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             如説修行抄

         第四章 如説修行の相を明かす

本文(五〇二㌻一〇行~五〇三㌻五行)
 問うて云く如説修行の行者と申さんは何様(いかよう)に信ずるを申し候べきや、答えて云く当世・日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会(かいえ)しぬれば何(いず)れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云。
 予が云く然(しか)らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可(べか)らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食(おぼしめし)しかども衆生の機根未熟なりしかば先(ま)ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじ(榜示)を指て方便真実を分け給へり、所謂(いわゆる)以方便力・四十余年・未顕真実是なり、大荘厳等の八万の大士・施権(せごん)・開権(かいごん)・廃権(はいごん)等のいはれを心得分け給いて領解(りょうげ)して言く法華経已前の歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)等の諸経は終不得成(しゅうふとくじょう)・無上菩提(むじょうぼだい)と申しきり給ひぬ。
 然(しか)して後正宗(しょうしゅう)の法華に至つて世尊法久後(せそんほうくご)・要当説真実(ようとうせつしんじつ)と説き給いしを始めとして無二亦無三(むにやくむさん)・除仏方便説(じょぶつほうべんせつ)・正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)・乃至不受余経一偈(ないしふじゅよきょういちげ)と禁(いまし)め給へり、是より已後は唯有一仏乗(ゆいういちぶつじょう)の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益(とくやく)も・あるまじきに末法の今の学者・何(いず)れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎(くしゃ)・成実(じょうじつ)・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信(にゃくにんふしん)・毀謗此経(きぼうしきょう)・即断一切世間仏種(そくだんいっさいせけんぶっしゅ)・乃至其人命終(ないしごにんみょうじゅう)・入阿鼻獄(にゅうあびごく)と定め給へり、此等のをきて(約)の明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)と信ずるを如説修行の人とは仏は定めさせ給へり。

通解
 問うていわく、如説修行の行者というのは、どのように信ずる人をいうのであろうか。
 答えていわく、今の世の日本国の人々がみんな如説修行の人といっているのは、爾前に説かれた権教も、皆、究極では一仏乗を説いていると開会してしまえば、どの法でもすべて法華経であって、もはや勝劣・浅深はない。したがって念仏を称えるのも、真言を持つことも、禅を修行するのも、総じては一切の諸経ならびに仏菩薩の名号を持(たも)って唱えることも、すべて法華経を持つことになるのだと信ずるのが如説修行の人であるといっている。
 予がいわく、それはまったく違っている。詮ずるところ、仏法を修行するについては、人の言を用うべきではない。ただ仰いで仏の金言だけを守るべきである。われわれが根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道のはじめから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権(かり)の教えである方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのである。だからこの法華経の序文である無量義経で、権教と実教の境界を指し示し、法華経以前を方便、以後を真実と立て分けられたのである。いわゆる無量義経の「方便力をもって四十余年未だ真実を顕わさず」というのがこれである。
 これで無量義経にあるように、大荘厳等の八万の菩薩たちが、釈尊が法華経を説く準備として権教を説き(為実施権(いじつせごん))、権教を開いて実経を顕わし(開権顕実(かいごんけんじつ))、そして権教を廃し実経を立てた(廃権立実(はいごんりゅうじつ))ことの由来を知って領解(りょうげ)の言葉を述べ、「法華経以前の歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)の諸経では、終(つい)に無上菩提を成ずることができなかった」と断言されたのである。
 しかして後に正宗分である法華経方便品に至って「世尊は法久しくして後、要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたまうべし」と説いたのをはじめ、「二無く亦(また)三無し、仏の方便の説をば除く」「正直に方便を捨て」、譬喩品に「乃至余経の一偈をも受けざれ」と戒められたのである。このように仏が定められた後は、唯有一仏乗の妙法だけが一切衆生を仏にする大法であって、法華経以外の諸経は、少しの功徳もあるはずがないのに、末法の今の学者は、どの経でも仏の説経なのだからすべて成仏できるのだと思って、あるいは真言・あるいは念仏・あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を勝手に信仰している。このような人をば、譬喩品で「若(も)し人は信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば、則(すなわ)ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人は命終(みょうじゅう)して、阿鼻獄に入(い)らん」と決定しておられるのである。このように約束された経文の明鏡を根本として、仏説とすこしもたがうことなく、一乗の法以外に成仏する道はないと確信して進むのが、如説修行の行者であると、仏は決定しておられるのである。

語訳
権実のはうじ(榜示)
「はうじ」とは、立て札を建てて境界などを人に示すこと。無量義経説法品では「四十余年未顕真実」の一言で権教と実教とを、明らかに区別している。

施権(せごん)・開権(かいごん)・廃権(はいごん)
 法華経の開会を論ずるについて、釈尊の説法の段階を三重に説く。
 施権――為実施権(いじつせごん)(実の為に権を施す)のことである。釈尊が権教を説いたのは、法華経を説くための方便であり、衆生を誘引するためであったということ。日寛上人の筆記には「此の権とは同体の権を以て衆生に施したもうなり、衆生之れを受けて各自謂実(各自ら実と謂う)の執をなす故に異体の権というなり、仏意同体・機情異体なり」とある。
 開権――開権顕実(かいごんけんじつ)(権を開いて実を顕わす)のことである。爾前の方便を開いて、真実の法華経を説き示すこと。日寛上人の筆記には「此の権とは異体の権なり之れを開かしめ妙体と成ぜしめる故に所開の権は異体の権なり、所顕の権は同体の権なり」とある。
 廃権――廃権立実(はいごんりゅうじつ)(権を廃して実を立てる)のこと。開権顕実の後に、権教を打ち破って、実教を立てていくこと。また、施とは開の準備をいい、廃とは開の結果をいい、開会することを開というのである。日寛上人の筆記には「権として論ずべき無し、義・廃に当る故に異体の権を廃するなり」とある。

世尊法久後(せそんほうくご)・要当説真実(ようとうせつしんじつ)
 法華経方便品第二の文で、「世尊は法久しくして後(のち) 要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたまうべし」(『妙法蓮華経並開結』[以降、法華経と略称]一一一㌻ 創価学会刊)とある。

無二亦無三(むにやくむさん)・除仏方便説(じょぶつほうべんせつ)・正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)・乃至不受余経一偈(ないしふじゅよきょういちげ)
 法華経方便品第二に「十方仏土の中には 唯(た)だ一乗の法のみ有り 二無く亦(ま)た三無し 仏の方便の説を除く」(法華経・一二九㌻)、また「正直に方便を捨てて」(法華経一四四㌻)とあり、また譬喩品第三に「余経の一偈をも受けず」(法華経・二〇六㌻)とある。

若人不信(にゃくにんふしん)・毀謗此経(きぼうしきょう)・即断一切世間仏種(そくだんいっさいせけんぶっしゅ)・乃至其人命終(ないしごにんみょうじゅう)・入阿鼻獄(にゅうあびごく)
 法華経譬喩品第三の文。十四誹謗の依文の一部で「若(も)し人は信ぜずして、此の経を毀謗(きぼう)せば、則(すなわ)ち一切世間の仏種を断ぜん……其の人は命終(みょうじゅう)して、阿鼻獄に入(い)らん」(法華経・一九八㌻)と読む。

講義
 この章では総じて権実相対して、如説修行の相を明かされている。
 初めに、権実雑乱した如説修行の邪義をあげ、次に日蓮大聖人の能判をあげて、総じて諸宗の非を破し、略して如説修行を釈されている。次の「我等が本師……定め給へり」は広く如説修行を釈す段であり、「此等のをきて(約)の明鏡を本として……仏は定めさせ給へり」が結論となっている。これは、標釈結の三段に立て分けて論じられたのである。
 広釈では、在世の始終をあげ、如説と修行に立て分けて、権実雑乱の如説修行を破している。

 諸乗一仏乗と開会(かいえ)しぬれば何(いず)れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし

 これは権実一体の邪義である。日寛上人は、これを如説修行抄筆記において次のように破折されている。すなわち、諸法を一仏乗と開会(かいえ)した場合にも、なお爾前経と法華経には浅深がある。
 一つには能開所開の不同である。これについて、題目弥陀名号勝劣事には「妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり」(一一五㌻)とある。また、一代聖教大意には「又法華経に二事あり一には所開・二には能開なり」(四〇四㌻)とある。
 二つには権実の不同である。十章抄に「設(たと)い開会をさとれる念仏なりとも猶(なお)体内の権なり体内の実に及ばず」(一二七五㌻)とあるのが、開会の上の権実勝劣である。その他、体用などの不同があり、すでに権実に勝劣があることは明らかである。
 なお、また十法界明因果抄の「此の覚り起りて後は行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦し法華経を読む人なり」(四三七㌻)の御文の「覚り」の意味は、開会を覚悟する義である。どのように覚るかというと、十章抄の「開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり」(一二七五㌻)と覚る義である。故に、これもまた勝劣ありとの義である。もし開会の後は、権実一体であって一向に不同が無いとの邪義に執着する心があるならば、それはすでに未開会の法門であり、日蓮大聖人が破折されているところである。
 したがって「行者・阿含・小乗経を読むとも即ち一切の大乗経を読誦して法華経を読む」という読み方は、十章抄の「止観一部は法華経の開会(かいえ)の上に建立せる文なり、爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばか(借)れども義をばけづ(削)りす(捨)てたるなり……諸経を引いて四種を立つれども心は必ず法華経なり」(一二七三㌻)の御文にも明らかなように、法華の義によって読み、爾前・外道の義を捨てることである。すなわち、法華経の義を成り立たすために爾前の経文を読むのであるから、爾前経を読んでも法華経の文を読んだことになるとの意である。文は爾前経であっても、その義意は法華経にあるというのである。すなわち「爾前は迹門の依義判文」であり、また「文在爾前(もんざいにぜん)・義在法華(ぎざいほっけ)」の意である。
 また、一代聖教大意に「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(三九八㌻)とあり、また同書には「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(四〇四㌻)とある。この御文によれば、開会の上にさらに体内権実の勝劣を立てるという相伝を知らずして、開会の後は権実一体であるとした場合は、法華経といえども爾前経の利益になり下がってしまうのである。これが権実相対の意である。
 これに準じて考えるならば、発迹顕本した後の体内の本迹にも勝劣があるという相伝を知らずして、発迹顕本の後は本迹一致であると考えて本門を読む功徳は、爾前迹門の利益になり下がってしまうのである。
 このように真実の仏法は、法の勝劣・浅深を厳密に立て分けており、もし、これに迷うときは、正しい仏道修行とはならないのである。

 予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり

 前節の権実雑乱の如説修行の邪義に対し、これより以下は、御本仏日蓮大聖人の真実の如説修行を判ぜられるのである。
 しかして、この文は、略して如説修行を釈されている。「然らず」の一言は、総じて諸宗の権実雑乱した如説修行の非を破折されたものである。
 ここに「仏の金言をまほるべきなり」の御文は「如説」に約され、「仏法を修行せんには」の文は「修行」に約すことができるのである。
 今日、世人の仏法に対する関心は、極端に低下しており、念仏も真言も禅も皆同じ仏法であると思い込んでいる。しかし、これらの宗の所説の法門は、仏の金言たる経文によらない我見なのである。各宗とも所依の経文があり、仏説によっているようであるが、それは形式にすぎず、法門それ自体は、仏説を無視して勝手に作られたものにすぎない。
 仏法は釈尊滅後、多くの人師、論師の出現により、多数の論釈が作られたが、これらはあくまでも仏説を中心にし、時代に応じ、各分野への応用であったはずである。仏説を無視し、勝手に論を展開したものが、仏教と認められるならば、いかに、論釈の数を誇っても、それは仏法の偉大なる哲学体系を崩すものであり、また民衆は、何が正法であるかを見失い、結局、邪法にたぶらかされてしまう。
 故に、大聖人は「仏の金言をまほるべきなり」と申されて、釈尊が涅槃経に説いた「依法不依人」という仏法本来のあり方を示されているのである。
 日蓮大聖人の御書を拝せばわかるように、御書には必ず、釈尊の経文が引用され、さらに天台、妙楽、伝教などの釈を依用して、法門を述べられているのである。これこそ、仏法の依法不依人の方程式である。
 これに反し、法然にせよ、親鸞にせよ、その他諸宗の開祖といわれる人々の著書は、ことごとく経文によらない邪見にすぎないのである。開祖が如説修行の方程式を無視している故に、その教を信ずる者も、また如説修行の人とはならず、謗法の徒になり下がってしまうのである。
 故に、この文の「然らず」の一言は、まさに民衆の苦悩を救わんとする御本仏の大慈悲あふれる一言であるといえよう。

 我等が本師・釈迦如来は……如説修行の人とは仏は定めさせ給へり

 これより広く、如説修行を釈されている。初めに、釈尊在世における説教の始終をあげ、経文を引いて「如説」を釈されている。すなわち、釈尊の真実の教えは、法華経にのみ説かれているという権実相対の義を明らかにされて、前述の権実雑乱を破折されているのである。
「是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじ」の御文は、一往、附文の辺で権実勝劣を判じられた御文であるが、再往、元意の辺は、末法今時における「如説」をば、種脱相対して判じられたのである。
 しかして「末法の今の学者……如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」の御文では「修行」を述べられている。「何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて」の御文こそ、宗教は何でも同じであるという、今日の一般通念そのものであることに驚くのである。
 日蓮大聖人御在世においては、一般の宗教観、人生観はいまだ仏教中心であったから、この御文のごとく、権実雑乱の段階なのである。
 ところが七百年を経過した今日の日本にあっては、人生観の形成に仏法を考えるということは、まず少ない現状といえよう。宗教それ自体がまったく堕落し、地に落ちている故に民衆の宗教観そのものが崩壊してしまっているからである。
 この経文を現代に約し広く論ずるならば、個人における人生観、世界観の確立の問題について述べられたものと拝すことができよう。今日ほど、人々の人生観が安易に流れ、種々雑多になり、利己的になっている時代はないのである。
 人生観、世界観の根本には、必ず思想、哲学があり、その浅深、高低、善悪により、各人の人生観にも当然、浅深、高低はあるのである。したがって、より優れた思想、哲学により、人間性豊かな人生を築くことこそ肝要であり、人生論ブームなども、より優れた人生観を形成するための思想、哲学の探求と考えられる。しかし、これらは、観念的な思考の段階にとどまってしまっている。それは「如説」のみあって「修行」がないからなのである。
 そもそも、思想、哲学とか、人間の思考などは言葉によって、その論理性の上に組み立てられた矛盾のない理論体系であり、人生そのものは、一瞬一瞬の生命活動の発露である。
 したがって、思想、哲学に立脚した人生観や世界観といういわゆる「如説」と、人生そのものといういわゆる「修行」との間には、大きな断層が横たわっているのである。この断層を超えて、「如説」と「修行」が一致し、偉大な力を生命、人生にもたらすものは、ただ、真実の中の真実、正法中の正法たる三大秘法の南無妙法蓮華経のみである。
 すなわち、仏法においては、御本尊に唱題する修行によって、仏説のごとく、自身の肉団の胸中に存する仏の生命を開覚し、仏としての振舞いを自己の身に顕すことができるのである。
 しかるに一般の思想、哲学にあっては、一つには、理論のみであって、確固たる実践方法が確立されていないこと、二つには、理論そのものが、人間生命の本質に迫ることのできない観念的な理論に終始しており、たまたま生命の問題に論及しても、部分観に終わってしまっているのである。
 したがって、個人にあって真の人生観、世界観を確立して、その力により人生を豊かに、力強く開き、さらに全人類の恒久的な平和を築く道は、唯一つ、三大秘法の御本尊を信受し、折伏を行じ、創価学会の目的とする広宣流布の実現に邁進することに尽きることを再確認しておきたい。
             如説修行抄

       第三章 行者値難と現世安穏を明かす

本文(五〇一㌻一〇行~五〇二㌻九行)
 問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度・九横(くおう)の大難に値(あ)ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石(じょうもくがしゃく)を蒙(こうむ)り・竺(じく)の道生(どうしょう)は蘇山に流され法道三蔵は面(かお)に火印(かなやき)をあてられ師子尊者は頭をは(刎)ねられ天台大師は南三・北七にあだまれ伝教大師は六宗ににく(憎)まれ給へり、此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん。
 然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重(すうちょう)すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛(さかん)に起れり、かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥(ふしょう)なれ、法王の宣旨(せんじ)背(そむ)きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著(き)て妙教の剣(つるぎ)を提(ひっさ)げ一部八巻の肝心・妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権(しょうじきしゃごん)の箭(や)をはげて大白牛車(だいびゃくごしゃ)に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに或はにげ或はひきしりぞき或は生取られし者は我が弟子となる、或はせめ返し・せめをとしすれども・かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし、法華折伏・破権門理(はごんもんり)の金言なれば終(つい)に権教権門の輩(やから)を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独(ひと)り繁昌(はんじょう)せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず、代は羲農(ぎのう)の世となりて今生には不祥(ふしょう)の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可(べ)からざる者なり。

通解
問うていわく、仏の説の如く修行する行者は、薬草喩品にあるように「現世安穏」なはずである。それなのに、どうして三類の強敵が盛んに出てくるのであるか。
 答えていわく、過去の法華経の行者の例を見れば、釈尊は法華経を説くために、山から大石を落とされる等の「九横の大難」にあわれている。また過去の時代に出現した不軽菩薩は、法華経を説くために杖木で打たれ、瓦や石を投げつけられた。中国の東晋代の竺道生は、正法弘通のために大衆にあだまれて呉の国の蘇山に流され、宋代の法道三蔵は、仏法を護るために国王を諌めて、顔に火印を押され、江南に追放になった。また、中インドの師子尊者は檀弥羅王に首をはねられ、中国の天台大師は南三北七の諸師にあだまれ、わが国の伝教大師も南都六宗の人々に憎まれた。これらの仏菩薩・大聖といわれる人々を、如説修行の行者といわなければ、いったいどこに如説修行の行者をたずねたらよいのであるか。
 しかも今末法というこの時代は、闘諍(とうじょう)の絶え間ない時代であり、釈尊の教えの力もなくなったうえに、世はすべて悪国・悪王・悪民だけになって、皆、正法に背き、邪法・邪師を崇(とうと)び重んじているために、国土には悪魔・鬼神が乱入して、三災七難が盛んに起こっている。
 このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との折伏の戦いを起こし、どんな難にも耐えて、一切衆生を救うという忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を着て、南無妙法蓮華経の利剣を提(ひっさ)げ、法華経一部八巻の肝心たる妙法蓮華経の旗をかかげ、未顕真実の弓を張り、正直捨権の矢をつがえて、三大秘法の大白牛車に打ち乗って法敵をせめ、折伏をしてきたのである。そして、権門を喝破(かっぱ)と打ち破り、あちらこちらに押しかけ押しよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の謗法の敵人をせめ立てたところ、ある者は逃げまどい、ある者は引き退いて、かたくなに自己の邪法を守ろうとし、あるいはまた日蓮に破られて降参した者は、生け取られてわが門下となった。このように大折伏の戦いで、何度もせめ返したり、せめ落としたりはしたが、権教の者どもは多勢であり、法王釈尊の手勢は日蓮ただ一人であるために、今にいたるまで戦いはやむことがない。
 しかし法華経は折伏であって、どこまでも権教の理を破折していくという仏の金言であるから、最後には、権教権門を信じている者どもを、一人も残さず折伏して、法王の門下となし、天下万民、すべての人々が一仏乗に帰して三大秘法の南無妙法蓮華経が独り繁昌する広宣流布の時になり、またすべての人々が一同に南無妙法蓮華経と唱えていくならば、吹く風は穏やかに吹いて枝をならさず、降る雨も壤(つちくれ)を砕かず、万物の成育に適して、世は昔の羲農(ぎのう)の時代のような理想社会となり、人々は今生には不祥の災難にもあわず、長生きできる方法を得る。また妙法を根本とした人生は、どこまでも幸福を満喫でき、人生も、そしてまた妙法も共に、不老不死であるという道理が実現するその時を、みんなが見てご覧なさい。その時こそ「現世安穏」という証文が事実となって現われることに、いささかの疑いもないのである。

語訳
九横(くおう)の大難
 釈尊が受けた九つの大難をいう。諸説があるが御書に引用されるのは次の説である。① 孫陀利(そんだり)の謗(そしり)(外道の美女である孫陀利が、外道にそそのかされ釈尊と関係があったといいふらし、釈尊が謗(そし)られたこと)。②婆羅門城の鏘(こんず)(釈尊が婆羅門城を乞食(こつじき)し空鉢であったとき、年老いた下婢(げひ)が、供養する物がなくて、捨てようとしたくさい潘淀(はんでん)(米のとぎ汁)を供養した)。③阿耆多王(あぎたおう)の馬麦(めみゃく)(阿耆多は随羅然国(ずいらねんこく)の婆羅門の豪族の小王。釈尊と五百の弟子を請じたが、自分自身は快楽にふけり供養することを忘れてしまい、仏の一行を餓死寸前にまで追い込んだ。そのため釈尊は、馬の食べる麦を九十日間も食べ、飢えをしのんだ)。④瑠璃(るり)の殺釈(せっしゃく)(憍薩羅国(こさらこく)の波瑠璃王(はるりおう)に無量の釈子が殺されたことをいう。父の波斯匿王(はしのくおう)はあざむかれて、釈迦種と称す卑賤な女を夫人としていた。長じて波瑠璃王は釈子から、賤女の子であるといやしめられて激怒し、即位後釈尊の制止を聞き入れずに兵を出し、無量の釈迦族の人たちを虐殺した。しかし釈尊の予言どおり、七日目に波瑠璃王は横死し、無間地獄に落ちたという)。⑤ 乞食空鉢(こつじきくうはつ)(釈尊が婆羅門城に入ろうとしたときに、王は民衆が釈尊に帰依することをねたみ、釈尊に供養することを禁じた。それで乞食しても何も供養されなかった)。⑥旃遮女(せんじゃにょ)の謗(そしり)(婆羅門の旃遮女が、腹に鉢(はち)を入れて釈尊の子であると誹謗した。しかし帝釈がネズミとなって鉢をつるしていたヒモをかみ切ったため鉢が地に落ち、衆人皆歓喜したという)。⑦調達(ちょうだつ)が山を推(お)す(提婆達多が釈尊を殺そうとして、耆闍崛山(ぎしゃくつせん)で岩石を頭上になげうった。小片が散じて釈尊の足の親指から血を出した)。⑧寒風に衣を索(もと)む(冬至前後の八夜、寒風が吹きすさんで竹を破った。このとき釈尊は三衣を索(もと)めて寒さを防いだという)。⑨ 阿闍世王(あじゃせおう)の酔象(すいぞう)を放ちし(阿闍世王が提婆達多にそそのかされて悪象に酒を飲ませて放ち、釈尊を殺そうとした)。

竺(じく)の道生(どうしょう)
 中国・東晋代から南北朝の宋代にかけての高僧。竺法汰(じくほうた)につき出家。のちに長安に上り、鳩摩羅什の門に入り、羅什門下四傑の一人となる。般泥洹経(はつないおんきょう)(涅槃経)を学び、闡提成仏(せんだいじょうぶつ)の義を立て、当時の仏教界に波紋を投じた。これにより衆僧の大いに怨嫉するところとなり、洪州廬山に流された。その時道生は「わが所説、もし経義に反せば現身において癘疾(れいしつ)を表わさん、もし実相と違背せずんば、願わくは寿終の時、獅子の座に上らん」と誓ったという。のちに、曇無讖(どんむしん)訳の「涅槃経」が伝わり、正説であると証明され、誓いの通り元嘉十一年(四三四年)に廬山で法座に上り、説法が終ると共に眠るがごとく入滅したといわれる。竺の道生、法道三蔵、師子尊者の三人は、共に法華経の行者として、死身弘法、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)の仏道修行の例として挙げられたのである。

師子尊者
 師子、師子比丘ともいう。六世紀ごろの中インドの人で、付法蔵の最後の伝灯者。付法蔵因縁伝(付法蔵経)巻六によると、罽賓国(けいひんこく)でおおいに仏事をなしたが、国王弥羅掘(みらくつ)は邪見の心が盛んで敬信せず、仏教の塔寺を破壊し、衆僧を殺害し、最後に利剣で師子尊者の頸(くび)を斬った。その時一滴の血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。これは尊者が白法(びゃくほう)(正しい教え)をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされる。摩訶止観巻一では、弥羅掘王を檀弥羅(だんみら)王としている。景徳伝灯録巻二によると、師子尊者を斬ったあと、王の右手は地に落ち、七日のうちに王も死んだという。

法道三蔵
(一〇八六年~一一四七年)。中国・宋代の僧。もと永道(えいどう)と称した。宣和(せんな)元年(一一一九年)徽宗(きそう)皇帝が詔を下し、仏を大覚金仙、菩薩を大士、僧を徳士、尼を女徳とするなど仏僧の称号を廃して道教の風に改めることを定めた。法道はこれに反対し、上書してこれを諌めたが、帝は怒って永道の面に火印(かなやき)(焼印)を押し、江南の道州に放逐した。翌年、仏教の称号を用いることが許され、永道も許されて帰り、名を法道と改めた。徽宗皇帝は道教を重んじ、仏教を弾圧したために、靖康二年(一一二七年)欽宗(きんそう)と共に金国の捕虜となり、配所の五国城で没した。

師子尊者
 梵名アーリヤシンハ(Āryasimha)。獅子(ライオン)の意。付法蔵第二十三(第二十四との説もある)の最後の伝灯者。六世紀ごろの中インドの人。付法蔵因縁伝(付法蔵経)巻六によると、罽賓国(けいひんこく)でおおいに仏事をなしたが、国王弥羅掘(みらくつ)は邪見の心が盛んで敬信せず、仏教の塔寺を破壊し、衆僧を殺害し、最後に利剣で師子尊者の頸(くび)を斬った。その時一滴の血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。これは尊者が白法(びゃくほう)(正しい教え)をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされる。摩訶止観巻一では、弥羅掘王を檀弥羅(だんみら)王としている。景徳伝灯録巻二によると、師子尊者を斬ったあと、王の右手は地に落ち、七日のうちに王も死んだという。

天台大師
(五三八年~五九七年)。中国・南北朝から隋代にかけての人で、中国天台宗の開祖。天台大師、智者大師ともいう。諱(いみな)は智顗(ちぎ)。字(あざな)は徳安。姓は陳氏。荊州華容県(湖南省)に生まれる。十八歳の時、湘(しょう)州果願寺で出家し、次いで律を修し、方等(ほうどう)の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(五六〇年)大蘇山に南岳大師慧思(えし)を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、おおいに法華経の深義を照了し、法華第一の義を説いて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の法華三大部を完成した。摩訶止観では観心の法門を説き、十界互具・一念三千の法理と実践修行の方軌を明らかにしている。

南三・北七
 中国・南北朝時代(四四〇年~五八九年)に、仏教界は揚子江をはさんで南に三派、北に七派、合わせて十派に分かれていた。これら十宗はいずれも華厳第一、涅槃第二、法華第三と説き、法華経第一を宣揚した天台智者大師にことごとく打ち破られたのである。

伝教大師
(七六七年~八二二年)。日本天台宗の開祖。諱(いみな)は最澄。伝教大師は諡号(しごう)。根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。父は三津首百枝(みつのおびとももえ)。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬[万]貴(とまき)で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(七六七年)近江(滋賀県)滋賀郡に生まれ、幼時より聡明で、十二歳のとき近江国分寺の行表(ぎょうひょう)のもとに出家、延暦四年(七八五年)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦二十三年(八〇四年)、天台法華宗還学生(げんがくしょう)として義真を連れて入唐し、道邃(どうずい)・行満(ぎょうまん)等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦二十五年(八〇六年)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」九巻、「山家学生式」等がある。

未顕真実の弓をはり
 未顕真実とは、法華経の序分である無量義経で釈尊は「四十余年、未顕真実」(『妙法蓮華経並開結』二九㌻ 創価学会刊)と説き、法華経以前に説かれた爾前経をすべて虚妄(こもう)なりと断ぜられた。未顕真実の弓と、正直捨権の箭(や)がそろって完全となる。すなわち両文がそろって初めて、法華経方便品第二の「正直捨方便」(同・一四四㌻)の方便とは、四十余年未顕真実の権教なることがわかるからである。
 日寛上人の筆記には「弓あるも箭(や)なければ詮なし、箭はあれども弓なければ無用なり、法華経に正直捨方便と説きたもうも無量義経の四十余年未顕真実の文無くんば法華経に指示する処の方便・何(いず)れの経か測り難し、爾(ここ)に無量義経の文を以て之れを見れば四十余年の諸経悉(ことごと)く方便なりと知る故に弓箭(きゅうせん)具足するが如し。二句の文を弓箭に相配するに表示ありや、答えて云く弓は其の形曲(まが)って直ならず、四十余年の諸経不正直なるを未顕真実と説く故に形を以て之れに類して未顕真実の弓と判じ、箭は直なる物なれば正直の法華に対して正直に方便を捨てて後は但一実円頓(ただいちじつえんどん)の妙法なり、故に各々其の形を以て其の法体の正直不正直を顕わすものなり、或は亦(また)必ずしも表示を求むべからず、仏意測るべき故なり、疏(しょ)四、御義口伝上二十二云云」とある。

正直捨権(しょうじきしゃごん)の箭(や)をはげて
 正直捨権とは、法華経方便品第二の「正直に方便を捨てて 但(た)だ無上道を説く」(『妙法蓮華経並開結』一四四㌻)の文。正直に権教の方便を捨てて、法華経という無上の法門を説くという意。

大白牛車(だいびゃくごしゃ)に打乗つて
 大白牛車については、譬喩品の三車火宅(かたく)の譬えにある。すなわち、三乗の境涯を羊・鹿・牛の三車に譬え、法華経にいたって一仏乗を開会(かいえ)するのを大白牛車に譬えた。現在でいえば大白牛車とは三大秘法の御本尊である。この大白牛車に乗れば即身成仏は間違いないのである。すなわち打乗ってとは、本門の題目を受持することである。
日寛上人の筆記には「経に云く『是の宝車に乗って四方に遊び』文、亦云く『此の宝乗(ほうじょう)に乗じて直ちに道場に至らしむ』文、打乗ってとは本門の題目を受持する事なり、御義口伝下四十七乗此宝乗直至道場(じょうしほうじょうじきしどうじょう)を以て受持と題目とに判ずるなり、道場は極果なり乗此とは因なり、籤(せん)五に云く『此の因易(かわ)らざる故に直至と云う此に乗る事は信心第一なり』、録外二十五・四」とある。

吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず
 中国では五風十雨といって五日に一度の風、十日に一度雨の降るのを、人畜草木の成育に最も適する天候とした。これから天下太平にして、世の中が静謐(せいひつ)な、理想の世界の一つに考えられてきた。

代は羲農(ぎのう)の世
 伏羲(ふくぎ)と神農(しんのう)の治世のこと。共に中国上古の神話上の聖王である。このときは、天下太平な幸福な世の中で、民衆は栄えたといわれている。孔子、孟子等の儒教思想家が理想郷として示したので、広く用いられるようになったユートピアである。

講義
 この章では末法の如説修行の行者が難にあう理由を明かされている。一対の問答が説けられており、問いと答えそれぞれに二意を含んでいる。問いの二意とは、三類の強敵があることをもって、日蓮大聖人が如説修行の人ではないと疑う、これ一である。また大難があることをもって、如説修行の行者というならば、薬草喩品の現世安穏の経文は妄語なのであろうかと疑う、これ二である。答えの二意とは、初めに、如説修行の行者の値難を明かしている。ここでは、釈尊、不軽菩薩、竺道生、法道三蔵、師子尊者、天台、伝教の先例をあげている。次に現世安穏の経文が虚妄ではないことを明かしている。ここでは、三大秘法が広宣流布した時の姿を述べられて現世安穏を証されている。
 この章は、開目抄下(二三二㌻)の行者遭難の故を明かされた御文と関連している。

 問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや

 日蓮大聖人があわれた種々の大難は、末法の如説修行の人の証明であり、これによって大聖人が末法御本仏であることが明らかにされるのである。
 ところが、薬草喩品には、法華経を信ずる者は「現世安穏にして、後に善処に生じ」(『妙法蓮華経並開結』[以降、法華経と略称]二四四㌻ 創価学会刊)とあり、また安楽行品、陀羅尼品には諸天善神が法華経の行者を守護するとの誓言(せいごん)がある。「それでは何故に、大聖人が難にあわれるのか」と疑ったのがこの文である。
 この疑いに対し、開目抄下(二三二㌻)には、三つの理由があげられている。今略してこれを述べる。
 第一に、法華経の行者が過去世に正法誹謗をした罪があるときは、転重軽受のために難がある。御本仏日蓮大聖人は久遠元初の無作三身であられる故、宿謗(しゅくぼう)があるというのは解(げ)しがたいが、一には示同凡夫の姿を述べられたこと、二には、謗法の衆生が充満する末法に、三大秘法を弘通される御本仏であるから、衆生と同じく謗法の因を存した姿で出世されたのである。
 第二には、謗ずる者が地獄へ落ちることが確定していれば現罰はない。
 第三には、諸天善神が謗法の国土を捨て去っているために現罰がない。
 それでは、誹謗の者が生涯にわたって安穏であるかというとそうではない。必ず大罰を受け、不幸な死を遂げている。大聖人御在世では、東条景信は早く身を滅ぼし、平左衛門尉頼綱は一族滅亡の姿を示している。
 創価学会出現の後も、牧口初代会長を死にいたらしめた軍部政府は敗戦によって崩壊し、首脳は極東軍事裁判により、ほとんど死刑に処せられている。
 逆に、かつては、病人と貧乏人の集団と悪口をいわれた創価学会員の姿は、福運に満ち、勝利の人生を歩みゆく毎日である。
今日、時代は順縁広布の時を迎え、悪魔、魔民といえども、仏法を守護する時代となっている。いよいよ、信心を強盛にし、崇高な使命に生ききっていくことが現世安穏と確信して進むべきである。

 然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重(すうちょう)すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛(さかん)に起れり

 この文の意は、釈尊在世および正像の法華経の行者がすでに難にあっている。まして末法今時においては、時を論ずれば、闘諍堅固・白法隠没の時であり、国を論ずれば謗法の悪国であり、機を論ずれば、謗法の悪王・悪臣・悪民のみである。故に、正法に背き邪法・邪師を崇重して、正法の行者に対して必ず怨嫉(おんしつ)を懐(いだ)き、大難をなし、国に三災七難が競い起こる。したがって三類の強敵があることをもって法華経の行者であることを知るべきである。これは况滅度後(きょうめつどご)の経文に符号する故である。
 この文を宗教の五綱に分けると次のようになる。
 闘諍堅固・白法隠没 ………………… 時
 悪国 …………………………………… 国
 悪王・悪臣・悪民 …………………… 機
 正法を背きて邪法・邪師を崇重 …… 教法流布の先後
 ここで「教」があげられていないのは、日蓮大聖人の弘通される三大秘法が諸経の中で第一の勝教である故である。
 また「国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり」の文は、仏法の依正不二の原理を説かれた御文である。今日の自然科学、特に天文学、地球物理学などの発達により、次第にさまざまな災害の直接的な原因が明らかになってきている。しかし、自然科学が明らかにすることができる範囲は、まだ限界がある。一例として地震についていえば、それが地球の表面をとりかこむ地殻の変動によって生じた波動であるとか、火山の爆発による地殻の振動であるといったことにすぎない。すなわち、そうした災害の現象の物理的、化学的な説明の範囲を出ないのである。これに対し、仏法はあくまでも生命論の立場から、宇宙とか地球という生命体としての国土と人間生命との関連を説き、人間の幸・不幸という問題を明らかにしているのである。これらについては立正安国論講義の「三災七難と依正不二論」に詳説がある。一つの思想・哲学・宗教が人間生命に大きな影響を与え、また人間社会をも大きく変革していくことは当然考えられることであるが、仏法には、五陰世間、衆生世間、国土世間という三種の世間を論じて、国土すなわち自然界に対しても、宗教が大いなる影響をおよぼすことが説かれている。
 邪宗邪義の悪思想がはびこり、人々の生命力がむしばまれていくならば、社会が乱れると共に、自然界の正常な生命活動にも変調をきたし、四季は乱れ、温度、湿度、降雨、降雪などに異常な現象が起き、そのために三災七難が続発するのである。もし正法たる三大秘法が流布していくならば、個人にあっても、社会にあっても、幸福な境涯を築き、社会の繁栄と個人の幸福が一致する理想社会となると共に、国土も仏国土となり、さまざまな自然現象も、生物や人間生命の成長に適した状態となり、災害も減少するのである。これについては、後に「吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず、代は羲農(ぎのう)の世となりて今生には不祥(ふしょう)の災難を払ひ……」と説かれている。

 日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ

 日蓮大聖人が御本仏として、釈尊の予言どおりに出現されたことを述べられている。
 この文を日寛上人の如説修行抄筆記によって釈すと次のようになる。すなわち御本仏日蓮大聖人が御出現になる「時」については、分別功徳品に「悪世末法の時」(法華経・五一三㌻)とあり、また薬王品に「後五百歳中、広宣流布」(同・六〇一㌻)と説かれている。また「国土」に約せば宝塔品に「誰か能く此の娑婆国土に於いて」(同・三八六㌻)また涌出品に「娑婆世界に、自(おのずか)ら六万」(同・四五二㌻)とある。また「教」に約すならば、宝塔品に「広く妙法華経を説かん」(同・三八六㌻)とあり、涌出品には「広く此の経を説かん」(同・四五二㌻)と説かれ、神力品には、四句の要法(同・五七二㌻)に約して、三大秘法の南無妙法蓮華経が説かれている。この外にも、諸文があるが、天台、妙楽、伝教などの像法時代の正師も、末法の御本仏が出現し、南無妙法蓮華経を弘通されることを予言し、また、末法に生まれて、御本仏の正法にあうことを願仰していたのである。

 法王の宣旨(せんじ)背(そむ)きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し云云

 折伏を説かれた御文である。「法王の宣旨」「経文に任せて」とあることから明らかなように、折伏こそ仏意仏勅なのである。故に日蓮大聖人が折伏戦の先陣に立たれた姿こそ如説修行であり、また今日の創価学会の折伏も、仏意仏勅にかなった如説修行である。日蓮大聖人御在世中の弟子の中にも、ともすると折伏を嫌う風潮があったようである。今日でも、折伏を嫌うものがあるが、本抄において大聖人は折伏以外に如説修行がないことを厳しく、戒められているのである。
 そして折伏にあたっては、御本尊の仏力・法力に対する大確信がなければならない。折伏行とは、御本尊の仏力・法力によって、一切の民衆を幸福にしきっていく大慈悲の活動なのである。したがって、単なる議論のための議論に終始したり、感情的な口論に堕しては断じてならないのである。「妙法五字の旗」「未顕真実の弓」「正直捨権の箭(や)」の御文はいずれも、折伏はあくまでも御本尊の功徳に対する大確信を中心としたものであること述べられているのである。そのためには、まず折伏にあたるわれわれが、御本尊にしっかりと唱題しなければならない。ともすれば、自己のことのみにとらわれ、親をも、友人をも思うことのできない無慈悲な一面がわれわれにはある。御本尊に唱題し、御本仏の智慧と大慈悲をわが一念に湧現して、折伏にあたらなければならないことは当然といえよう。「妙教の剣」とあるが、「妙教」とは南無妙法蓮華経であり、「剣」とは、御本尊を信ずることができないという根本的な惑である無明惑を断ち切る題目のことである。
 また「大白牛車に打乗って」の文について、日寛上人は「打乗る」とは本門の題目を受持することであると釈されている。これについては、御義口伝下(七八七㌻)にも譬喩品の「乗此宝乗直至道場」の文を受持と題目の二義に釈されている。
 また、妙楽大師は、法華玄義釈籤の巻五に「此の因易(かわ)らざる故に直至と云う」と述べている。日寛上人は筆記に「乗る」ということを信心第一の義と釈している。末法において折伏を行ずれば、必ず難があることは前述のとおりであるが、この難や迫害に耐えることが「忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著(き)て」になる。これも、御本尊に唱題する信心から生まれることはいうまでもない。故に、どのような立場にあろうとも、折伏にあたっては、御本尊に唱題し、信心第一で臨まなければならない。
 唱題によって得た豊かな生命力、喜々とした振舞い、思いやりが、必ず人々の心をうち、入信を決意させることができるのである。全世界に御本尊が流布していく時代に、その先駆者として、信心することができたわれわれは、勇躍歓喜して信心第一に折伏戦に励むべきである。本抄の「今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし」の御文、諸法実相抄の「剩(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(一三六〇㌻)の御金言を思い、いよいよ折伏弘教に邁進すべきである。

 万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず……人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん時云云

 如説修行の行者は現世安穏であるという薬草喩品の経文が虚妄(こもう)ではないことを述べられた御文である。
 ここで「吹く風枝をならさず雨壤(つちくれ)を砕かず」の御文は、国土世間の平和論である。個人の幸福と社会の繁栄の一致は妙法によらなければ不可能であることは先に論じた。今、与えて論じて、かりに妙法によらないで、理想的な社会が出来上がったとしても、天災が続発するようなことがあれば、人心は動揺し、不幸を感じなければならない。故に真に国土世間の平和を実現できる妙法によらなければ、理想社会の実現は望むべくもないのである。
 国土世間の常住、娑婆即寂光については、観心本尊抄に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり」(二四七㌻)とある。
 また「人法共に不老不死の理(ことわり)顕れん」とは如来寿量品第十六の「常在此不滅」(法華経・四九〇㌻)・「常住此説法」(同・四八九㌻)の説相をいうのである。報恩抄に「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもながる(流布)べし」(三二九㌻)とあるが、「日蓮が慈悲曠大」とは人を意味し、「南無妙法蓮華経は万年の外・未来まで」とは法を意味するのである。この人法の利益が三世常住の故に、不老不死というのである。祈祷経送状には「日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚(おぼ)し食(め)され候へ」(一三五六㌻)と、三世常住の利益を述べられている。
 さらに、法華経にいたって、爾前経が破折され、廃せられるのは死を意味するのである。ところが、法華経の利益にはこうした義が無いので不老不死というのである。大集経には「闘諍堅固・白法隠没」とあるが、これは爾前経が老い死ぬことであり、また、脱益文上の法華経の利益が隠没することをいうのである。薬王品に「後五百歳中、広宣流布於閻浮提、無令断絶(むりょうだんぜつ)」(法華経・六〇一㌻)とあるが、これは、寿量品の文底に秘沈された三大秘法の南無妙法蓮華経の不老不死を意味するのである。
 また、もう一重立ち入ってこの御文を拝するならば、人法共に本因本果の理をあらわすということである。すなわち、不老とは釈尊を意味し、不死とは上行菩薩を意味するのである。妙楽大師の法華文句記巻九に「父は久しく先より種智還年の薬を服せり、父は老たれども少(わか)きが若(ごと)し。子は亦、常住不死の薬力を禀(う)けてより少(わか)けれども老いたるが若(ごと)し」と釈している。
 また、御義口伝下には「不老は釈尊不死は地涌の類(たぐい)たり」(七七四㌻)とある。これらによれば不老不死を師弟に配することが明らかである。師弟とはすなわち、本因本果である。百六箇抄に「本果妙の釈尊・本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり」(八六四㌻)と、師弟はすなわち本因本果なることが説かれている。ここで不老不死を師弟と釈された御本意は、人法共に本因妙をもって末法の衆生を利益する理(ことわり)顕われる時という意味なのである。本因本果俱時の妙法を修行する故に、人もまた妙因妙果を俱時(ぐじ)に感得することができるのである。
 次に「人法共に不老不死の理顕れん時」とは、今、創価学会によって推進されている宗教革命であり、宗教革命によって三大秘法の仏法を信じた人々の人間革命を意味するのである。三大秘法の仏法は無始無終の故に不老不死であり、御本尊に唱題して、永遠の生命を悟り我が身即本有無作の三身如来と開覚していく人間革命は、人の不老不死である。こうして、御本尊を受持した個人個人が人間革命に励み、幸福な生活を営んでいくことが、広宣流布に通じ、令法久住(りょうぼうくじゅう)、すなわち法の不老不死を実現することになるのである。
             如説修行抄

         第二章 略して行者値難を釈す

本文(五〇一㌻二行~五〇一㌻九行)
 其の故は在世は能化(のうけ)の主は仏なり弟子又大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人(にんひにん)等なりといへども調機調養(じょうきじょうよう)して法華経を聞かしめ給ふ猶(なお)怨嫉多し、何(いか)に況(いわ)んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固(とうじょうけんご)・白法隠没(びゃくほうおんもつ)・三毒強盛(さんどくごうじょう)の悪人等なり、故に善師をば遠離(おんり)し悪師には親近(しんごん)す、其の上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定(けつじょう)せり、されば此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後(きょうめつどご)の大難の三類甚しかるべしと、然るに我が弟子等の中にも兼(かね)て聴聞せしかども大小の難来(きた)る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ、兼て申さざりけるか経文を先として猶多怨嫉況滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)・況滅度後と朝夕教へし事は是なり・予が或は所を・をわれ或は疵(きず)を蒙(こうむ)り・或は両度の御勘気を蒙(こうむ)りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。

通解
 その理由は、釈尊在世の時は、一切衆生を化導し、救済したのは、釈尊というりっぱな仏であり、しかも弟子たちは大菩薩や小乗教の悟りを得た阿羅漢であった。また人界、天界の人々、四衆、八部、人非人たちであっても、釈尊は、調機調養といって長い間、機根をととのえ、最後には法華経を聞かしめたのである。しかし、それにもかかわらず、猶怨嫉(おんしつ)が多かったのである。
 ましてや末法の今の時は、宗教の五綱からみて、南無妙法蓮華経という教えが打ち立てられ、衆生はそれを求める機根となり、正法流布の時は来ているとはいっても、その法を説く師である日蓮をみれば、外見はただの平凡な師にすぎないのである。そのもとに集まった弟子たちもまた、大集経にあるように、みな争いばかりしている闘諍堅固・白法隠没の時代を反映した貪瞋痴(とんじんち)の三毒強盛な末法濁悪の衆生なのである。その故に、善師たる日蓮から離れて、諸宗の悪師に親しみがちである。
 そのうえ、真実の法華経(御本尊)を、仏の説の如く修行していく行者である日蓮の弟子檀那となる以上は、三類の敵人が出現するのは決定的である。だからこそ「この大法を聞き、信心を始めた日から、覚悟を定めなさい。末法には在世以上に激しい三類の敵人が出て信心を妨げようとするが、決してそうした魔に負けてはいけない」とかねがねいってきていたのに、わが弟子檀那の中に、そう聞いてはいても、いざ大小の難が来てみると、今さらのように驚き肝をつぶして、信心を退転してしまったものがいる。難が起こるとはかねていっておいたことではなかったか。つねづね経文の文証を立てて、况滅度後・况滅度後と強調して、朝夕に常に教えてきたことはこうした時のためであった。日蓮が、安房(千葉県)の清澄寺を、また以前住んでいた松葉が谷を追われたり、小松原の法難で疵(きず)を受けたり、また幕府のとがめを受けて、伊豆や佐渡の遠国に二度も流罪にあったりしたのを、見たり聞いたりしたとしても、それらは前々からわかっていたことであり、今さらあらためて驚くべきことではないではないか。

語訳
人非人(にんひにん)
 人とは比丘・比丘尼等の四衆を指し、非人とは天・竜等の八部を指す。

三類の敵人
 三類の強敵(ごうてき)ともいう。釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第十三に説かれる(『妙法蓮華経並開結』四一八㌻~四一九㌻ 創価学会刊)。これを妙楽大師湛然が法華文句記巻八の四で、三種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈(あっくめり)などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん) は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言(ざんげん)によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。開目抄(二二八㌻)では具体的に聖一(しょういち)(円爾弁円)、極楽寺良観(ごくらくじりょうかん)(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。ことに良観は大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけ、それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった

或は疵(きず)を蒙(こうむ)り
 文永元年(一二六四年)十一月十一日、安房国東条の松原大路で、東条景信の襲撃にあって額(ひたい)に刀傷を受けられた。

或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるる
 一度目は弘長元年(一二六一年)五月から同三年二月にわたる伊豆の流罪、二度目は文永八年(一二七一年)十月から同十一年二月にいたる佐渡の流罪。

講義
 この章は、如説修行の行者が難にあうことを、略して釈されている。
 まず、釈尊在世の怨嫉を教主・所化・調機(じょうき)・法体の四重に約して挙げたうえで末法の大難を釈されている。「何(いか)に况んや末法今の時」からは、末法の師弟・人法・自行化他を明かし、「されば此の経を」以下は、日蓮大聖人御自身が難にあわれたことを示され、いかに大難があったとしても断じて退転してはならないと弟子檀那を教誡(きょうかい)されている。また、御自身が大難にあわれたことは、経文の予言と一致することを述べ、日蓮大聖人こそ、末法における如説修行の人であり、後本仏であることを述べられている。

 在世は能化(のうけ)の主は仏なり……調機調養(じょうきじょうよう)して法華経を聞かしめ給ふ猶(なお)怨嫉多し

 如説修行の行者は必ず怨嫉され、非難されることを釈す文である。まず釈尊在世における怨嫉をあげて、末法における况滅度後の大難を述べられるのである。しかして、釈迦仏法における教主、所化、調機、法体の四重に約して釈されるのである。いまこれを末法に相対して示すと次のようになる。
 一に教主に約すならば、在世は能化の主、すなわち民衆を化導し、救済していく主は三惑をすでに断じた仏であり、三十二相八十種好を具足した色相荘厳の釈迦如来であった。しかも社会的にも王族の出身という高い地位にあったわけである。それでいてなお怨嫉が多かったのであるから、末法に日蓮大聖人が、一惑すら断じていない凡夫僧のお姿で出現されれば、必ず大難のあるのが理の当然である。
 二に所化に約すとは、在世において、釈迦如来の化導を受けたのは、皆三惑を断じた大菩薩、阿羅漢であり、当時の社会にあっても指導的な立場にあった人々である。これらの人々は怨嫉などしないはずであるが、それでも怨嫉があった。これでは末法の本未有善(ほんみうぜん)、三毒強盛の凡夫が怨嫉しないはずはなく、そのために必ず大難があるのは、これも当然のことである。
 三に調機(じょうき)に約すとは、在世は人非人等であっても調機調養したうえで法華経を説いたのである。それでもなおかつ方便品において、釈尊が説法を始めたとき、五千人の増上慢の四衆が席を起ち去ってしまった。まして、末法においては、まったく調機調養がなされてないのであるから、大難があるのは当然である。この釈迦仏法における調機調養とは、釈尊が民衆の機根を調え、養うために、四十余年にわたって小乗、権大乗を説いたことを指し、さらには、五百塵点劫に釈尊が成道して以来、下種し、調熟(じょうじゅく)したことをいう。これは、今世のみでなく、何回も何回も生まれてきては善根を積んでいく修行で歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)と呼ばれるものである。
 四に法体に約すとは、在世に釈迦如来が説いた法華経二十八品は五百塵点劫以来の熟脱(※)の衆生を救うためで、脱益(だっちゃく)の法華経である。これらの本已有善(ほんいうぜん)の人々ですら、始成正覚に執着して怨嫉したのである。
〈追記〉
 熟脱は、下種益・熟益・脱益の三益(さんやく)のうちの、熟益(じゅくやく)と脱益(だっちゃく)を指す。まず熟益は、久遠下種のあと、長遠な期間にわたって教化を続けて衆生の能力を高めたこと(調熟(じょうじゅく))の利益をいい、特に法華経迹門の教えの利益をいう。そして法華経本門に入ると、釈尊が久遠実成を説いて自身の本地を明かすことにより、衆生が久遠の下種を覚知して得脱(とくだつ)することを示しているので、法華経本門の教説は脱益の法門と位置づけられる。(追記・了)
 ところが末法は下種益の法華経たる三大秘法の南無妙法蓮華経を説くのであるから、大難があるのは必然といえよう。これについて妙楽大師は法華文句記巻八に次のように釈している。「今、通じて論ぜば迹門には二乗、鈍根の菩薩を以て怨嫉と為し五千起居(ごせんきこ)は未だ嫌うべきに足らず。本門には菩薩の中の楽近成(ぎょうごんじょう)(近成(ごんじょう)を楽(ねが)う)の者を怨嫉と為す。衆こぞって識(し)らざるは何ぞ恠(かい)(怪)と為すを得ん」と。
 また、調機調養の法華経とは、熟益であり迹門をいう。熟益の後の法華経は必ず脱益の法華経であり、本門の意である。
 この文は、在世の師弟、人法、自行化他を説いたものであり、題号が師弟、人法、自行化他に約すことができる点と合わせて考えることができる。今、四重に約して、この文を釈したが、初めの二、教主と所化の師弟の関係は、広く諸経に通じる問題であり、釈尊が九横の大難を受けたことを意味するのである。後の二、調機と法体は、別して釈尊が法華経を説いたときのことを述べたもので、調機に約すのは権実相対の意であり、法体に約すのは本迹相対を意味しているのである。

 何(いか)に況(いわ)んや末法今の時は教機時刻当来すといへども其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり、故に善師をば遠離(おんり)し悪師には親近(しんごん)す、其の上真実の法華経の如説修行の行者……

 この文の読み方について、日寛上人は、「何に況んや」の句を「悪師には親近す」まで冠して拝読すべきであるとしている。すなわち「何に况んや師は凡師であり、何に況んや弟子もまた三毒強盛の弟子であり、何に況んやその機を考えてみれば、調機調養無き本未有善の衆生であるが故に、善師をば遠離し悪師には親近するなり」と読むのである。また「末法今の時は教機時刻当来す……悪人等なり」の文は、宗教の五綱を述べられた教相である。すなわち、
   末法今の時 … 時
   教 …………… 教
   機 …………… 機
   時刻当来す … 流布の先後
となる。
 国土が略してあげられていないが、これは、以下の文に師弟を述べてある故に、その住処は自(おの)ずとあらわれているからである。
 また、この文は末法にあたって「況滅度後」の経文を釈されたもので、前節の在世についての釈に対して、能化 、弟子、調機、法体の四意に約して釈されている。図示すれば次のようになる。
   能化 …… 其の師を尋ぬれば凡師なり
   弟子 …… 弟子又闘諍堅固・白法隠没・三毒強盛の悪人等なり
   調機 …… 故に善師をば遠離し悪師には親近す
   法体 …… 其の上真実の法華経
 また、この文は、末法における師弟・人法・自行化他を明かした文であって、本抄の題号を師弟・人法・自行化他に約して釈された文と合わせ考えることができる。
 この「其の上真実の法華経」の文で、「其の上」とは「何(いか)に况(いわん)んや」の意である。「真実の法華経」とは、釈尊在世の脱益の法華経二十八品に対し、末法における日蓮大聖人の下種益の南無妙法蓮華経をいうのであり、種脱相対を明かしているのである。
 それでは、釈尊が説いた法華経二十八品は真実ではなく、まったく誤りであるかというと、そうではない。釈尊の法華経も真実ではあるが、末法下種益の三大秘法に相対すると、三大秘法が真実の中の真実となる故に、このように述べられたのである。下種の義のない脱益は、あたかも宦官にすぎない超高が皇帝の位に登るようなもので、まったく砂上の楼閣にも等しいのである。故に、開目抄下には「種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし」(二一五㌻)と述べられている。また釈尊の法華経において衆生がみな得道したのも久遠を悟ったからである。
 妙楽大師はこのことについて法華文句記巻一上に「『雖脱在現・具謄本種(すいだつざいげん・ぐとうほんしゅ)』等云々」と述べている。すなわち「脱は現に在りと雖(いえど)も具(つぶさ)に本種を騰(あ)ぐ」と読む。釈迦仏法では、所化の大衆は法華経如来寿量品の法門を聞いて得脱するのであるが、その成道の本因を尋ねてみれば久遠に下種が蔵されていることである。下種は本であり、脱は迹である。脱益が真実であるというのは、本である下種が真実である故である。今は功を種に帰せしめて別して真実というのである。また像法時代の天台大師の弘教に対して真実というのである。故に立正観抄には「正直の妙法を止観と説きまぎらわす故に有のままの妙法ならざれば帯権の法に似たり」(五二九㌻)とある。
 日蓮大聖人の弘教は久遠元初の名字の妙法であり、有りのままの妙法であるから「真実の法華経の行者」といわれたのである。

 三類の敵人決定(けつじょう)せり

 三類の敵人とは、法華経勧持品第十三に説かれている正法の行者を迫害する三種類の増上慢をいうのである。すなわち俗衆増上慢・道門増上慢・僣聖増上慢で三類の強敵ともいう。
 釈尊が一座の大衆に滅後の弘教を勧めた時、八十万億那由佗の菩薩が、釈尊滅後どのような難にあっても、妙法蓮華経を弘めたいと誓った。これが末法には三類の強敵が出現するという予言の文である。
 勘持品に「諸(もろもろ)の無智の人の 悪口罵詈等(あっくめりとう)し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者有らん 我れ等は皆(み)な当に忍ぶべし(第一・俗衆増上慢) 悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲(てんごく)に 未だ得ざるを謂(おも)いて得たりと為し 我慢の心は充満せん(第二・道門増上慢) 或(あるい)は阿練若(あれんにゃ)に 納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在(あ)って 自ら真(しん)の道(どう)を行(ぎょう)ずと謂(おも)いて 人間を軽賤(きょうせん)する者有らん 利養に貪著(とんじゃく)するが故に 白衣(びゃくえ)の与(た)めに法を説いて 世の恭敬(くぎょう)する所と為(な)ること 六通の羅漢の如くならん 是の人は悪心を懐(いだ)き 常に世俗の事(じ)を念(おも)い 名を阿練若に仮(か)って 好んで我れ等が過(とが)を出(いだ)さん 而(しか)も是(かく)の如き言(ことば)を作(な)さん 此の諸の比丘等は 利養を貪(むさぼ)らんが為(た)めの故に 外道の論議を説く 自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑(おうわく)す 名聞(みょうもん)を求めんが為(た)めの故に 分別(ふんべつ)して是の経を説くと 常に大衆(だいしゅ)の中に在(あ)って 我れ等を毀(そし)らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士(こじ) 及び余の比丘衆に向かって 誹謗して我が悪を説いて 是(こ)れ邪見の人 外道の論議を説くと謂(い)わん(第三・僣聖増上慢)」(『妙法蓮華経並開結』四一八㌻~四一九㌻ 創価学会刊)とある。
 この一連の偈頌(げじゅ)を勘持品二十行の偈というが、この偈を法華文句記等で、三類の強敵に分別しているのである。俗衆増上慢とは、今でいえば仏法を知ろうとせず、ただ感情的に反対している世間の人をいう。道門増上慢とは、悪侶である。僣聖増上慢とは、国家権力や報道機関等をもって大聖人の仏法に敵対してくる世の指導者階級と目されている人々のことで、この第三僣聖増上慢が最も邪悪であり、また現在は、この第三が最も盛んな時である。 

 然るに我が弟子等の中にも兼(かね)て聴聞せしかども大小の難来(きた)る時は今始めて驚き肝をけして信心を破りぬ

 この文は、弟子檀那を教誡(きょうかい)された文である。日蓮大聖人は御書のいたるところに、難を乗り越えて信心に励むよう激励されている。開目抄下に「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便(ふびん)と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫(たしょうこうごう)に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(二三四㌻)と述べられている。この開目抄の文は、初めに出家の弟子につい述べられ、次に在家の檀那について述べられている。今、如説修行抄の「然るに我が弟子等」の文は、在家の檀那をも含めていわれているのである。日蓮大聖人のこの精神を受けて、不惜身命の活躍をされたのが、第二祖日興上人であり、第三祖日目上人である。日寛上人の如説修行抄筆記には御相伝を引いて「日目は毎度幡(はた)さしなれば浄行菩薩か、日興先をかくれば無辺行菩薩か、其の外の臆病者共等云云」(※)と述べられている。
〈追記※〉
「日興先をかくれば」とは「日興は先を駆ければ」の意か。「其の外の臆病者」とあるのは、ここでは〝日興と日目以外〟と読めるが、原文では〝日興と日朗以外(の六老僧)〟の意となっている。すなわち「先陣者毎度日興、後陣日朗、其外臆病者、大難悪風吹散彼此たゝすみ、大将の日蓮をも見失けり。日興日朗なくは、某大陣あやうくや見けん。日興先かくれは無辺行菩薩歟、日朗後ひかうれは安立行菩薩歟、日蓮大将なれは上行菩薩歟、日目毎度幡さしなれは浄行菩薩歟」(「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝」。いわゆる「百六箇抄」)とある文からの抜粋。御書全集では割愛。(追記・了)

 予が或は所を・をわれ或は疵(きず)を蒙(こうむ)り・或は両度の御勘気を蒙りて遠国に流罪せらるるを見聞くとも今始めて驚くべきにあらざる物をや。

 日蓮大聖人が大難を受けられたことを述べられている。すなわち、大難があるという釈尊の説のごとく、御自身の上に大難を受けることによって、御本仏であることを顕わされるのである。ここで「或は所を・をわれ」とは、東条景信(とうじょうかげのぶ)によって、建長五年(一二五三年)四月二十八日の立宗直後、安房(あわ)の清澄山を追われたこと、ならびに、文応元年(一二六〇年)七月に立正安国論を時頼に上書した後、八月二十七日に鎌倉・松葉が谷の草庵が念仏者によって焼き討ちされ、下総の富木五郎左衛門尉常忍の邸へ身を寄せられたことをいう。また「或は疵(きず)を蒙(こうむ)り」とは、文永元年(一二六四年)十一月十一日申酉(さるとり)の刻(午後五時頃)、天津の工藤左近尉吉隆(くどうさこんのじょうよしたか)の邸へ向かう途中、東条の郷、小松原において、地頭・東条景信の軍勢に襲撃され、眉間に景信の太刀をあびられたことをいう。この小松原の法難では、工藤吉隆、鏡忍房(きょうにんぼう)の二人が大聖人をお護りして戦死している。「両度の御勘気」とは、二度の流罪のこと。一度は弘長元年(一二六一年)五月十二日より、弘長三年(一二六三年)二月二十三日までの伊豆伊東の流罪、 二度目は、文永八年(一二七一年)九月十二日、竜の口法難に続く佐渡の流罪である。これは文永十一年(一二七四年)二月に赦免となり、三月二十六日に鎌倉へ帰られたのである。
 日蓮大聖人はこのような御自身の大難について、聖人御難事に「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言(おんこと)を助けたる人・但日蓮一人なり」(一一八九㌻)と。すなわち大聖人の御出現によって初めて仏語の真実なることが証明されたのである。
 開目抄下には、日蓮大聖人が正しく法華経の行者なることを顕わして次のようにある。
「仏語むなしからざれば三類の怨敵(おんてき)すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑(そもそも)たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家(くげ)・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出(さくさくけんひんすい)と度度(たびたび)ながさるる、日蓮より外(ほか)に日本国に取り出さんとするに人なし」(二三〇㌻)と。
             如説修行抄

      第一章 宗教宗旨の弘教に大難あるを標す

本文(御書全集五〇一㌻初~五〇一㌻二行)
 夫(そ)れ以(おも)んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難甚(はなはだ)しかるべしと見えて候なり。

通解
 つらつら考えてみるに、この末法という三大秘法の南無妙法蓮華経が流布する時に、生をこの日本国に受け、この経(南無妙法蓮華経)を持ち、信心に励んでいく人に対しては、法華経法師品第十に「末法においては、釈迦如来の在世にくらべて猶(なお)怨嫉が多いであろう」と、多くの大難が競い起こることを予言されている。

語訳
猶多怨嫉(ゆたおんしつ)
 法華経法師品第十の文。同品に「而(しか)も此の経は、如来の現に在(いま)すすら猶(な)お怨嫉(おんしつ)多し。況(いわ)んや滅度の後(のち)をや」(『妙法蓮華経並開結』三六二㌻~三六三㌻ 創価学会刊)とある。この法華経を説く時は釈尊の存命中でさえ、なお怨嫉(反発・敵対)が多いのだから、ましてや釈尊が入滅した後において、より多くの怨嫉を受けるのは当然である、との意。日蓮大聖人はしばしばこの文を引かれ、御自身が法華経を身読した法華経の行者であることの根拠とされている。日寛上人の筆記には「怨嫉とは疏(しょ)の八・十六に云く『四十余年即(そく)説くことを得ず、今説かんと欲すると雖(いえど)も五千尋(つぎ)て即ち座を退(しりぞ)く、仏世尚爾(なおしか)なり、何(いか)に況(いわん)や未来をや』等云云、記の八の本・十五に云く『今通じて論ぜば、迹門には二乗鈍根(どんこん)の菩薩を以て怨嫉と為し五千起居(きこ)は未だ嫌う可きに足らず、本門には菩薩中の楽近成(ぎょうごんじょう)(近成(ごんじょう)を楽(ねが)う)の者を嫌って怨嫉と為す、衆こぞって識らざるは何ぞ恠(あや)しむと為すを得ん』文」とある。

講義
 本抄は、文永十年(一二七三年)五月、佐渡における御述作であり、門下一同に対して与えられた御抄である。しかし、今日では御正筆の所在は不明である。

 本抄の概要

 題名の「如説修行」とは、説の如く修行するという意である。「説の如く」とは附文の辺では釈迦仏の説の如くとの意であり、日蓮大聖人の御振舞いは、外用(げゆう)の面においては、まったく釈尊が法華経で予言したとおりの御振舞いであられた。これをもって、日蓮大聖人こそ、釈迦仏の未来記に符合した御本仏であるとするのである。
 再往、元意(がんい)の辺は、末法の御本仏日蓮大聖人の所説の如くとの意である。また「修行」とは、身口意(しんくい)の三業(さんごう)にわたり実践することを意味するのである。
 すなわち、日蓮大聖人御自身が如説修行されることにより、前代未聞の大難に遭われ、御本仏であることを開顕された上で、弟子檀那に対して日蓮大聖人の所説の如く実践するよう、厳しく激励されたのである。これは師弟相対の上から、また自行化他の立場から如説修行を説かれたのである。ここで如説修行の行者とは、いかなる大難があろうとも、あくまでも御本仏日蓮大聖人の御金言のままに、三大秘法の御本尊を信受し、勇敢に折伏に励む人であると結論されている。そして、如説修行の人は、必ず一生成仏の本懐を遂げ、永遠に崩れることのない幸福境涯にいたることを断言されている。

 夫(そ)れ以(おも)んみれば末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は云云

 この文は、宗教の五綱(教・機・時・国・教法流布の先後)を標した文である。日寛上人は如説修行抄筆記に、次のように解釈されている。
一、宗教の五箇(=宗教の五綱)に配す。
 末法 ……… 時
 流布の時 … 教法流布の先後
 此の土 …… 国
 此の経 …… 教
 信ぜん …… 機
「時」とは、釈尊滅後、正法千年、像法千年を過ぎた末法を指し、今日のことである。末法万年尽未来際にわたり、三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布され、令法久住していく様相を「流布の時」と述べられたのである。薬王品に「私の滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、断絶してはならない」(取意。『妙法蓮華経並開結』六〇一㌻ 創価学会刊)と説かれているように、末法には必ず南無妙法蓮華経が流布するのである。その国土は、総じては一閻浮提、すなわち全世界であり、別しては日本国である。
「此の経」とは末法の法華経、すなわち三大秘法の御本尊である。「信ぜん」が「機」にあたり、宝塔品に「此の経は持(たも)ち難し」(同・三九三㌻)とあるごとく、信力・念力によって御本尊を受持していくことをいうのである。

 如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難甚(はなはだ)しかるべしと見えて候なり

 この文は、大難を標した文である。法師品には「而(しか)も此の経は、如来の現に在(いま)すすら猶(な)お怨嫉(おんしつ)多し。況(いわ)んや滅度の後(のち)をや」(『妙法蓮華経並開結』三六二㌻~三六三㌻ 創価学会刊)とある。「況んや滅度の後をや」の文は、正像二千年を指しているが、正意は末法にある。故に、この文は「況んや滅度の後、正法に於いてをや、況んや像法に於いてをや、況んや末法に於いてをや」と三重に読むべきである。
 末法における法華経とは、いうまでもなく日蓮大聖人御自身の南無妙法蓮華経である。しかして、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経を弘通される上であわれた難は、釈尊、天台、伝教などがあった難とは比較にならない大難である。大難が前代に超過していることをもって、御自身が末法の御本仏である証明とされているのである。
 法華取要抄にいわく「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰(いわ)く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍(ぼう)なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何(いかん)、答えて曰く況滅度後(きょうめつどご)の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く『諸の無智の人有つて・悪口罵詈(あっくめり)等し・及び刀杖を加うる者』等云云」(三三三㌻)と。これらの文証に明らかなように三大秘法の南無妙法蓮華経の弘通こそ真の如説修行の故に大難のあることは当然である。
 経文に大難があると説かれたことは「如説」であり、その文のごとく、日蓮大聖人が大難にあって三大秘法を流布される御振舞いは「修行」である。
 さらに師弟相対しわれらの信心に約すならば、その日蓮大聖人の御振舞いこそ「如説」であり、われわれが、御本尊を受持して折伏に励むことが「修行」になる。四菩薩造立抄に「総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ」(九八九㌻)とある。この如説修行を明らかにするため、まず、大難を標(ひょう)されたのである。
 しかして、日蓮大聖人の仏法を如説に修行し、況滅度後の大難をうけ、広宣流布に邁進しつつあるものは、ただ創価学会を除いては他に求めることはできないであろう。
          上行菩薩結要付属口伝

        第九章 妙法流布の時を明かす

本文(五四三㌻六行~五四三㌻終)
 夫(そ)れ釈迦の御出世は住劫第九の減人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間は在世は五十年・滅後は正像二千年と末法一万年となり、其の中間に法華経流布の時二度之れ有る可し、所謂(いわゆる)在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり。
 夫れ仏法を学する法には必ず時を知る可きなり過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一偈も之を説かず経に云く「一坐十小劫」と云云、又云く「仏・時未だ至らずと知しめして請を受け黙然(もくねん)として坐したまえり」と、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまわず経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等云云、老子は母の胎(たい)に処して八十年・弥勒菩薩は兜率(とそつ)の内院にして五十六億七千万歳を待ちたもう仏法を修行する人人時を知らざらんや、爾(しか)らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任(まか)するに「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と云云、誠に以て分明(ふんみょう)なり。

通解
 釈迦仏の御出世は住劫第九の減・人寿百歳の時である。人寿百歳から十歳へと減ずる中間で、仏法流布の時は釈尊在世の五十年間と、滅後は正像二千年と末法一万年である。
 その間に法華経の流布の時は二度である。いわゆる、釈迦在世の法華経を説いた八年と滅後の末法の初めの五百年である。
 仏法を学する法は必ず時を知らなくてはならない。過去世において大通智勝仏は出世して十小劫の間、一偈も説かなかった。法華経化城喩品第七には「一たび坐して十小劫」と説かれている。また、「仏は時がいまだ来ていないと知って説法の請を受けても黙然として坐していた」と説き、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説かれなかったのである。法華経方便品第二には「説く時が未だ至らなかったゆえである」と説かれている。
 老子は母の胎内にいて八十年誕生を待ち、弥勒菩薩は兜率の内院で五十六億七千万歳を待っておられるのである。仏法を修行する人々が時を知らないでよいことがあろうか。
 そうであるならば、末法の始めに純円一実の教えが流布するとは知らなくとも、経文に任せてみるなら、法華経薬王菩薩本事品第二十三には「我が滅度の後、後の五百歳の間に閻浮提に広宣流布して、断絶させることがあってはならない」と説かれている。まことにもって明らかなことである。

語訳
住劫
 一つの世界が成立し、流転・破壊を経て、次の成立に至るまでを四期に分けた四劫(成劫・住劫・壊劫・空劫)の一つ。空間に器世間(国土)が成立し、そこにもろもろの有情が誕生し有情(衆生)世間を形成していく期間を成劫というが、この器世間と有情世間との二つの世間が安定している期間を住劫という。

住劫第九の減
 住劫の第九小劫における減劫の時期。住劫は二十小劫に分けられる。倶舎論巻十二、瑜伽論劫章頌(ゆがろんこうしょうじゅ)などによると、はじめに人の寿命が無量歳(※)から百年に一歳ずつ減じて十歳になるまでを第一小劫とし、これを第一減劫という。次に十歳から百年に一歳を増して八万歳になり、再び百年に一歳を減じて十歳になるまでを第二小劫とし、これを第二の増劫および減劫という。このようにして増減を繰り返し、最後の第二十小劫は人の寿命が十歳から無量歳にいたる増劫のみで減劫はない。住劫第九の減とは、この二十の増減のうち、九番目の減劫をいう。釈尊はこの期間の人寿百歳の時に出現したとされる。
〈追記※〉
 仏祖統紀では、人の寿命が八万四千歳から始まって百年に一歳ずつ減じて十歳になるまでを第一小劫とすると定義している。

老子
 生没年不明。古代中国の思想家。道徳経を著す。史記(列伝)によると、楚の苦県(こけん)の人。姓は李(り)、名は耳(じ)、字(あざな)は耼(たん)、または伯陽(はくよう)。周の守藏(しゅぞう)の吏(蔵書室の役人)。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令(れい)(関所の長官)尹喜(いんき)が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたという。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、万物を生み出す根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法(のっと)って事を行なえば現実的成功を収めることができるとする。

老子は母の胎(たい)に処して八十年
 玄妙内篇に「李母懐胎(りもかいたい)八十一歳、李樹下を逍遥し乃(すなわ)ち左腋(ひだりわき)を割って生まる、生まれて白首、ゆえにこれを老子という」とある。中国・六朝時代の道教の書籍にある文。

弥勒菩薩
 梵名マイトレーヤ(Maitreya)。音写して弥勒(みろく)。慈氏と訳し、姓を示す。名は阿逸多(あいった)といい無能勝(むのうしょう)と訳す。来世に釈尊の仏位を継ぐ補処(ふしょ)の菩薩といわれる。釈尊に先立って入滅し、現在は兜率(とそつ)の内院で天人のために説法しているが、五十六億七千万歳の後、ふたたび人界に下って釈尊の教化にもれた衆生を済度すると菩薩処胎経巻二等に説かれている。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。

都率の内院
 都率は都率天(とそつてん)のこと。梵語トゥシタ(Tuṣita)の音写。兜率・覩史多(とした)とも書く。上足・妙足・知足・喜足などと訳す。六欲天の第四。夜摩天(やまてん)の上空にあり、広さは縦横八万由旬である。内院と外院(げいん)に分かれ、内院には都率天宮があって、釈尊に先立って入滅した弥勒菩薩が天人のために説法しているという。そして、人寿八万歳・釈尊滅後五十六億七千万歳(※1)の時、再びこの世に下生して竜華樹(※2)の下で成仏し、三会にわたって法を説き、釈尊の説法に漏れた衆生を救済するという。このように来世で釈尊の処(地位)を補って仏位を継ぐので「一生補処の菩薩」とも、弥勒仏とも称することがある。外院は天界の衆生の欲楽する処とされる。この天の寿命は人間の四百歳を一日一夜として、四千歳である。人間の寿命に換算すると、四〇〇歳×三六〇(日)×四〇〇〇(年)で、五億七千六百万歳にあたる。
〈追記※〉
(※1)弥勒菩薩の兜率天での寿命が、地上での五億七千六百万歳である。後代、数字が入れ替わって五十六億七千万歳になったと考えられている。(※2)竜華樹とは、高さ広さがそれぞれ四十里あって、枝は竜が百宝を吐くように百宝の花を開くという。

講義
 最後に、末法の始めこそ「純円一実の法華経」すなわち、三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布する「時」であることを明らかにして、本口伝書が結ばれている。
 釈尊の出世について「住劫第九の減・人寿百歳の時」と仰せである。
 住劫とは四劫(成劫・住劫・壊劫・空劫)の第二期にあたり、一つの世界が成立するまでの時代(成劫)、それが安定し、衆生が住する時代(住劫)、破壊する時代(壊劫)、形のない時代(空劫)の四つに分けるという考え方から出ている。この娑婆世界も、当然この四劫の方程式にそって生成発展しているとされる。現在は「住劫」にあたることになる。
 住劫のなかにも寿命の増減があるが、初めは人寿無量歳から百年経つごとに一歳ずつ減じて人寿十歳になるまでを第一減劫という。次に十歳から百年経つごとに一歳を増して八万歳になるまでを第二増劫という。再び百年ごとに減じていって十歳になるまでを第二減劫というのである。第一減劫は第二増劫と第二減劫を合わせた期間に等しいという。このようにして十八の増減があり、最後は十歳から無量歳に至る第二十の増劫のみである。この第二十増劫も、第一減劫と同じ期間である。
 現在は、この住劫中第九の減の段階であり、人寿六万歳のときに「拘留孫仏(くるそんぶつ)」、人寿四万歳のときに「拘那含仏(くなごんぶつ)」、二万歳のときに「迦葉仏」が出現し、そして釈尊の出現は人寿百歳の時といわれている。
「百歳と十歳の中間」とが、人寿百歳から百年ごとに一歳を減じていき、十歳に至って住劫第九の減が終わるまでの間をいう。
 この間において、人寿百歳の時、釈尊在世五十年の化導があった。滅後は正法千年と像法千年の二千年間、そして末法が一万年である。そして、そのなかで法華経流布の時は、釈尊在世の八年間と滅後における末法の始めの五百年である、といわれている。
 法華経流布の時は釈尊在世と末法の二度であるとの仰せであるが、すでに天台大師・伝教大師の時にも法華経が広宣流布したはずであるのに、なにゆえに「二度」と仰せられたのか。
 撰時抄には「法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而(しかる)に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退(しりぞ)いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず」(二六〇㌻)と仰せられている。
 このことについて、日寛上人は撰時抄愚記に、像法時代は法華経流布の時に似ているようであるけれども真実の法華経流布の時ではないとして、次の五意を示されている。①像法には法華経の利生がいまだ盛んでない。②像法には諸大乗経の利益があり、ただ法華経のみが唯一無二の即身成仏の大法であるとの妙能が明らかでない。③像法には正直の妙法を弘めないゆえに。④像法には事行の三千を顕さないゆえに。⑤像法にはいまだ深秘の大法を弘めないゆえに。
 仏法を修行する道は、必ずまず「時」を習わなければならない。この御文は撰時抄の冒頭の一文と同じである。撰時抄でも、大聖人は大通智勝仏、釈尊、老子、弥勒など内外の聖人の例を挙げ、更に時鳥(ほととぎす)、鶏といった畜生ですら時をわきまえるといわれて、まして仏法者はこの「時」を知ることが大事であると仰せられている。本抄も、ほとんど同じ内容である。
 しかし、仏法上の正しい時を知っているのは仏のみであり、したがって「爾(しか)らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任(まか)す」といわれたのである。
 法華経薬王菩薩本事品第二十三に「我が滅度の後、後(のち)の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提において断絶させることがあってはならない」(取意。『妙法蓮華経並開結』六〇一㌻ 創価学会刊)と説かれている。釈尊滅後における「後の五百歳」とは、大集経の「第五の五百歳・闘諍言訟・白法隠没(とうじょうごんしょう・びゃくほうおんもつ)の時」にあたり「末法の始め」をさしているのである。したがって、如来神力品で結要付嘱を受けられた上行菩薩が出現して南無妙法蓮華経が広宣流布される時が、まさしくこの末法の初めであることはまことに明確である、と結ばれているのである。

出典『日蓮大聖人御書講義』第九巻(編著者 御書講義録刊行会 発行所 聖教新聞社)

                 上行菩薩結要付属口伝 ―了―
 

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