法華尊者(智威)・七祖天宮尊者(慧威)・八祖左溪尊者(玄朗)・九祖荊溪尊者(湛然)・十祖興道尊者(道邃)・十一祖至行尊者(廣修)・十二祖正定尊者(物外)・十三祖玅說尊者(元琇)・十四祖高論尊者(清竦)・十五祖淨光尊者(羲寂)・十六祖寶雲尊者(義通)・十七祖法智尊者(知礼)とある。語訳に湛然を「第六祖または第九祖」とあるのは、開祖天台智者大師(智顗)から第六祖で、高祖の竜樹からは第九祖であることをいう。

智者
(五三八年~五九七年)。中国・南北朝から隋代にかけての人。天台宗開祖(慧文、慧思に次ぐ第三祖でもあり、竜樹を開祖とするときは第四祖)。智者大師と尊称し、また天台山に住んだので天台大師という。姓は陳氏。諱(いみな)は智顗(ちぎ)。字(あざな)は徳安。荊(けい)州華容県(湖南省)の人。父の陳起祖は梁の高官であったが、梁末の戦乱で流浪の身となった。その後、両親を失い、十八歳の時、湘州果願寺の法緒(ほうしょ)について出家し、慧曠(えこう)律師から方等・律蔵を学び、大賢山に入って法華三部経を修学した。陳の天嘉元年(五六〇年)光州の大蘇山に南岳大師慧思(えし)を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日(しゃくにち)、霊山(りょうぜん)に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復(また)来る」(隋天台智者大師別伝)と、その邂逅(かいこう)を喜んだ。南岳は天台に普賢道場を示し、四安楽行を説いた。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏(ごちゅうしょぶつ)、同時讃言(どうじさんごん)、善哉善哉(ぜんざいぜんざい)。善男子(ぜんなんし)。是真精進(ぜしんしょうじん)。是名真法供養如来(ぜみょうしんほうくようにょらい)」(『妙法蓮華経並開結』五八五㌻ 創価学会刊)の句に至って身心豁然(しんじんかつねん)、寂として定に入り、法華三昧を感得したといわれる。これを大蘇開悟(だいそかいご)といい、後に薬王菩薩の後身と称される所以となった。南岳から付属を受け「最後断種の人となるなかれ」との忠告を得て大蘇山を下り、三十二歳(あるいは三十一歳)の時、陳都金陵の瓦官寺に住んで法華経を講説した。宣帝の勅を受け、役人や大衆の前で八年間、法華経、大智度論、次第禅門を講じ名声を得たが、開悟する者が年々減少するのを嘆いて天台山に隠遁を決意した。太建七年(五七五年)天台山(浙江省)に入り、翌年仏隴峰(ぶつろうほう)に修禅寺を創建し、華頂峰で頭陀を行じた。至徳三年(五八五年)陳主の再三の要請で金陵の光宅寺に入り仁王経等を講じ、禎明元年(五八七年)法華文句を講説した。開皇十一年(五九一年)隋の晋王であった楊広(のちの煬帝)に菩薩戒を授け、智者大師の号を受けた。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じたが、間もなく晋王広の請いで揚州に下り、ついで天台山に再入し六十歳で没した。彼の講説は弟子の章安灌頂(かんじょう)によって筆記され、法華三大部などにまとめられた。

膏腴(こうゆ)
 膏はあぶら、腴は肥えた肉のこと。転じて富裕または深秘・深意の義。

江淮(こうわい)
 中国・華中地域。揚子江と淮水(わいすい)の流域をいう。淮水は揚子江と黄河との中間を東流し、安徽省の北部を通じて海に入る。今の江蘇省・安徽省・河南省のあたり。
〈追記〉
 江淮の人を挙げるに、鑑真(六八七年~七六三年)に如(し)くはない。揚州(江蘇省)に生まれ、菩薩戒と具足戒を極め、大明寺にあって律を講じ、「江淮の化主」と仰がれた。

空宗
 空の理を教旨とする宗派のこと。小乗では成実宗、大乗では三論宗がこれにあたる。

叮嘱(ていしょく)
 丁寧に頼むこと。叮は懇ろ、嘱は頼むの意。

講義
 前段で、もともと真言の教えのなかに法華経と同じものがあるとする真言宗の言い分を掲げられたのに対し、ここでは、一行禅師が天台の法門を真言密教に取り入れたこと、含光(ごんこう)とその師・不空三蔵は天台法華宗が勝れることを知っていたことを、大宋高僧伝中の含光伝を引用して示されている。
 大宋高僧伝は賛寧(さんねい)等の撰述で、三十巻からなる。主として唐代の高僧の正伝五百三十三人、付伝百三十人が収められている。含光伝は同書巻二十七にある。
 割注にあるように、真言密教は、唐代の玄宗(げんそう)・代宗(だいそう)の時代に、善無畏によって中国に初めて伝えられ、広まった。含光は三三蔵の一人・不空の弟子である。

 大宋高僧伝にある真言僧・含光の話

 含光(ごんこう)は開元年間(七一三年~七四一年)に不空の弟子となり、師に従い西域地方を回って帰国後、不空の訳経を助けた。
 不空の滅後は代宗の厚い信任を受け、勅によって五台山(清涼山)へ行き、修行中、天台宗第六祖の妙楽大師湛然(たんねん)と会見した。
 その折に、妙楽大師の問いに応じて、含光が語った西域における仏法弘伝の様子が高僧伝に記されている。
 概略は次のとおりである。
「含光は代宗から師の不空三蔵同様に重用され、勅によって五台山へ行き、修行した。
 時に妙楽大師は止観を解了し、深く天台智者の意を得ていたが、江准(こうわい)の僧四十余人とともに五台山に入り、たまたま含光と会った。その折、西域での仏法弘伝の状態を尋ねた。
 含光は『大乗の空を体解したある国の僧がいて、智者大師の教法について聞いてきた。そのインドの僧は〝自分はかつて、天台の教法はよく邪正・偏円を明確にし、止観を説いて、その功績第一なりと聞いている。因縁あってあなたが再びインドへ来るときには、天台の教法を梵語に翻訳して持ってきてもらいたい〟と、しばし手を握って大変丁重に頼まれた』と答えた。
 今そのわけをつまびらかにすると、南インドには竜樹の教えを奉ずる者が多くいたので、竜樹思想の正系を伝えたともいうべき天台の教法を弘めたいと願ったものである」。

 含光と会見した妙楽大師の記述

 同趣旨の記述は妙楽大師の法華文句記巻十下にもみられる。大宋高僧伝と重複するが、会見内容の立証にもなるので、紹介しておきたい。
 文句記には「適(たまたま)江准の四十余僧と往きて台山に礼す。因りて不空三蔵の門人、含光の勅を奉じ、山に在りて修造するを見る。云く『不空三蔵と親しく天竺に遊びたるに、彼に僧有り問うて曰く〝大唐に天台の教迹有り、最も邪正を簡(えら)び、偏円を暁(あきら)むるに堪えたり。能く之を訳して将(まさ)に此土に至らしむ可けんや〟と』」とある。
 つまり、不空と含光がインドを訪問した折、ある僧が、中国には仏法の正邪と偏円を正しく判別した天台大師の論釈があるから、それを翻訳してインドに伝えてほしいと頼んだのである。
 これは、天台大師の名声が遠くインドにまで伝わっていたことを意味するとともに、もはやインドには中国へ伝えるべきものがなかったことを示しているといえる。
 ゆえに、これを受けて妙楽大師は文句記に「豈(あに)中国に法を失いて之を四維に求むるに非ずや、而も此の方(かた)、識ること有る者少なし。魯人(ろじん)の如きのみ」と述べている。
 ここにある「中国」とは、仏教発祥の中心地・インドのことである。つまり、唐の時代におけるインドでは、釈尊の法が廃(すた)れ、そのために逆に中国から求めようとしていたのである。
 しかし、当時の唐代の人は、そのことがよく分かっていなかったのである。それは魯国の人々が自国の孔子の偉大さを知らなかったのと同じであることを物語っている。
 含光が語ったこの話は、含光およびその師の不空三蔵が天台大師の法門の勝れていることをわきまえていたことを意味している。
 それゆえ日本の伝教大師最澄は依憑(えひょう)天台集において「天竺の名僧、大唐の天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞き渇仰して法門の縁」として、この文句記の文を引いている。
 次にこの含光の話に関連し、菩提心義巻三の文を示されている。
 ここに引用されている菩提心義は、中国・唐代の潜真撰のものでなく、同書にある菩提心義の五門分別を五百十五の問答によって解釈した日本天台宗・安然述の胎蔵金剛菩提心義略問答抄をさす。菩提心義はその略称である。
 安然は平安時代初期の天台宗の学僧で、慈覚に続いて天台宗の密教化を推進した人物である。
 彼は同書で、一行阿闍梨は天台宗の一行三昧(四種三昧の一つ・常坐三昧のこと)を修し、天台の法門に通じていたので、その文言義理が、ややもすれば天台の法門と合致しているのであると、一行が天台の法門を盗み入れたことを認め、先の含光の話を引用し、不空三蔵の説くところも天台の教法と合致しているとしている。
 更に、同時代の「或る阿闍梨」が「真言を学ぼうと思うなら、まず天台の教法を学べ」と言ったところ、真言僧達がみな瞋(いか)った、という逸話を紹介している。「或る阿闍梨」がだれをさすかは詳(つまび)らかではない。
 このように、天台の教法を抜きにして真言の教義が成り立たないことは明らかである。
 安然は、一方では弘法(空海)の立てた十住心論の五失を挙げて破すなど、天台大師・伝教大師の正意にかなった論述も見られるが、大日経を法華経に勝っているとしている点は、先輩の叡山第三代座主・慈覚や、のちの第五代座主・智証と変わっていない。
             八宗違目抄

        第六章 真言宗が主張する一念三千

本文(一五七㌻八行~一五七㌻一七行)
 問うて云く真言宗は一念三千を用いるや、答えて云く大日経の義釈善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)・一行(いちぎょう)に云く此の文に五本有り十巻の本は伝教弘法之を見ず智証之を渡す。
「此の経は是れ法王の秘宝なり妄(みだ)りに卑賤の人に示さざれ釈迦出世して四十余年に舎利弗の慇懃(おんごん)なる三請に因りて方(まさ)に為に略して妙法蓮華の義を説きたまいしが如し、今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深の秘処なるが故に、寿量品に云く常在霊鷲山・及余諸住処(ぎゅうよしょじゅうしょ)・乃至・我浄土不毀(がじょうどふき)・而衆見焼尽(にしゅけんしょうじん)と即ち此の宗の瑜伽(ゆが)の意ならくのみ又補処(ふしょ)の菩薩の慇懃の三請に因つて方(まさ)に為に之を説けり」と。
 又云く「又此の経の宗は横に一切の仏教を統(す)ぶ唯蘊無我(ゆいうんむが)にして世間の心を出で蘊(うん)の中に住すと説くが如きは即ち諸部の小乗三蔵を摂す、蘊の阿頼耶(あらや)を観じて自心の本不生を覚ると説くが如きは即ち諸経の八識・三性・無性の義を摂す、極無自性心と十縁生の句を説くが如きは即ち華厳・般若の種種の不思議の境界を摂して皆其の中に入る、如実知自心を一切種智と名づくと説くが如きは則ち仏性涅槃経なり一乗法華経なり如来秘蔵大日経なり皆其の中に入る種種の聖言に於て其の精要を統(す)べざること無し、毘盧遮那経(びるしゃなきょう)の疏(しょ)伝教弘法之を見る第七の下に云く天台の誦経は是れ円頓(えんどん)の数息(すそく)なりと謂う是れ此の意なり」と。

通解
 問うていう。真言宗は一念三千の法門を用いているのか。
 答えて言うには、大日経の義釈(善無畏が釈して金剛智・不空が聴聞し、唐の一行(いちぎょう)がこれを記した)にこう述べている(この文は五本あるが、その中で十巻本の方は伝教も弘法も見なかったが、智証が日本へ渡したものである)。
「この大日経は、これ法王・大日如来の秘宝であって、妄(みだ)りに卑賎の人には示してはならない。それは、ちょうど釈尊が出世して四十余年を経て、舎利弗が懇(ねんご)ろに、三たび請うたことによって、舎利弗のために略して妙法蓮華の義を説かれたようなものである。今この大日如来の本地の身は、これ妙法蓮華の最も深い秘密の処であるからである。寿量品の『仏は常に霊鷲山及び余の諸の住処に在り』『我が浄土は毀(こわ)れざるに而も衆は焼け尽きて』とあるのは、この真言宗の瑜伽(ゆが)の意である。また、釈尊は一生補処(いっしょうふしょ)の弥勒菩薩が懇ろに三たび請うたから、はじめて仏の久遠実成を説いたのである」とある。
 また、「またこの真言経の宗は、横に一切の仏教を統括している。諸法は唯五蘊(ごうん)の因縁和合したもので無我であって世間の心を出で、蘊の中に住すると説いているのは、すなわち諸部の小乗の経・律・論の三蔵を統(す)べたものである。蘊の阿頼耶を観じて、自心は本来不生であると覚ると説いているのは、すなわち諸経の八識・三性・無性等の義を統べたものである。また、一切諸法に自性はなく、縁に従って生起すると説いているのは、すなわち華厳・般若等の種々の不思議の境界を皆その中に入れたものである。実の如く自心を知ることを仏の一切種智と名づけると説いているのは涅槃経の仏性、法華経の一乗、大日経の如来秘蔵等を皆その中に統べたものである。このように種々の聖言の精要をことごとく統べているのである」とある。
 また、伝教大師、天台大師も見て知っている毘盧遮那経の疏の第七の下巻に「天台宗における誦経は円頓における数息(すそく)観である」とあるが、これもその意味である。

語訳
善無畏(ぜんむい)
(六三七年~七三五年)。中国・唐代の真言密教の僧。梵名シュバカラシンハ(Śubhakarasiṃha)、音写して輸波迦羅(ゆばから)。善無畏はその意訳。中国・唐代の真言宗の開祖。宋高僧伝によれば、東インド烏荼(うだ)国の王子として生まれ、十三歳で王位についたが兄の妬(ねた)みをかい、位を譲って出家した。マガダ国の那爛陀(ならんだ)寺で、達摩掬多(だつまきくた)に従い密教を学ぶ。唐の開元四年(七一六年)中国に渡り、玄宗皇帝に国師として迎えられた。「大日経」「蘇婆呼童子経(そばこどうじきょう)」「蘇悉地羯羅経(そしつじからきょう)」などを翻訳、また「大日経疏(しょ)」二十巻を編纂、中国に初めて密教を伝えた。とくに大日経疏で天台大師の一念三千の義を盗み入れ、理同事勝の邪義を立てた。金剛智、不空とともに三三蔵と呼ばれた。

金剛智(こんごうち)
(六七一年~七四一年)。中国・唐代の真言密教の僧。梵名バジラボディ(Vajrabodhi)、音写して跋日羅菩提(ばさらぼだい)。金剛智はその意訳。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。十歳の時那爛陀(ならんだ)寺に出家し、寂静智に師事した。三十一歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき七年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元八年(七二〇年)洛陽に入り、玄宗皇帝に迎えられ慈恩寺に住した。「金剛頂瑜伽中略出念誦経(こんごうちょうゆがちゅうりゃくしゅつねんじゅきょう)」四巻など多くの密教の諸経論を訳出。弟子に不空等がいる。

不空(ふくう)
(七〇五年~七七四年)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、音写して阿目佉跋折羅(あもきゃばしゃら)、意訳して不空金剛。不空はその略。中国唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。十五歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家。開元二十九年(七四一年)、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、六年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。「金剛頂経」三巻など多くの密教経典類を翻訳し、羅什、玄奘、真諦(しんだい)と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられている。

一行(いちぎょう)
(六八三年~七二七年)。中国・唐代の真言宗の僧。大慧禅師ともいう。姓は張氏、名は遂。嵩山(すうざん)の普寂(ふじゃく)について禅を学び、さらに諸方で律蔵ならびに諸経論を研鑚し、また天台の教義を学び、その教義にも通じていたといわれる。善無畏および金剛智に従って真言の教えを受け、両三蔵の翻訳を助け、善無畏の大日経の講説を筆記して「大日経疏」二十巻を著し、このなかに一念三千・性悪の法門を取り入れている。

弘法
(七七四年~八三五年)。平安時代初期の日本真言宗の開祖。諱(いみな)は空海。弘法は諡号(しごう)。姓は佐伯氏、幼名は真魚(まお)。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦十二年(七九三年)勤操(ごんそう)の下で得度。延暦二十三年(八〇四年)留学生(るがくしょう)として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果(けいか)に密教の灌頂を禀(う)け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の号を受けた。大同元年(八〇六年)に帰朝。弘仁七年(八一六年)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁十四年(八二三年)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰(さんごうしいき)」三巻、「弁顕密二教論」二巻、「十住心論」十巻、「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」三巻等がある。

伝教
(七六七年~八二二年)。平安時代初期の人で、日本天台宗の開祖。諱(いみな)は最澄。伝教は諡号。叡山大師・根本大師・山家(さんげ)大師ともいう。俗姓は三津首(みつのおびと)。幼名は広野。近江国(滋賀県)滋賀郡の生まれ。後漢の孝献帝の末裔(まつえい)といわれる。十二歳で近江国分寺の行表について出家。延暦四年(七八五年)東大寺で具足戒を受け、その後、比叡山に登り、諸経論を究めた。延暦二十一年(八〇二年)和気弘世(ひろよ)・真綱(まつな)の招請を受けて下山し、京都高雄山寺(のちの神護寺)で天台三大部を講じた。延暦二十三年(八〇四年)に入唐して道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)(以上天台学)・翛然(しゅくねん)(禅)・順暁(じゅんぎょう)(密教)等について学び、翌年帰国して延暦二十五年(八〇六年)日本天台宗を開いた。その後、嵯峨天皇の護持僧となり、大乗戒壇実現に努力した。没後、勅許を得て大乗戒壇が建立された。貞観八年(八六六年)伝教大師の諡号(しごう)が贈られた。おもな著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」九巻等がある。

智証
(八一四年~八九一年)。比叡山延暦寺第五代座主。台密三派の一つである智証大師流(寺門派)の祖。諱(いみな)は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。十五歳で比叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿三年(八五三年)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観十年(八六八年)延暦寺座主となる。著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻などがある。

我浄土不毀(がじょうどふき)・而衆見焼尽(にしゅけんしょうじん)
 法華経如来寿量品第十六に「我が浄土は毀(やぶ)れざれども 衆は焼け尽きて 憂怖(うふ)諸の苦悩 是(かく)の如き悉(ことごと)く充満せるを見る」(『妙法蓮華経並開結』四九一㌻ 創価学会刊)とある。釈尊の住む浄土は、こわれもしないのに、それを信じない衆生等は、煩悩の火に焼き尽くされているという意。

補処(ふしょ)の菩薩
 弥勒菩薩のこと。補処は一生補処ともいい、一生の間だけ迷いの世界にあり、この一生を過ぎると仏位に登り仏処を補うとされる。この位を等覚という。弥勒菩薩は釈尊より後に仏となって、釈尊の跡を継ぐゆえにこういう。

十縁生
 縁によって生じた十種のものをいい、大日経巻一住心品第一に説かれる。十縁生句・十喩ともいう。①幻(手品師や薬物が見せるもの)・②陽焔(かげろう)・③夢・④影・⑤乾闥婆城(けんだつばじょう)(蜃気楼)・⑥響(やまびこ)・⑦水月(水に映った月影)・⑧浮泡(水面に浮かぶ水泡)・⑨虚空華(目が眩んだときに見える星や空に浮かぶ虹)・⑩旋火輪(火を空中で振り回すと見える輪)の十種をいう。これらの事物・事象は因縁によって生じ、それ自体の不変の本性をもたない(無自性)ことをたとえている。これらのたとえによって無自性を観ずることを十縁生句観(十喩観)と称し、大日経疏巻三にはこの観に三種あると説かれている。

講義
 華厳宗に続き、真言宗は一念三千の義を用いているかとの問いを設けられている。「答えて云く」からは真言宗の主張である。
 答者は、まず真言宗の依経である大日経には一念三千を説いた法華経の内容が含まれているとする「大日経の義釈」等の文を挙げている。
 大日経は真言宗所依の経の一つであるが、中国真言宗の開祖・善無畏は、開元年間、もと天台僧だった一行(いちぎょう)阿闍梨の請いに応じて大日経を講説した。
 それを一行が筆録したのが大日経疏(二十巻)である。正しくは大毘盧遮那成仏神変加持経疏という。
 大日経七巻三十六品のうち、前の六巻三十一品について注釈したものであるが、単なる注釈書にとどまらず、大日経を中心とした密教思想を組織立てたものとなっている。
 一行の没後、弟子の智儼(ちごん)・温古等がこの大日経疏に添削、修正を加えたのが大日経義釈である。
 割注に「善無畏・金剛智・不空・一行」とあるのは、この大日経義釈が、善無畏の口述、金剛智、不空の聴聞、一行の筆録によるものであるということである。善無畏・金剛智・不空の三人は、三三蔵と呼ばれた。
 なお、日本の台密(天台宗系)では慈覚・智証の伝えた大日経義釈を用い、東密(真言宗系)では弘法の伝えた大日経疏をもっぱら依用する。
 また割注に「此の文に五本有り十巻の本は伝教弘法之を見ず智証之を渡す」とあるのは、日本に渡った「大日経の義釈」には五本あるという意で、天台宗の学僧・安然(あんねん)の諸阿闍梨真言密教部類総録にある、西大寺徳清(とくしょう)の七巻本(※)、叡山本師治定の七巻本、慈覚将来の十四巻本、遍明(へんみょう)和尚送来の十四巻本(※)、智証将来の十巻本をさしていわれたと思われる。このなかの十巻本は、伝教大師も弘法も見ず、後の天台宗第五代座主・智証が日本へ渡したものとされている。
(※追記 「西大寺徳清の七巻本」とは、奈良西大寺の得清(徳清)が唐の大暦七年(七七二年)入唐し、持ち帰ったもの。「遍明和尚送来の十四巻本」とは、平城(へいぜい)天皇の第三皇子・高岳親王が出家し真如と名乗り(遍明和尚)、入唐して日本に送った(送来)もの。遍明は日本に帰らず、天竺を目指しその後の消息を絶った)
 このように「大日経の義釈」は、善無畏が講説したのを、一行が筆受したものであり、すでに天台大師が立てた一念三千の法門を盗み入れ大日経にこじつけている。
 したがって、中国真言宗では大日経にも一念三千の理が説かれているとして、法華経と大日経は同等であるとし、しかも大日経には因と真言があるので、大日経のほうが勝れているとする、いわゆる「理同事勝」の邪義を立てたのである。この考え方を受け継いだのが日本では慈覚、智証の台密である。
 日蓮大聖人は、真言見聞で「天台大師が法華経の文を解(さと)りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取つて我が宗の骨目とせり(中略)されば理を云う時は盗人なり」(一四六㌻)、また「天台円宗見聞の後・邪智荘厳の為に盗み取れる法門なり」(一五〇㌻)と喝破されている。
 同じ真言宗でも弘法の流れを汲む東密では法の勝劣自体についても、大日経が最勝であり法華経は三重の劣であるとしている。
 本文に示されている大日経義釈巻五の「此の経は是れ法王の秘宝なり云云」の文意は次のとおりである。
「大日経は大日如来の秘宝であって、みだりに卑賎の者には説き示してはならない。ちょうど釈尊が出世して四十余年の説法の後に、舎利弗の三度にわたる懇請によって、初めて、略して妙法蓮華の義を説いたのと同じである。
 いま大日如来の本地の身もまた、この妙法蓮華の最深秘の処と同じである。ゆえに法華経如来寿量品に『(仏は)常に霊鷲山、及び諸の住処に在り(中略)我が浄土は毀(やぶ)れざるに、而も衆は焼け尽きて、憂怖(うふ)諸の苦悩、是の如き悉く充満せると見る』とあるのは、すなわち真言宗の悟りである『瑜伽(ゆが)』をさしている。
 また、このように法華の最深秘の処が大日如来の本地身であるから、釈尊は、仏の跡を継ぐべき『補処(ふしょ)』の弥勒菩薩の三請を待って、初めて久遠の本寿を説いたのである」
 文中の「此の本地の身」とは、真言宗では大日如来の本地身であるとし、加持身(かじしん)に対して自性身(じしょうしん)として用い、それがまた妙法蓮華経でもあるとしている。
「瑜伽」とは、仏の身口意に行者の身口意が合致することをいう。
 大聖人は、この大日経義釈の文について、善無畏抄で「此の釈の心は大日経に本迹二門・開三顕一・開近顕遠の法門有り、法華経の本迹二門の如し、此の法門は法華経に同じけれども此の大日経に印と真言と相加わりて三密相応せり、法華経は但(ただ)意密許(ばか)りにて身口の二密闕(か)けたれば法華経をば略説と云い大日経をば広説と申す可きなりと書かれたり、此の法門第一の悞(あやまり)・謗法の根本なり、此の文に二つの悞(あやま)り有り」(一二三三㌻)と述べられている。
 ここで大聖人が「二つの悞り有り」と仰せられているのは、大日経を法華経と同等であるとすることによって、法華経方便品の「唯(た)だ一乗の法のみ有り」(『妙法蓮華経並開結』一二九㌻ 創価学会刊)と宣言した仏の金言に背いていることと、大日如来を法華経本門の久遠の仏と同等の存在として、法華経が最極究竟の法門であることを否定していることである。まさしくここに「謗法の根本」があるといわなければならない。

 真言の教判「義釈の四句」

 次の「又云く」として引かれているのは、同じく大日経義釈巻三の文である。
 ここでは、大日経は横に一切経を統括する最高の経であるとする、いわゆる「義釈の四句」が示されている。
「四句」とは、唯蘊(ゆいうん)無我心・覚心不生心・極無自性心・如実知自心のことで、真言宗はこの四句は一代聖教を摂(おさ)めたものであるとしている。
 すなわち「唯蘊無我心」とは、「五蘊仮和合(ごうんけわごう)」を知り、無我を体得した境地で、出世間心の初門である二乗の法としている。このなかに俱舎・成実・律宗等が依経とする小乗阿含部の諸経が入るとする。
「覚心不生心」とは、心の主体に自在の境地を得て、自心が本来、不生不滅、つまり空であると悟ることであるとしている。ここに阿頼耶識(あらやしき)を説いて心性の三世常恒・不生不滅を説く法相宗等が依経とする方等部の諸経が含まれるとしている。
「極無自性心」とは、法界の事々物々には全く自性は無いと極めることで虚空に等しいと覚ることであるとする。このなかに華厳宗・三論宗等の依経である華厳・般若部の諸経が摂せられているとしている。
「如実知自心」とは、あるがままに自己を知り得る心のことで、すなわち、これは諸法の実相を了達した仏の智慧である一切種智と同じであり、涅槃経の「悉有仏性」、法華経の「一仏乗」、大日経の「如来秘蔵」の義も、この如実知自心の一句に入るとする。このように、大日経は一代諸経の精要をことごとく包摂しているとしているのである。
 この教判は、法華経をはじめ、一切経の法門を盗み、自宗に都合のよいように大日経にこじつけたもので、経文上の裏付けも何もないものである。
 ゆえに、日蓮大聖人は、大乗小乗分別抄で「義釈の四句」等は天台大師の法門を知ったうえで、巧みに邪義を立てたものであり、天台大師の法門を知らなかった南三北七の十師の素朴さに比べて、はるかに邪智に富んでいることから、「南三北七の十師の義よりも尚悞(あやま)れる教相なり」(五二三㌻)と論破されている。
 また「毘盧遮那経の疏」とは大日経疏のことである。同書巻七下(現本は巻二十)に「是の故に今耳をして聞かしめ、息出づる時、字出で、入る時、字は、息に随って出入りせしむるなり。今謂(いわ)く、天台の誦経は、是れ円頓家の数息(すそく)なり。是れ此の意なり」とある。
 すなわち「天台家での誦経は円頓の数息観である」といっているのも、この意である。
 数息観とは呼吸の出入りを数えて心の乱れを整える修行法をいう。つまり、天台家で行う誦経は、円頓の数息観というべきものであるとの意。
 この大日経疏の文について、日寛上人は報恩抄文段で「一行阿闍梨、大日経の疏に天台円家の数息観を引いて彼の経(大日経)の三落叉の文を釈す。また天台の三徳の義を挙げて菩提心・慈悲慧等の義を成(じょう)ず。また天台の三諦の義を引いて阿字本不生(あじほんぶしょう)の義に同ず。然れば則ち、その法門の建立しかしながら天台の正義を盗み取り、大日経に入れて理同の義を成ずること歴然たり。故に天台の正義を盗み取る等というなり」と述べられている。
 

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